いつもお世話になっております。
ブログをご利用ありがとうございます。
続きは223系 番台区分別の紹介です。
223系は全部で8種類あります。
その8番台を区分別に説明していきます。
(0番台)
関西国際空港の開港に合わせて、関空快速にて使用する目的で1994年に6両編成9本(54両)と2両編成7本(14両)の計68両が導入されました。
このグループは223系による最初のグループです。
本グループには奇数編成の0番台と偶数編成の100番台が存在しますが車体や室内の仕様は同じです。
車体にはビードと呼ばれる棒状の補強構造のないステンレス製で、221系と同配置の連続窓や戸袋窓が並び、ビードのない外観を確保しつつ車体強度・剛性を維持するため、
若干厚めの外板は用いられ側窓の上下寸法も221系と比較して縮小され、関西国際空港連絡橋通過時の横風対策として、
車高は221系より6㎝低く抑えられています。
1999年に編成替えを実施し、5両と3両編成に組み替えられたあと、2008年に全編成が再度4両編成化されました。
編成替えの際に、足りない分は2500番台が連結されています。
2008年にクハ222形のトイレ前の座席を撤去し、車イススペースを設置するとともに、大型トイレと交換する工事が行われました。
(1000番台)
東海道・山陽本線の新快速を中心としたさらなるスピードアップを図るとともに、最高130㎞運転に対応した仕様投入されたグループです。
車体構造は0番台から変更されており、戸袋窓が廃止され、
車端ボックスシート部分は折りたたむと車イススペースとなるように変更され、座席配置や外装も異なります。
また車体外板を薄くするとともに、側面にビードが付けられて印象が異なったデザインです。
制御装置は最高130㎞と変更されたため、0番台のGTО素子に代わってIGBT素子を使用したものになりました。
2019年に1000番台の4両編成2本のうち、クハ222形がAシート車に改造されました。
※編成表を参考
1次車
1995年1月に発生した阪神淡路大震災後の復旧用として、同年夏に8両編成6本と4両編成4本の計48両が製造されました。
2次車
1997年に8両編成5本(40両)と4両編成1本(4両)の計44両が製造されました。
このグループでは、制御装置の冷却フィンの形状が変更され、すべての台車に軸ダンパが設置されました。
(2000番台)
東海道・山陽本線の113系・117系・221系の置き換え用として、1000番台をベースにコストダウンを図った増備車です。
1999年から2008年の10年間にわたって6000番台と含めると8両編成30本と6両編成14本、4両編成81本の計648両が製造され、223系では最も最大勢力を誇るグループです。
車体構造の見直しにより、従来の骨組み工法から外板自体に強度を持たせる工法が使用され、将来の先頭車化や中間車化改造を余裕にするため、構体妻壁は別扱いで組み立てて、本体にボルトで後付けする方法となりました。
外観の変化は尾灯の前照灯一体型ユニット化、車体側面のビートを廃止、車端部の戸袋窓が廃止となり、
室内は座席構造の簡素化(背もたれ形状やクッションの見直し・窓側の肘掛けを廃止など)の変更が行われています。
バリアフリー対策として車端部を車イススペースにしたうえで、洋式トイレを新設しました。
1次車
新快速の最高時速を130㎞への引き上げと、それに伴う使用車両の223系統一とともに、113系・117系・221系の置き換え用として、1999年から2000年にかけて8両編成18本と4両編成23本の計236両が製造されました。
従来223系ではMT比1:2を基本にして性能が設定されていたところ、東海道・山陽本線では8両編成でも余裕であるため、本来は1両あたり4期搭載のところ、モーター1基を未搭載とした3個モーター車が設定されました。
このため8両編成のうち、クモハ223形1両と4両すべての電動車が主電動機を3基搭載とし、3000番台と区分されました。
従来の2000番台に改番することを考慮し、2000番台車を一部欠番としています。
補機類は容量がアップし、1基あたり4両対応となり、これを受けて補機類を省略した中間電動車をモハ222形としました。
2次車
2003年に8両編成5本、6両編成2本、4両編成7本の計80両が導入されました。
1次車は雨天などの走行時に空転が多発したため、3000番台が廃止となり、クモハ223形は2000番台となり、補機類の配置が見直されたことで、モハ223形と改められています。
座席は転換クロスシートと化粧板の間にあった詰め物や座席背ずりの中央にあった窪みがなくなり、貫通扉の渡り板手前にスロープが追加され、窓ガラスはUⅤカットガラスに変更されています。
また危険防止のため渡り板の段差部分に蛍光テープが張られています。
3次車
2004年から2005年にかけて8両編成6本と6両編成8本、4両編成17本の計164両が製造されました。
室内は従来と同じですが、前面スカートが大型のものとなり、パンタ台の形状も変化しています。
また2005年に追加増備された4両編成2本は速度計が変更されています。
4次車
2006年に新快速を敦賀まで延伸することに対応して投入され、8両編成1本と6両編成2本、4両編成3本の計32両が製造されました。
なお8両編成の製造はこのグループで最後となりました。
従来の異なる点は、2003年の大邱(てぐ)地下鉄放火事件を受けて国の技術上の法律改定に伴って、蛍光灯カバーの形状が321系と同じものと変更され、表記類がステッカーに変更され、貫通扉のストッパーを廃止されました。
現在4両編成全車は6000番台に改造の上で編入されています。
5次車
2007年以降に製造されたグループで、6両編成2本と4両編成13本の計52両が製造されました。
6両編成の製造はこのグループが最後となりました。
4次車までとは車体の細かな構造が異なり、開閉窓や側窓・窓周りの配色は1000番台のものに戻され、床材も変更されており、前面貫通扉の窓が縦方向に短いものとなりました。
2022年に6両編成全車と4両編成2本が6000番台に改造の上編入され、網干から京都支所に転属となりました。
6次車
2007年10月から2008年6月に4両編成13本の計52両が製造されたグループです。
全車が網干総合車両所宮原支所所属の上、すぐに6000番台となりました。
5次車との区別は非常に困難で、蓄電池箱の違いしかないです。
7次車
2008年8月に4両編成2本の計8両が増備されたグループです。
安全性を高めるため、50㎞で衝突した場合でも室内残在空間が従来と比べて約2割増加するように車体強度が強化され、
321系や683系4000番台と同程度の強度となっています。
このグループをもって223系の製造は終了、225系の製造に移行されました。
全車が6000番台に改造の上で編入。
(2500番台)
1999年に0番台の運用線区へ2000番台をベースとする阪和線向けのグループです。
車体や室内は0番台と同じですが、前照灯・窓配置や車イススペースなどは2000番台と共通しています。
1次車
1999年の紀州路快速親切に伴い、0番台の編成を組み替えるため、1999年に2両編成2本が製造され、0番台の中間車を組み込んで5両編成を組成されました。
0番台と同じ、白に青のグラデーションに加え、窓周りにパールブルーを配したカラーリングです。
電動車両に搭載される車両制御装置は、VVVFインバーター装置の異なる0番台との混結を考慮し、車両制御装置内の補助電源部バックアップ機能は準備中となっています。
また阪和線向けでは初の車イススペースと車椅子対応大型トイレを設けています。
2次車
日根野支所の223系予備車を確保するため、2006年に増備されたグループです。
2500番台で初の中間車が加わり、5両編成と3両編成が各1本ずつ増備されました。
基本的な形態は1次車と同じですが、2000番台の各種改良部が取り入れられており、蛍光灯カバーの形状が変更され、窓ガラス色も変わりました。
このグループでは、1次車では準備中であった補助電源部バックアップ機能を搭載しています。
3次車
2008年のダイヤ改正で日根野支所の223系を増やすことと、4両編成への統一のため、計60両が製造されました。
内容は2000番台5次車に準じた仕様で、混結を目的に製造されているため、中間電動車モハ223形単独で製造されたものが多いです。
モハ223形2500番台は3次車だけで25両が製造された一方、サハ223形2500番台は2次車と合わせて計8両が存在するのみです。
2500番台も2022年に8編成が京都へ転属しています。
(5000番台)
瀬戸大橋線の快速「マリンライナー」の輸送力改善と213系の置き換え用として投入されたグループで、2003年に2両編成7本の計14両が製造されました。
2000番台2次車をベースに先頭部は連結運転時に編成間を通り抜けできるように貫通幌が設置され、前面は直立した形状となりました。
側窓は瀬戸大橋からの眺望に配慮して、2000番台のものではなく1000番台に近い下降窓構造となりました。
車内ではドア上の広告スペースが拡大し、乗務員室付近の意匠が125系に準じたものとなり、助手側は開放スペースとなっていますが、いたずら防止のためスイッチ類にカバーが設置されています。
(5500番台)
福知山地区で運用されていた113系3800・5800番台の置き換え用として、2008年に製造されました。
5000番台をベースに2000番台4次車以降で採用された技術を取り入れるなどの変更がなされています。
本形式唯一のワンマン運転に対応しています。
乗務員室は前面貫通扉を持った常時貫通構造で、室内展望を配慮して125系と同様の背面仕切りにするとともにワンマン運転設備を備えています。
また併結時の客室スペースとして利用できるように、助手席側を開放ができるようになっています。
客室は従来と同じく転換クロスシートですが、車端部にはロングシートが設けられています。
クハ222形の車端部に車イススペースと洋式トイレが付いています。
運転席後ろの上部には運賃表示器が付いています。
また嵯峨野線内では221系との併結運用があることから、前面の貫通扉と乗務員扉にオレンジの帯が入ります。
(6000番台)
221系との併結運転に対応するため、2000番台に4000番を加算する形で付番されたグループです。
車両性能を221系と合わせて、最高時速も120㎞に抑えています。
識別のため前面には、オレンジの帯が入ります。
「網干総合車両所宮原支所」
2008年のおおさか東線開業に合わせて2000番台5・6次車として製造されたグループで、4両編成20本(80両)が配置されました。
営業運転開始前に6000番台と変更され、2000番台5次車までの仕様変更を受けた新製車のため、2000番台1次車から
改番されたものとは、編成形態や仕様が異なります。
JR東西線の剛体架線区間に対応するため、パンタグラフを2基搭載していますが、現在はJR東西線での運用はなく、
霧取り用として活用されています。
現在は13編成の計52両が在籍しています。
「吹田総合車両所京都支所」
草津線・湖西線で運用されていた113系・117系の置き換え用として、2021年から配属されたものです。
網干総合車両所より4両編成5本と6両編成2本の7本、
宮原支所より4両編成9本が転入し、編成記号は網干から転入した編成がR0番、宮原支所から転入した編成はR200番、6両編成はP編成と区分されます。
R0番とP編成は2000番台4・5次車を転入後に改番した編成です。
なお6000番台の6両編成は本形式では初めてとなります。
(9000番台)
1998年に川崎重工業(現川崎車輛)が2000番台の生産に先立ち、1両のみ製造した2シート工法車体検証用の試作車です。
量産タイプとは異なり、前面にはフォグランプがなく、2000番台のフォグランプにあたる部分に前照灯、前照灯にあたる部分に尾灯が横並びに設置され、尾灯が移動した分だけ灯具の天地寸法が狭められ、1000番台と同じ見た目になっています。
評価試験後は工場内にありましたが、その後に在来線技術総合試験車への転用のため、JR西日本が購入し、
クモヤ223形9000番台とされました。
2019年に除籍され、廃区分となりました。