●近江八幡★元宝塚スターの日凰尼にお会いする★取材日記⑤ | オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

1971年「♪ワン・バッド・アップル」の大ヒットから半世紀、
今も世界の舞台で大活躍の〝The Osmonds オズモンズ〟
彼らのファンクラブ設立当時の活動史。
そして、ナベさんの「その後」と「今」(^^;)です。
(画像=1969年12月第1回大阪ファンクラブの集い)

■ナベさん、その後の出来事(^o^)/

 

●1980年初夏へタイムスリップ!

 

★琵琶湖のほとり、水郷の城下町・近江八幡へ

 

◯読者モデルを使って旅の取材撮影

 1978年に雑誌編集者になり読者モデルをすぐに使いました。読者モデル、今でいう〝読モ〟ですね。読者モデルは1983年創刊の「オリーブ~olive」が最初のようにいわれてますが、それより5年も早く私は使ってました。オリーブはマガジンハウスの有名誌。私の雑誌は無名だったということです。

 
読者モデルを使った理由は簡単明瞭。プロモデルを使うギャラがなかったから(^-^; 当初は街中で、可愛い女性をスカウトしたこともありますが、褒められた行為ではないので、すぐに雑誌巻末のコラムで募集しました。
 
1980年に入り、表紙にはプロモデルを使うようになりますが、旅の記事には変わらず読者モデルを使っていました。使いやすさとギャラの安さからです(^-^;
 
ギャラの違いは、プロモデルで一日数時間拘束3万~5万円。読者モデルで私は1日1万5千円でお願いしていました。当時バイト代が一日良くても5千円でしたから、観光地で郷土料理をいただき有名旅館やホテルに泊まれてギャラまでもらえるなんて、俗にいう〝おいしいバイト〟だったので応募は多かったです。
 
私は容姿よりも性格で選んでいました。スタッフと一日あるいは二泊三日明るく楽しく過ごせる方。第一印象で我がままそうな子はご遠慮していただいてました。
 
◯豊臣秀次の城下町・近江八幡
さて、画像は『近江八幡』です。琵琶湖のほとり、太閤秀吉の養子・関白秀次が築いた城下町ですが、今は天守閣はなく、物質の運搬に使われた八幡堀という水郷が街中を流れ、その周囲に蔵や旧商家が立ち並び、重要文化財景観に指定されています。
 
私たちが取材撮影した時はまだ認定される前だったので、「へ~こんな静かな城下町が京都の近くにあるなんて・・」と歴史好きな私はちょっと感動したものです。
 
この取材撮影では、三つの良き思い出があります。ロープウェイで八幡山(271m)の山頂に上がるとお寺があり、下調べもなく「雑誌の取材撮影です」といきなり訪れると、尼僧が出てこられて、案内してくださいました。本堂の廊下の板戸を開けるとすぐに崖になっていて、眼前に琵琶湖と近江八幡の町並みが広がり、それまで見たことがないほど美しい風景でした(画像)。
 
その本堂の廊下の突き当たりの隅に大人より少し大きな武将の像が置かれていて、「秀吉に謀反の疑いをかけられ、切腹した関白秀次公です」との説明。そう! ここは秀次公を弔っている菩提所の瑞龍寺(ずいりゅうじ)・別名 村上御所だったんですね。像には手で触れられるほどで、囲いらしき柵など何もありません。拝観させるためというよりも、ただ置いてあるという、ほんと「知る人ぞ知る」って感じでした。
 
最後に驚いたのは、案内してくださった尼僧が小笠原日凰さん。その経歴を後から知りびっくり!。宝塚歌劇で大活躍された元宝ジェンヌの櫻緋沙子(さくらひさこ)さん本人でした。
 
宝塚退団後、水谷八重子さんの新派で大活躍、NHK大河ドラマにも数多く出演。50歳で仏門に入られマスコミの話題に。以後、瑞龍寺の再建に携わりながら、訪れる人々の人生相談にも耳を傾けられていたとのこと。
 
なんの下調べもしないで取材撮影に伺い恥をかきました。当時はパソコンなどまだ無く、尼僧ご自身も過去の栄光を語られなかったので、人づてにあとからその経歴を知ることに。
 
画像のように、取材撮影終了後、正門まで一緒に出て来られて見送って下さいました。
 
残念ながら2002年に85歳でご逝去されました。ご冥福をお祈りします。
 
近江八幡のことは、ネットやガイドブックでお調べください。素晴らしい写真もたくさん掲載されています。このブログでは、読者モデル(当時大学生のTomoko原田さん)中心の写真を少しだけ掲載しておきます。
 

つづく~

 

Photo:Nakahira&Nabe

《山頂にある瑞龍寺で元宝塚スターの小笠原日凰尼がお話してくださいました。※日凰尼のお写真は少なく、希少価値ある1枚です。》
 
《 瑞龍寺本堂の廊下から眺める琵琶湖の雄大さ美しさに感激!》
 
《 八幡山(271m)山頂へはロープウェイで。眼下に近江八幡の町並みが広がります。》
 
《 町中を流れる八幡堀。その周辺の蔵や旧商家が城下町の面影を残しています。》
 
 《読者モデルのTomoko原田さん。》
 
《風情のある屋形舟での水郷巡り。》
 
《小鳥がさえずり、小魚が泳ぎ、まったく人気のない静かな水郷です。》
 
 《新町通りは、近江商人の町屋風商家や旧邸が残る界隈で、重要無形文化財です。》
 
 《近江八幡といえば近江牛肉。霜降り肉のすき焼は郷土の味です。※余談ですが、関西周辺には近江牛松坂牛神戸牛伊賀牛とお肉の美味しい産地がありますが、その違いご存じですか? 取材撮影したことがありますので、またいずれお答えを(^o^)/》