★74年3月★オズモンズ・フェア開催★前夜までのあらすじ~★osmonds | オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

1971年「♪ワン・バッド・アップル」の大ヒットから半世紀、
今も世界の舞台で大活躍の〝The Osmonds オズモンズ〟
彼らのファンクラブ設立当時の活動史。
そして、ナベさんの「その後」と「今」(^^;)です。
(画像=1969年12月第1回大阪ファンクラブの集い)

■ファンクラブ活動日記~49年前にタイムスリップ!

■前日までのあらすじ

3月26日(火)「第7回近畿フィルムコンサート&ミーティング」(森ノ宮青少年会館小ホール)に次いで、すぐに「オズモンズ・フェア」(心斎橋三木楽器店小ホール)の準備に取り掛かる。準備と言っても主催はファンクラブではなく招聘元のA.M.P(青山ミュージックプロ 旧・青山音楽事務所)ゆえ、僕やヘルパーは裏方のお手伝い。

(当時の詳しい日記が見つかったので、前回と重複箇所もありますがそのまま転載します)

1月19日(土)Mimi井上さんからお電話をいただき、会場手配を頼まれ大阪市内の貸しホールをいろいろ当たり厚生年金会館中ホールか毎日新聞会館小ホールどちらかに決めようかと何度か電話で報告していた。

2月15日(金)Mimiさんが「高島屋(ミナミ)か三越(北浜)のホールを借りようと思う。安いので」と言われた。僕は正規の高い貸ホールばかり当たっていたが、さすがMimiさん、百貨店の中には催し物などのために使う小ホールがありそれらを安く借りれるか交渉されていた。発想がまったく違った。決定したのが心斎橋の三木楽器店小ホール。なんと無料!

3月20日(水)大阪グランドホテルで夜7時半、Mimiさんと打ち合わせのお約束。初対面で一人では不安なのでヘルパーのYuko小野(後に二代目近畿リーダー)を連れて行く。ロビーで待つがお互い初対面で顔が分からない。

8時頃、女性三人連れの一人から「ナベさん?」と声をかけられ、後方にいた女性に引き合わされる。これがMimiさんと初対面の瞬間。声をかけてくれた女性ともう一人の女性が、A.M.Pからデビューしたフォーク・デュオ「乙女座」水沢有美さんふるや杏さん、二人とも女子大生。本来なら東京へ帰る予定が遅くなったのでホテルに宿泊するするとのこと。

Mimiさんが「食事しながらお話しましょう」とロビー内にあるカフェへ。「何でも注文してね」と薦められたが、僕とYuko小野の前に、パンタロン(今はフレアパンツ?)姿の美人のMimiさん。横のテーブルには可愛い女子大生の乙女座の二人。高校生の女の子の中に入るのは慣れていた僕でも、すっかり揚がってしまって汗ダクダク・・・。食事なんかできるはずがなくジュースをお願いした。ホント、Yuko小野がいてくれて助かった。彼女は明るい性格の高校生。Mimiさん相手にオズモンズやファンクラブのことを話し、Mimiさんは食事しながら楽しそうに聞いて下さった。

途中で若い男性が来た。Mimiさんの以前からの知人で110番プロダクション大西さん。今、東映で制作中の「ザ・ヤクザ」(監督シドニー・ポラック、出演ロバート・ミッチャム、高倉健)で音楽の仕事をしているとのこと(「なんとなく・・いい加減で軽い感じの男・・」と日記に記載、ゴメン(^-^; )。

次に、年配の物腰の柔らかそうな男性が来た。元青山音楽事務所大阪支社の社員さんで、今は大阪でオリジナルプロデュ―スという芸能プロダクションの代表になられた家村さん。今回の乙女座の公演をプロデュースしているとのこと。

結局、9時半まで大人の輪の中に入り楽しく雑談。明日、Mimiさんをオズモンズ・フェアの会場となる三木楽器店に案内するお約束でお別れ。大阪グランドホテルから大阪駅まで歩いて20分ほど。家村さんがYuko小野と僕を大阪駅まで送ってくれる。僕というより、Yuko小野を送ってくれたんだね。それほど、Yuko小野は可愛い女の子でした。それがこの後のオズモンズ・フェアで証明されるんです(お楽しみに・・)。

3月21日(木)朝10時半、大阪グランドホテルにMimiさんを迎えに行く。寝坊されたと11時に降りて来られた(^-^; タクシーで心斎橋の三木楽器店へ。タクシーの中でMimiさんのお身内が大阪の大手有名商社の創業者だったり、有名女子学園の理事長だったり、何かと大阪にご縁があることを知りびっくり!

三木楽器店に行くがあいにく担当の樋口さんが出かけているとのこと。約束しているのに?? Mimiさんは気にも留めず「お茶でもしましょう」と隣にある大丸百貨店のカフェに。Mimiさんはジーンズ生地のミディアムスカートで上はふかふかセーターの半袖でお洒落。まだ3月末ゆえ人目を引き、僕はなんとなく優越感に。

1時間ぐらいしてお店に樋口さんが帰られたと電話が入る。三木楽器店の4階事務所で打ち合わせ。樋口さん時間に遅れていながらホールを無料で貸すので大きな態度・・('ω') 僕は気分が悪かったが、Mimiさんは慣れているのか終始笑顔で対応されていた。ホールを下見。今まで大きなホールばかりだったので「狭いのでは・・」と思った。

Mimiさんはこれから「小坂明子」のステージ(大阪厚生年金会館)を見に行くとのこと。「ナベくん、一緒に行く?」と誘ってくださったが、あまり興味がなかったのでタクシーに乗せてお別れした。↓見ておけばよかった・・・・絶頂期!

小坂明子=1973年ヤマハ主催の第6回ポピュラーソングコンテストにて、自身の作詞作曲による「あなた」でグランプリを受賞。12月に「あなた」でプロデビュー。1974年 「あなた」が200万枚を超える大ヒット。年末にはNHKの『第25回NHK紅白歌合戦』にも出場した。

3月26日(火)「第7回近畿フィルムコンサート&ミーティング」開催

※前回に記載。新たに日記から追加

当日、機器類の中でスライド映写機用の延長コードの手配を忘れ、20日に会ったばかりのオリジナルプロデュ―スの家村さんに借りようと電話すると、すごくお怒り!「30日開催オズモンズ・フェアの連絡が何もきていない! 観客整理の事、プロジェクター(投影機)の事などどうするのかね!!」と。僕に言われても・・・。こっちも今、160名を前にフィルムコンサート開催中で、機器類の用意ができてなくて大変なのに、30日の機器のこと今言われても(T_T)・・・ともあれ一応丁重にお詫びしたけど・・・頭の中は延長コードのことばかり。

夜、Mimiさんに電話すると、「電話したけど家村さんお留守で女子社員に伝えている。ナベくんからもう一度伝えて」と。

3月27日(水)家村さんに電話すると留守。女子社員が「プロジェクトはいつも教映社で借りている。直接交渉してください」と。教映社へ電話すると「プロジェクターは午後1時からと聞いている」。「1時ではなく10時です」と僕。「では25000円が30000円になります」と。16ミリ映写機1台と技師で30000円は高い。昨日のフィルムコンサートの森ノ宮青少年会館は5000円でした。〝青少年育成のための健全なファンクラブ〟が使用するので格安です(^-^; 300人収容の独立した舞台付円形ホールが4時間6000円でした。

この夜、3日後の30日「オズモンズ・フェア」で渡す入場整理券をマイプリンターで3色に分けて計360枚印刷。ヘルパー達に9時半集合と電話で伝える。

つづく~~~

 

★1974年当時のオズモンズ。

 


★1974年春のファンクラブ会報

 

「ファンクラブ・フィルムコンサート&ミーティング」では、オズモンズが当時出演していたカルピスCMの撮影オフショット(カラー)をスライド上映しました。

 

★大阪府立青少年会館。1969年開館で僕たちが使用していた当時は新築で綺麗な建物でした。各階に会議室があり、「青少年育成のため」に登録すると無料で使えました。すり鉢状の客席で舞台もある300人収容の小ホールは左手前の大きな建物。本館から渡り廊下で独立し、アマチュア劇団がよく公演に使用していました。僕たちはこの小ホールで7回「ファンクラブ・フィルムコンサート&ミーティング」を開催。本館会議室での月定例会は45回でした。2009年閉館。思い出の場所、今はマンションになってます。

 

★毎年春に会館に申請書を提出し審査を通れば小ホールが6000円、会議室は無料です。1970年最初の登録の時に窓口の桑原さん(男性)に「なんで、ロックグループのファンクラブの活動が、青少年の育成になるの~??」としつこく言われましたが、2年目からは継続ですんなり審査はパス(^^;)

 

 

★青少年会館の案内パンフ。毎月催し物パンフが会館ロビーはもちろん、市役所など大阪市関係の建物に置かれてました。ファンクラブは僕たちのオズモンド・ブラザーズ・ファンクラブが唯一の存在でした(^o^)/

 

★当時のファンクラブのマーク入り封筒。中は、青少年会館の申請書や領収書でいっぱい。

 

★青少年会館からお叱りのお手紙(+_+) 「後から使用するグループに迷惑をかけないように・・」「使用状況が悪いため・・・」。これはFCメンバーの名誉のためにいっておきますが、申請書や利用届が遅れたこと、あと片づけが遅くなったりしたことによる注意。オズモンズのファンは、いつも礼儀正しい物静かな、育ちの良いお嬢さんばかりでした~(^o^)丿