●朝比奈マリアさん★モデル・女優★インタビュー★取材日記⑥ | オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

1971年「♪ワン・バッド・アップル」の大ヒットから半世紀、
今も世界の舞台で大活躍の〝The Osmonds オズモンズ〟
彼らのファンクラブ設立当時の活動史。
そして、ナベさんの「その後」と「今」(^^;)です。
(画像=1969年12月第1回大阪ファンクラブの集い)

 

 

■ナベさん、その後の出来事(^o^)/

 

⚫︎1981年1月東京へ   タイムスリップ!

 

★美人で聡明なマリアさんに、ご自宅の応接間でインタビュー。

 

朝比奈マリアさん。ご存知、雪村いずみさんのお嬢さんですね。15歳でモデルとしてデビューし、CMや雑誌のモデル・女優として、その美貌と知的なトークで人気絶頂でした。

 

1881年1月、運良く東京でならインタビュー了承のお返事をいただき、東京本社に取材を委託することも可能でしたが、私自身個人的にファンでしたのでお目にかかりたくて大阪本社から出向きました。

 
それより少し前に水沢アキさんのインタビューでカメラの露出を間違えて大失敗した苦い経験から、この回よりプロカメラマンを従え、私はインタビュアー担当です。
 
自宅マンションに来てくださいとのこと。朝、飛行機で東京へ。指定された住所に行き探します。自宅でのインタビューは後にも先にもこの一回限りです。
 
もちろん携帯電話なんてない時代。町名表示の看板だけが頼り。なかなか見つかりません。
マンションというと、イメージからして長谷工や大京などの一般庶民が住んでいる5~6階建のコンクリート棟を誰でも思い浮かべるでしょ?(私だけ!?) まったくそんな建物は指定された住宅地には見当たりません・・・。
 
やっと探し当てたマンションは外壁全てが蔦で覆われ、何処が入り口? と迷うほどの変則構造の重厚な建物でした。「東京ではこれをマンションというの・・?」と妙に感動した記憶が今でも残っています。
 
オートロックは無かったような気がします。中は薄暗く階段だけ。どこが玄関でどこが一戸の区切りなのかも分かりません。指定された部屋のチャイムを押すと品のいいお手伝いさんが出て来られ、丁寧にご挨拶されて横の応接間に案内されます。
 
オー!シャンゼリゼ!に フカフカのソファ! まったく外音が無く静か。先ほどの方がコーヒーを持って来られてしばし待っていると、奥のドアからマリアさんが入って来られた。
 
まぁ! 可愛いこと! 顔が小さ~い! 華奢! まるでお人形さん。。。。(画像を)
 
取材の主旨を説明しストロボバラソルと三脚・カメラをセッテイング。
 
マリアさん、風邪気味でティッシュの箱を横に置いてのインタビューでしたが、終始笑顔で楽しくお話してくださいました。
 
撮影したフィルム2本(×36枚=72枚)は全て綺麗に写り、誌面に使用する3枚を選ぶのに編集部で悩んだほど。(私は今でもすべて保管しています。 画像を)。
 
インタビューを終えるといつも色紙にサインを5枚お願いしており、マリアさん乗馬が好き、それに絵がお上手。馬の絵を丁寧に描いてサインしてくださいました。(絵入りのサインは約50人の女優さんの中でマリアさんだけでした。画像  掲載誌面の右上)
 
マリアさんはインタビューの中で「この世界に入って4年。来年は二十歳なんですよ・・・今年が一番大切な年なんです。今年何もできなければもうダメですね・・・。」「ママは人間的に凄く尊敬していますけど~ママのようになろうとは思いませんね。自分でしかできないことをやりたいな~って思います。」と話しておられました。
 
その信念どおり、この頃から油絵を描き始め、1984年・第三文明展に初出展し入選され、1987年には二科展でも入選を果たすなど、画家としての才能を発揮、1991年には雪村いづみさんとの親子展を初めて開かれ、現在も創作活動を続けられています。

 

今でも一番記憶に残る素敵な女優さんでしたね。
 
多方面でのご活躍を楽しみにしています。
 
つづく~
 
《ファンとして対象の芸能人が目の前に現れるということ。この感動は女性だけのものではありません。男性の私も同じです。まさかご自宅でお会いできるとは思ってもいませんでした。編集者冥利に尽きます。》
 
 
 
《インタビューした女優さんの写真は誌面に掲載した写真他数点を残してすべて処分しましたが、朝比奈マリアさんの写真だけはすべて保管しています(その一部)。》