いつも大変お世話になっております。

ブログをご利用ありがとうございます。

 

さる5月11日に京都市にある「京都鉄道博物館」

を訪問しました。

 

僕にとっては10回以上は訪問しておりますが、

4年ほど行けてなかったので、久しぶりの訪問です。

知らない間に2両の展示車両が増えて、逆に1両減

っています。

変動の激しい鉄道博物館へ行ってまいりました。

 

 

久しぶりの建物、何回も行ってるので印象に残ってます。

 

プロムナードに行ってすぐに目に入った

腕木式信号機。

 

加悦鉄道資料館にもありますが、ちょっと

違うな~

「Ⅽ62形26号機」

1948年製の旅客用機関車で、引退後は大阪にあった

交通科学博物館で保存されたのち、当館へ移転されて

きました。

 

「80系」

1950年に登場し、初の中距離電車としてデビュー。

現存する同型車両はなく、ここの2両のみ。

「0系」

1964年の東海道新幹線開業とともに

登場した世界初の高速鉄道車両です。

編成で保存されているのは京都だけ。

 

             水色は二等車の証。

 

 

大ミハは宮原支所の意味。

 

「マロネフ59」

 

1938年に皇族・貴族用の寝台車として製造され

当初はマイロネフ37290形としていました。

 

のちに、スイロネフ38形となり、戦後は進駐軍

に接収されて、スイロネ37形と改番されたのち、

 

返却後にマロネフ59となり、1961年に廃車。

交通科学博物館で展示されていました。

 

 

 

「クハ103-1号」

 

1963年から20年間で3447両が製造されました。

クハ103-1号は2011年に引退し、当館で保存

されていますが、

現在も50両ほどがJR西日本とJR九州に在籍し

ています。

 

 

「ⅮⅮ54形 33号機」

1966年から製造されたディーゼル機関車です。

西ドイツの技術を採用して、高出力を図りました。

しかし、推進軸の強度不足や変速機が独特な構造

から、保守などに手間をかけたので故障も多発

しておりました。

現存するのは当機のみです。

 

「ナシ20形」

1958年に登場した20系寝台特急型客車の食堂車です。

今もレストランとして使われております。

 

「スシ28形」

 

1928年に食堂車と二等車の合造車として製造されました。

当初はスロシ38000形で、のちにマハシ38形となりました

 

その後太平洋戦争で使用中止となり、戦後は調理室を残し

たまま、3等座席車に改造されてマハシ49形となり、

1962年に廃車されました。

その後展示車両の指定を受け、スシ28という架空形式が

付けられました。

トワイライトプラザには、有名人が多く展示され

屋根はかつて京都駅で使用されていたもの。

 

「EF81形」「スシ24形」

「スロネフ25形」

「オハ25形550番台」

 

「トワイライトエクスプレス編成」

 

京都鉄道博物館には豪華寝台列車、トワイライトエ

クスプレスの編成のうち、4両を展示されています。

もとは5両でしたが、1両が展示終了となったため、

4両になりました。

「EF65形1号機」

安定した走行と牽引力に長距離運転が可能な直流電気

機関車として製造されました。

当初の貨物用から寝台特急を牽引し、0番台のほかに

ブルートレイン牽引用の500番台、汎用型の1000番台

が製造されていて、計308両が生産されましたが、

数を減らしつつ、JR貨物やJR旅客2社が所有しています。

「オロネ24形」

20系の後継車で、オロネ24形は1973年から9両が

製造されています。

晩年は「日本海」として運用に就いていました。

「EF58形150号機」

戦後の復興期である、1946年から製造された旅客用

電気機関車です。

初期型はデッキ付きで生産されていますが、1952年製

の増備車以降は2枚窓のデザインで製造され、

当機は1958年製で、1985年に一度引退したのち、

翌年には復活して、イベント用として活躍後の2011年

に車籍抹消されました。

お次は館内。

名車がお出迎えです!

「230形」国の重要文化財

1902年に日本で41両が製造された機関車です。

当初はA10形という形式で、のちに国有化で

230形となりました。

1930年代に引退していきました。

 

「500系」

最高時速300㎞の運転を世界で初めて

実現した高速鉄道車両です。

今も6編成が山陽新幹線で運用されています。

「581・583系」

世界初の座席・寝台両用電車で新幹線が

進出するまで、「つばめ」「はつかり」

など多くの列車で運用されました。

 

JR西日本では、急行「きたぐに」として

2011年まで運用されていました。

「489系」

信越本線碓氷峠の通過用として開発された

交直流両用特急用電車です。

主に信州や北陸地方で運用され、

当車のほか、小松市にも同型が保存されています。

「1800形」

勾配線用で、イギリスから8両が輸入されたものです。

主に京都~大津間、長浜~敦賀・関ヶ原間で使用され、

ほかに北越鉄道(現信越本線)と高知鉄道(現とさ

でん交通)でも使用されました。

1801号は滋賀県の東洋レーヨンの入れ替えで使用後

交通科学博物館へ寄贈されました。

 

なお本物の当機の銘板は加悦鉄道資料館で保存されて

います。

「ヨ5000形」

1959年にコンテナ専用列車の車掌車として、ヨ3500形の

車軸などを改造してできた形式です。

1986年に用途を失い、車掌車の連結は廃止されました。

「ワム3500形」

1917年から11873両が製造された有蓋貨車です。

15トン積みで、登場時はワム3200形でした。

連結器は当初リンク式でしたが、破断事故多発のため、

後期車では単純な構造のシュー式となりました。

戦時中は2500両が中国へ送られており、残る車両は

戦後長い間使用され、1970年に全車引退しました。

「EF66形」

1966年に試作され、1968年より量産された

高速貨物用電気機関車です。

貨物以外に寝台特急もけん引し、JR貨物も

出力アップさせて、前面が異なる100番台を

製造しております。

今もわずかながら100番台が活躍を続けています。

「ⅮⅮ51形」

1962年から蒸気機関車の無煙化を目的に開発。

中央に運転室、前後に1基ずつエンジンが積まれており、

亜幹線にも入線でき、1978年までに649両が製造され

ました。

今もJR東日本・西日本に在籍しています。

装置の違いで複数の番台区分があります。

「EF52形」

電気機関車の国産化の推進と規格統一を図る

ため、1928年に9両が製造された旅客用電気機関車。

戦前は東海道本線などの旅客列車を牽引し、

戦後は中央本線や阪和線で普通列車を牽引しており

ました。

今はこの1号機のみ現存します。

「100系」

0系の後継車で1985年にデビュー、

2階建て車両を連結したことで知られております。

 

仕様の違いで高速仕様の3000番台と短編成化で生

まれた5000番台があります。

2000年まで東海道新幹線で運用後、2012年まで

山陽新幹線で活躍後に引退しました。

「キハ81形」

1960年に日本初の特急用気動車として出現し、

151系の影響を受けたボンネットスタイルが

特徴で、「ブルドッグ」の愛称がありました。

初期トラブルがありましたが、克服し、

晩年は「くろしお」で運用後、1979年に引退

しました。

「Ⅽ62形1号機」

Ⅽ62形の1号機で1948年に日立製作所で

製造されました。

引退後は広島市の広島鉄道学園で保存後、

1994年に梅小路に来ました。

「117系」

1979年に新快速用として導入された近郊型電車

です。

1999年まで新快速にて運用され、運用離脱後は

宝塚線や岡山・和歌山・広島地区に転用されて運

用が続けておりましたが、

221系・223系や最新鋭の227系によって置き換

えられて、2023年7月までに引退しました。

 

クハ117形1号車は2023年4月に引退後、京都鉄道

博物館の展示車両に加わりました。

「オハ46形」

国鉄が急行用客車として60両が製造されました。

車体の軽量化がなされており、屋根は鋼製で

屋根布押さえは重量を控えるため、省略されています。

国鉄最終期まで運用され、

JR西日本が継承し、臨時用で在籍しておりましたが、

2011年に車籍抹消されています。

 

そして何といっても扇形車庫は忘れませんよ~

国の重要文化財に指定された、日本最古の鉄筋

コンクリート造機関庫です。

 

転車台もかっこいいです。

 

「7100形」

北海道の幌内鉄道がアメリカから8両を輸入したものです。

うち6両は「義経」「弁慶」などの愛称を付けておりまし

た。

カウキャッチャーやダイヤモンドスタックの煙突など、

見どころも多く。

「義経」は1925年にサドルタンク式に改造されています

が、1952年に鷹取工場(現存せず)で復元され、

交通科学博物館で保存ののち、動態化復元されて保存後、

2014年に梅小路に来ました。

「1070形」

幹線旅客用としてイギリスから輸入されたものです。

当初は6200という形式でしたが、

大正から昭和初期に入れ替えようタンク機関車に改装

されて、

1080号は廃車後に日鉄鉱業に譲渡されて使用後に保存

されたのち、2009年にJR西日本へ無償譲渡されました。

「Ⅽ11形」

1932年から製造されたタンク機関車で、モデルはⅭ1

0形で1947年までに381両が製造されました。

コンパクトで使いやすく、ローカル線で使用された上、

今でも大井川鉄道・JR北海道・東武鉄道で活躍してい

ます。

「Ⅽ51形」

1919年から289両が製造された旅客用蒸気機関車で

登場時は18900形でしたが、1928年の称号変更で

Ⅽ51形となりました。

高速性能に優れ、戦前は東海道本線の特急「つばめ」

を牽引したのち、戦後289号機はお召し列車を牽引

しておりまして、

京都鉄道博物館でも装師

「Ⅽ53形」

1928年から97両が製造された旅客用蒸気機関車です。

多数の新機軸が多く盛り込まれているのにもかかわらず、

設計上の問題や複雑な構造が保守に手間をかけるため、

故障も多発し、

戦中の残酷と整備不良もあって、1950年に全機が

引退しました。

梅小路蒸気機関車館オープン時は動態保存されていまし

たが、車籍抹消の上で静態保存になりました。

「Ⅽ55形」

Ⅽ53形の後継車で、1935年から62両が

製造され、のちにⅭ57形のモデルともなった機関車

です。

Ⅽ11形の技術が複数採用されています。

20両は1934年から流線型に改装されていましたが、

期待したほど成果はなく、のちに姿が元に戻されました。

四国を除く日本各地で活躍しました。

「Ⅽ56形」

1935年から1製造されたローカル線向けの蒸気機

関車で、「ポニー」の愛称があります。

タンク式のⅭ12形をもとにテンダー式として燃料

の搭載量を拡大し、1939年までに160両が製造され

ました。

今はここ京都鉄道博物館の160号と大井川鉄道の2カ所で

動態保存されています。

「Ⅽ58形」1

ローカル線の貨客用機関車で、初めて密閉式運転室

を採用しております。

旅客用8620形と貨物用96000形の後継機として生産

され、1938年から1947年までに427両が製造され、

今もJR東日本と秩父鉄道で動態運転されいます。

「Ⅽ59形」

幹線旅客用として1941年から1947年までに

173両が製造されました。

東海道・山陽本線で優等列車の牽引で活躍しました。

この機関車は車長が21mもあり、亜幹線転用ができ

ないため、早期廃車が始まっていて、

うち47両は2軸増やしてⅭ60形に改造されました。

「Ⅽ61形」

戦後にⅮ51形のボイラーを再利用して製造された

旅客用機関車です。

足回りはⅭ57形がモデルですが、ボイラーが大き

いので、台車を1つ増やしており、

給炭の労力低減のため自動給炭装置を採用してい

ます。

将来のローカル線転用を考え、取り付けピンの変更

で台車の位置が変えられる構造でしたが、実際に

は東北や九州の地方本線で使用されていました。

「9600形」

国産初の貨物用蒸気機関車で、火室の上に台枠を

載せて大出力を実現しましたが、重心が高いため

高速運転には適用できませんでした。

計770両が製造され、戦後長らく活躍したのち、

追分の3両を最後に1976年、全機が引退しました。

「Ⅾ50形」140号機

9600形の後継機として、1923年から380両が製造

され、より大きいボイラーやシリンダーの採用で

東海道本線や中央本線で活躍しました。

登場時は9900形と言っていました。

 

戦後は2軸増やしてⅮ60形に改造され、140号機は

1971年まで九州で活躍しておりました。

「Ⅾ51形」1号機

1936年から製造された貨物用蒸気機関車で、

過去最多の計1115両が生産されています。

Ⅽ11やⅭ55形の技術を多用し、全長の短縮や

軸重の軽量化を図ったことで、入線可能線区が

拡大できました。

1号機は初期型で、給水温め器が煙突後部に

設置されカバーで覆われたことで、「ナメクジ」

と呼ばれました。

京都鉄道博物館にはもう1両、200号機が動態保

存されて、実際に本線でも運用に入っています。

 

「Ⅾ52形」

1943年から製造された貨物用蒸気機関車で、

Ⅾ51形をもとにボイラーをできる限り大きくする

一方で、戦時中の製造のため、工程が簡素化されて

おり、代用資材や木材も多用されたため、

十分な性能が発揮されず、

設計の簡素化で、蒸気の噴射やボイラーの破裂など

致命的なトラブル・事故もありました。

そのため、「爆弾蒸気機関車」とも呼ばれました。

 

戦後は貨物減少でⅭ62形やⅮ62形に改造されるなど

しました。

しかし難を逃れた、Ⅾ52形は1972年まで活躍しました。

364号機もその1両です。

「B20形」

1945年から翌年までに15両が製造された超小型蒸気

機関車で、

資材節約と構造簡素化のため、牽引力が小さく、

空気ブレーキを持たないため、主に入れ替え用に使用

されました。

10号機は1946年製で、姫路・鹿児島に所属したあと、

1972年に梅小路蒸気機関車館で静態保存されて、

2002年に動態化されました。

「豆タンク」という愛称があります。

 

当機には親戚がおり、石川県小松市で旧尾小屋鉄道5

号機関車、

加悦鉄道資料館にⅭ160号が保存されています。

「マイテ49」

1938年に製造された特急用客車で、戦前特急列車の

最後尾に連結されました。

戦後は一時期、進駐軍に接収されたのちに、1948年

には返却されました。

戦後復活した特急で再び連結され、1960年に廃車。

交通科学博物館で保存されますが、

1987年に車籍復帰、SLやまぐち号に連結されて、

2007年まで使用後は網干総合車両所宮原支所で保管

されたのち、

2022年に車籍抹消となり、京都鉄道博物館に収容され

ました。

「50系」

1977年に登場した新系列客車です。

地域によって仕様が異なり、

レッドトレインの愛称がありました。

 

JR旅客5社に引き継がれましたが、

JR北海道と西日本はこの車両を気動車

に改造したこともありました。

ほかも電車や気動車化で姿を消しており、

今は特別な用途で使用する程度です。

 

ほかにⅭ57形1号機や8620形・Ⅾ51形200号機が

おりますが、Ⅽ57形と8620形は扇形車庫でお尻を

向いて休憩され、

Ⅾ51形200号機は山口県へ出張されていました。

 

「おまけ」

梅小路運転区にⅮE10形がお休みされておりました。

たまに扇形車庫内にいることもあります。

こちらは出番待ちの223系。

嵯峨野線か草津線・湖西線での運用を向けて

スタンバイ中!

帰りに撮ろうと思っていたのは、もちろん!

二条駅舎!

近畿地方には駅舎を使用した博物館が3ヶ所あります。

 

また行きたいと思っております

ありがとうございました。