★73年9~12月★メリル婚約!フィルムコンサート⑥開催★osmonds | オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

1971年「♪ワン・バッド・アップル」の大ヒットから半世紀、
今も世界の舞台で大活躍の〝The Osmonds オズモンズ〟
彼らのファンクラブ設立当時の活動史。
そして、ナベさんの「その後」と「今」(^^;)です。
(画像=1969年12月第1回大阪ファンクラブの集い)

■ファンクラブ活動日記~48年前にタイムスリップ!


●1973年9月~12月

 

★近畿リーダー職を暫定的にYuko、Aoiに委ねる

 

〇9月9日(日)
「ファンクラブ特別会」
大阪阪急三番街某喫茶店 13時~15時

 

4月に結成した「会報作成グループ」17名との活動がまったく稼働せず、森ノ宮青少年会館会議室で定例会を開催するたびに出席者が減少し、打開策を検討するため、中心メンバー5名、Yuko小野、Aoi山本、Mituko小比賀、Siyouko冨士谷、Mituko松下と、喫茶店で臨時の会を開きました。

 

その場で、仮にですが、僕が近畿リーダーから身を引きことを伝えました。活動がない以上、僕の出番はありませんし、なにより世代交代です。69年にファンクラブ結成直後に入会し早くも4年目に入り、共に活動した初代ヘルパーはすでに卒業し、女子高校生中心のメンバーとの年齢的なギャップも感じてました。メンバーに〝ナベ君〟から、〝ナベさん〟と呼ばれるようになってましたからね(^-^;

 

正式公表は時期をみてということで、活動はYuko、Aoiの二人をリーダーに5人で協議して行うよう委ねました。

 

〇9月11日(火)
メリル・オズモンズ婚約!!の噂!!

 

8月に大阪心斎橋パルコで新人歌手・石垣ひとみに会わせたMegumi楊さんと親しくなり、毎晩のように電話連絡を取り合っていた中での出来事で「メリルが婚約!した~~!(T_T)」と知らされビックリ!!(*ノωノ)

 

メリル・オズモンドオズモンズのメインボーカリストでダニー・オズモンドと人気を二分するほどファンも多く、なによりこの時まだ20歳になったばかり! しかも、オズモンズはヒット曲を連発し米国のみならず英国はじめヨーロッパで大活躍大人気の時期。それが婚約!ですから、世界中から悲鳴が聞こえてきそうな感じでしたね。

 

〇9月17日(日)
メリル・オズモンド結婚!の正式速報!メンバー号泣(T_T)

 

ネットのない時代、飛び交う情報に時差があり、この日の夜、初めて「結婚した!」と、沢山のメンバーからの電話で知りました。二代目リーダーのAoiは熱烈なメリルファン。自分の愛称も、Merrill(メリル)から取ってMemell(メメル)にしたくらい(*^^*) そのMemellが電話口で「死ぬ~~~!」と、泣き叫んでましたね(#^^#)

 

僕は男子ですから嫉妬などはなかったですが(^^)v、人気に影響しないか心配でした。音楽的に優れているので「アンディ・ウィリアムス・ショー」時代のオズモンド・ブラザーズからファンになったのですが、〝アイドル〟であることには間違いないので、結婚は人気に少なからずとも影響すると思ってました。そのことがとても心配でしたね。

 

〇9月13日(木)
megumi楊さんが米国へ移住。空港でお別れ

 

megumi楊さん、明るくて可愛い高校3年生。4月「会報作成グループ」で共に活動するうちに、手紙や電話をいただくようになり、そのうち、彼女が住む阿倍野区の繁華街で弟クンや友達と一緒にボーリングやビリヤードで遊ぶようになります。お母さんも黙認してくれていたようです。

 

新人歌手・石垣ひとみに会いたいというので、心斎橋パルコで夢を叶えてあげたお話は、ブログ「☆73年☆石垣ひとみ☆ダニーそっくり?覚えてますか?☆osmonds」に記載しています。

 

親しくなるにつれ、毎晩、電話で話すようになり、それが楽しみでしたね。中国籍ゆえ日本では住み辛く、自由の国アメリカへ移住する話も聞いてました。

 

そしてお別れの日、大阪国際空港でお見送りに。ご両親と弟クンの家族4人、彼女のお友達で顔見知りのメンバーも数人来てました。立ち話ですが「いろいろ楽しかったよ。また会おうね」と分かれました。本当に短い5カ月でしたが、楽しい日々でしたね。

 

メリル・オズモンドの婚約ニュースでメンバーが嘆き悲しんでいる真っ最中でしたが、僕は、こちらの方が悲しかったです。空港からの帰りリムジンバスに乗っていると窓に雨。涙雨ですね(T_T)

 

※この1年後の1974年11月18日僕の誕生日。アメリカから「おめでとう!」の電話をいただきました。「朝10時22分から25分まで話す。懐かしい! うれしい!」と日記に記載してました。

 

※もう会う機会はないと思ってました。

あれから・・・46年の時が流れ・・・2019年!

なんと!彼女が「ブログを見ました」と、このコメント欄に連絡してくれました!!(#^.^#) アメリカに渡り、その後、航空会社のスチュワーデス(キャビン・アテンダント=CA)になられて世界を廻り、今も現役だそうです(^○^) お元気で第一線で活躍されていること。とても、うれしかったですね! 今は、お互いのツイッターやインスタの投稿記事を見るぐらいで、いつかまた会う機会があればいいなと思っています。


〇9月~
ベイビー・ブラザーズ改め、フィンガー5の「個人授業」が初ヒット!人気に

 

1970年万国博の年に沖縄の5人兄妹ベイビー・ブラザーズがデビュー。当時、長男・一夫(18)、次男・光男(16)、三男・正男(14)、四男・晃(11)、長女・妙子(10歳)の幼い兄妹グループとして話題を集めましたが、音楽的にはヒット曲に恵まれず、物珍しさだけで〝和製オズモンド・ブラザーズ〟と書かれた女性誌のグラビアを時折見かけました。

 

その度に、我らファンクラブのメンバーは、僕も含めて「えっ~~一緒にしないでよ~~~(゚Д゚;)」って感じでしたね(時効ゆえ、ファンの方はお許しを(^^; )現に、メンバーの話題にもならなかったですし、以降も、公演など観に行った話などは皆無でした。

 

そんな彼らが1971年、当時世界的大ヒットを連発していたジャクソン5にあやかりフィンガー5と改名、この年73年に出した「個人授業」がやっとミリオンセラーとなり、一気に知名度が上昇。その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」などがミリオンセラーになりましたね。

 

ただ、個人的感想ですが、サングラスかけて歌う晃に、最後まで馴染めず、まったく興味はありませんでした( ◠‿◠ )


〇9月22日(土)
オズモンズ来年3月来日!のニュース!

 

初代ヘルパーのkokoからの電話で知る。腐れ縁ですね~(;´∀`) わざわざ、電話で知らせてくれるなんて、うれしかった。


〇11月4日(日)
「第6回大阪ミーティング」
大阪京橋京阪モール6階 午後12時半~4時半
約100名出席

 

71年12月「第5回ミーティング」から実に2年ぶりの開催。これまでの森ノ宮青少年会館小ホールではなく駅前総合ビルの中の大きなホール。これを手配したのは次期リーダーを委ねたYukoAoi達5名でした。その行動力は素晴らしく、メンバーへの案内、東京への開催許可、会計すべて5人が行い、初めて「企画・進行」が僕の手から離れた会になりました。また、逐一、僕に義理堅く報告を入れてくれて、それがうれしかったですね。

 

僕はゲストとして出席し、メンバーに「時期は未定ですが、次期リーダーを選挙ではなく、YukoAoiの二人に委ねたいと思います」と正式に発表しました。

 

プログラムは、71年にオズモンズが来日した時に初代ヘルパー達が8ミリ映写機で撮影したフィルム上映がメインでした。この時期に約100名の出席は成功といえるでしょう。


〇12月1日
マリー・オズモンド、ソロ歌手デビューのニュース!

 

オズモンズの紅一点マリー・オズモンドは1959年10月13日生まれで、まだ14歳。オズモンズのステージでは、あくまでもゲストとして出演、すぐ上の兄ダニー・オズモンド(16歳)とデュエットで「♪雨にぬれても」など披露してましたね。

 

2年前の71年来日時は、お化粧などしていない可愛い女の子。ヘルパー達と楽屋で遊んだことはブログで紹介しました。僕の愛称〝Nabe!〟も覚えてくれました(#^.^#)

 

そのマリーが成長著しく、毎月の洋書のグラビアで見るたびに、可愛いから美人に変貌していく様にメンバーとびっくりしてました。

 

〇12月21日
オズモンズ来年3月来日中止!の噂・・・

 

メンバーの電話で知らされます。メンバーは情報収集が早かったですね。ただ、噂かも知れない・・と一抹まだ望みはありました。

 

〇12月25日
オズモンズ来日中止!正式に会報に発表!

 

会報に掲載されているということは、少なくとも1か月前には分かっていたことです。なんで、もっと早く発表しないのか・・・と本部に?を持ちましたが、まぁ、来ないなら仕方がないと諦めました。もう何度も来日の噂が流れては消えていたので、僕は驚きも別段なかったですね。

 

これが、ファンクラブ活動史の中で最も活動が下火になった1973年最後を締めくくるに相応しいニュースになりましたね(+_+)

 

つづく~~~。

 

1973年当時のオズモンズ。左がメリル。その下が紅一点マリー。

 

★ボーカル担当のメリル・オズモンド(20歳)。20歳での結婚はアメリカでも早いのでは?

 

★いきなり、「結婚!!」の速報が飛び込んで来て、メンバーは号泣してましたね(;´Д`) 来日しない理由は、恋人できたから?(*^ω^*)

 

 

 

★沖縄の5人兄妹ベイビー・ブラザーズ。70年デビューですがヒット曲には恵まれませんでしたね。

 

★〝和製オズモンズ〟?? 「一緒にしないでよ~!!」とメンバーたちが怒ってました(*ノωノ) 3枚は当時の女性誌のグラビアです。

 

 

 

★1973年、フィンガー5に改名し「個人授業」が大ヒット。アイドル歌手の仲間入りに。

 

★1973年当時のマリー・オズモンド(14歳)。ソロ・シンガーとしてデビュー。まだ幼さが少し残っていますね。