■ナベさん、その後の出来事(^o^)/
★インタビュー第7回 水沢アキさんが大歓迎で迎えてくださったのですが、写真が・・・・。
さて、宝塚歌劇の鳳蘭さんに記念すべき第一回インタビュー『飛行機と旅のお話 スカイメモリー』の誌面を飾っていただきましたが、その後も、こちらが希望する芸能人、特に女優さんにはことごとく断られます。
あらゆる人脈を使い、当時相撲界で人気の高見山大五郎関が大阪場所入りした時や、吉本興業のツテで人気パーソナリティーの浜村淳さんに出演していただきました。
出演していただいて、失礼とは思いますが、私の希望は女優さんです。編集部員に電話交渉ではなく、手紙で想いを伝えるように指示します。当時はパソコンなどまだない時代。担当の女子スタッフは毎日手紙を書いてましたね。
そんな時、水沢アキさんから快諾を得ます。当時、水沢アキさんは、その美貌とプロポーションに加え、頭の回転の良さと爽やかなイメージで大変な人気でした。
私は、すぐに東京に出向きます。
水沢アキさんは当時、森光子さんにとても可愛がられていて森光子さんの事務所に在籍されていました。事務所に入るなり、あの笑顔で「お待ちしてたんですよ~いつ呼んでくださるか、いつ呼んでくださるかと。ぜひ、アメリカの話を聞いてください」。社交辞令だとしても、人気女優さんにそこまでいわれて、私はもうデレデレでしたね(#^^#)
インタビューでは、一生懸命アメリカ・ロスのことをお話してくださり、最後は一緒に記念写真まで撮らせてくださいました。
後にも先にもインタビューした50数名の芸能人の方との記念撮影は唯一この写真だけですので、(期間限定で)掲載しておきます。仕事でインタビューさせていただいて「記念にご一緒に写真を」とはいえなかったですね(お願いしておけばと、いま後悔・・)。思えば・・・オズモンズの時もそうでしたね。一緒の写真は数えるほどしかありません。
さて、写真ですが・・・。喜び勇んで大阪に帰り現像に出して唖然・・・。
露出を間違えたまま設定を変えずにストロボをあてたので、写真すべてがハーレーションを起こしてました。誌面掲載用の写真は製版会社に補修させ、水沢さんの事務所にお詫びの上、なんとか発行に間に合わせました。
これ以降、少しカメラをいじった私はもとより、編集部の二流カメラマンでは人物写真、特に女優さんのは写真は無理があると判断し、プロカメラマンを雇うことにしました。
反面うれしいことに、水沢アキさんが出演くださってから、女優さんとの出演交渉がスムーズに運び、インタビューが女優さんで続くようになり、第14回の吉永小百合さんの出演により、ようやくシリーズが落ち付き、大物女優さんにも続々と出ていただけるようになりました。
ゆえに、いろいろな面で、インタビューした50数名の芸能人の中で、水沢アキさんが一番思い出深い芸能人です。
つづく~。
《写真はハーレーションを起こし、ピンクのシルクのブラウスが台無しです・・・。水沢アキさん、とても可愛く明るく爽やかな女優さんでしたね。今でもファンです。》
《水沢アキさんとご一緒に。緊張しました~。ファンクラブから5年後ですね(^-^; 》
《写真を補正して、辛うじて発行できました。》