●神戸ポートビア(PORTOPIA)’81★表紙撮影★取材日記⑪ | オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

1971年「♪ワン・バッド・アップル」の大ヒットから半世紀、
今も世界の舞台で大活躍の〝The Osmonds オズモンズ〟
彼らのファンクラブ設立当時の活動史。
そして、ナベさんの「その後」と「今」(^^;)です。
(画像=1969年12月第1回大阪ファンクラブの集い)

■ナベさん、その後の出来事(^o^)/
 
⚫︎1981年3月20日~9月15日 神戸ポートアイランド博覧会
 

★臨時特別号『ポートピア'81 ガイドブック』企画・編集・発行で大忙しの日々

 
 今、関西では、『2025年万国博』開催候補地として名乗りを挙げ日々誘致運動が盛んになっています。結果は11月。『2020年東京オリンピック』に次いで決定してほしいですね。
 
その前の『1970年大阪万国博』といえば、思い出すのはただ一つ『アンディ・ウィリアムス&オズモンド・ブラザーズ・ショー』ですね。これはファンクラブ・メンバーとして至極当然のこと。あとはモルモン教会の展示をみたことぐらいです。大阪万国博、7月に入り超満員になり2回しか入場できなかったです・・大阪に住んでいながら・・・(T_T)
 
私、全国いろいろな博覧会に取材撮影で出向きましたが、思い出が一番多く忘れられない博覧会は、大阪万国博から11年後に開催された『1981年神戸ポートアイランド博覧会』 愛称〝ポートビア(PORTOPIA’81〟。神戸沖を埋め立て造られた人口島ポートアイランドの完成を記念して開催されたお祭りで、当時、大阪万国博の約6400万人に次ぐ1600万人を動員しました。
 
私は雑誌編集に従事して三年目、充実した編集者生活を送っていた時期で、ポートピア博覧会を、定期発行雑誌の巻頭特集扱いではなく、まるまる一冊『ポートピア’81ガイドブック』として臨時特別号を編集発行することを決定します。社も「任せる」と、全幅の信頼を得ていました。
 
早速、以前より神戸北野界隈の異人館の取材撮影でお世話になっていた神戸市民生協の三宅氏を訪ねると、「いいね~全面協力させてもらうよ。できれば異人館も紹介してよね。」と快諾。すぐに神戸市役所観光宣伝課ポートピア’81博覧会協会広報宣伝課に連れて行かれ上席者を紹介されます。
 
あとはもう、開幕半年前から、上記、3つの組織に毎日のように入り浸り、時には食事を共にして親睦を図り、情報や資料を得ます。
 
会場となる神戸ポートアイランドのパビリオン建設現場にもヘルメットかぶって何度か入りました。
 
さて開幕前の取材撮影は、当然ながら建物はまだ建設中で人物主体になります。
 
ポートピアのマスコット・ガールが決定。神戸女学院大学3回生の武田真澄さん(画像)。博覧会協会でプレス発表。マスコミが大勢囲んでのインタビューでした。
 
②続いて、各パビリオンのコスチュームが相次いで発表となります。これは協会ではなく、直接各企業の広報宣伝課ヘ出向いて写真や資料をいただいたり、プレス発表に出かけてモデルが着用している制服を撮影したりいろいろでした(画像)。
 
③さらには、応募460名の中から〝お祭りの顔〟ともいうべきポートピア・ガールが決定。牧田朋子さん、増永愛弓さんの可愛いお二人(画像)。しかもそのコスチュームがハイセンスなタイツ姿で一目で気に入り、臨時特別号の表紙としての撮影を協会に申請すると、これまた即快諾!でした。
 
この表紙撮影時のことを少し書いておきます。
 
開幕3か月前、1980年12月の寒い時期、神戸ポートピアビアホテル前の広場で、ポートピア・ガールの牧田さんと増永さんお二人にあれこれポーズをつけ、大型カメラで撮影中、あとから、同じ広場に関西テレビのクルーが十数名やってきます。同じ広場でテレビの録画撮りのようです。
 
撮影中のポートピア・ガールを見て、(一目でエラソーとわかる)ディレクターが声を出して冷やかしはじめます。ポートピア・ガールといっても先日まで素人のお嬢さん。そのポーズはぎこちないのは当たり前。ボスに吊られてスタッフも冷やかしはじめます。
 
ガラの悪さは定評の在阪局(^-^; 悪気はないのでしょうが、マスコミ同業者として許せないので、そのオヤジに向かって怒鳴ってやろうかと思ってたいたところ(何度も書いてますが、私はエラソーな奴が嫌いです)、丁度そこへ、今ヘリコプターで着いたという吉本興業の漫才師ザ・ぼんちの二人が取り巻きを連れ疲れた顔でやって来ました。
 
当時、漫才師で初の武道館制覇。人気絶頂期で移動はヘリコプターと噂には聞いてましたが、ホントに神戸ポートアイランドのヘリポートからやって来ました。疲れているのか、マジ不機嫌そのもの。その二人に、さっきのディレクターやスタッフが取り巻き一生懸命ベンチャラしはじめ、自然、こちらへの冷やかしは無くなりました。
 
大阪ミナミの町中で偶然遭遇する吉本の芸人はみんな面白く親しみやすい人柄ですが、人気とは怖いものですね。今だに記憶に残るシーンです。
 
そのザ・ぼんちのおさむちゃんが昨年暮れ、孫を含む大家族を連れて大阪梅田のユニクロで買い物中にバッタリ! 37年ぶりの遭遇。この時は、ごく普通の面白い芸人さんに戻ってました。「おさむちゃん、普通の生活に戻れてよかったネ(^_-)」
 
④そして、人物の取材撮影の最後がポートピア’81の主題歌を歌っていたゴダイゴのタケカワユキヒデさんです(画像)。どうしても出ていただきたく出演交渉したところ快諾して下さり、開幕前年の1980年暮れ神戸に来られた時にインタビュー。ゴダイゴはこの暮れの紅白歌合戦に出演し、主題歌を熱唱。今もこのシーンは鮮明に覚えています。
 
翌日元旦の新聞の綴込み新年特別版は、正にポートビア’81の記事一色でしたね。
 
この話はまた次回に。
 
つづく~
 
≪雑誌の巻頭見開き2頁は会場となる神戸ポートアイランドに姿を見せた各パビリンオン(開幕3か月前)。隣接する神戸ポートピアホテルの屋上に特別に入らせていただき俯瞰撮影。柵がなく、高所恐怖症のナベさんは怖かったです(;´Д`) 当時、この俯瞰写真は好評でしたね。会場はまだ8割程度の完成でした。≫
 
≪まるまる一冊ガイドブックは、公式ガイドブック以外は私の雑誌だけでした。表紙はポートピア・ガールの牧田さん(右)と増永さん(撮影は開幕3か月前の冬。ポートピアの看板文字の下の芝生がまだ緑ではなく茶色)。この撮影時のエピソードは本文をご覧ください。≫
 
≪各パビリオンはまだ完成していないので企業の宣伝・広報課よりいただいたイラストなどプレス資料で編集しました。≫
 
マスコット・ガールの武田さんは神戸の女子大3回生。可愛いかったですよ。
 
ポートピア・ガーの牧田さん(右)と増永さん。こちらのお二人はしっかりされてましたね。≫
 
各パビリオンのコンパニオン・ユニフォーム。開幕前ゆえ企業のプレス資料で編集。開幕後は会場で手あたり次第声をかけて撮影しました。≫
 
≪出版の意図を理解してくださり快諾してくださったタケカワユキヒデさん。インタビュアーは私。年末の紅白歌合戦での「♪ポートピア’81」の熱唱は忘れることができません。≫
 
神戸市民生協が管理管轄する神戸北野の『ラインの館』三宅氏とのお約束どおり『神戸』を巻末で8ページ取材掲載。モデルは大阪ミナミの町で私がスカウトしたAiko桜木さん。彼女はこの時、高校3年生。この後、モデルクラブを紹介しプロの道へ。≫