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本日5月14日で、信楽高原鐵道列車正面衝突事故から32年
が経ちます。
「信楽高原鐵道列車正面衝突事故」
1991年5月14日、滋賀県の信楽高原鐵道において
発生した列車衝突事故です。
信楽高原鐵道の列車(4両編成)と直通運転で乗り入れていた
JRの臨時列車(3両編成)が正面衝突し、
死者42名 負傷者614名を出す大惨事でした。
「概要」
1991年5月14日 午前10時35分頃、信楽高原鐵道の
紫香楽宮~貴生川間で、信楽発貴生川行きの普通列車
4両編成と、JR西日本が運行していた京都発信楽行き
臨時列車3両編成が正面衝突事故し、
両方の先頭車が押しつぶされて大破し、信楽高原鐵道の
2両は原型を留めないほど大破、
結果、死者42名 負傷者614名を出す大惨事となり、
衝突した臨時列車は乗客で超満員の状態で、被害を大きく
しました。
「なぜJRの臨時列車が設定されたの?」
さて、ではなぜJRの臨時列車がこの日走っていたのでしょう?
実はこの年の4月20日から世界陶芸祭が信楽で行なわれていて、
5月11日の地点で、50万人を数えていたそうです。
JRの臨時列車は、その来場者を運ぶために設定されていました。
そのため、信楽高原鐵道も所有車両総出で、来場者輸送に当たっており、
新たに小野谷信号所を2億円かけて新設するほどでした。
これは、甲賀郡信楽町(現甲賀市)の要望に答えて、両社が
それぞれ臨時ダイヤを設定したのです。
「なぜ大事故が発生したのか?」
では、なぜこのような恐ろしい大事故が起きたのでしょう?
実はこの事故、いくつかの欠陥や法令違反がありました。
第1の原因は、信号故障だと伝えられますが、これはただ発生
したのではなく、信楽高原鐵道が国の承認を受けずに、
無許可で改造していたのです。
なので、勝手に無断で魔改造したため、正常に動かなくなった
のです。
またJR西日本も、信号制御装置を国と信楽高原鐵道の許可なく
無許可で設置しており、
またこの信楽高原鐵道の信号故障で、代用閉塞装置を使用することになったのですが、
またこの装置も国の手続きをしなければならないところを、せずに使用するという違法な行為がありました。
またJRとの直通運転に必要な訓練なども、一度も実施されること
なく、訓練なしでこの直通運転が行なわれていました。
また直通運転するJR西日本に対し、信楽高原鐵道も当時のダイヤ
を伝えていないなどの欠陥がありました。
このような、ずさんな対策・体制が大事故につながったのです。
「関係者の逮捕」
この事故では、業務上過失致死傷の疑いで、
信楽高原鐵道の社員2名と、信号を修理した技師
1名が逮捕され、3名とも執行猶予付きの有罪となりました。
JR西日本には罰金だけで、社員の逮捕はありませんでした。
「事故後の影響」
この大事故は各地の鉄道会社に影響を及ぼしました。
「有田鉄道」
従来行ってきた乗り入れを廃止。
「鹿島臨海鉄道」
JR東日本へ直通運転する「ビーチイン大洗ひたち号」など
臨時列車におけるJRと私鉄・第三セクター鉄道との間の
直通運転も、この事故をきっかけに多くが中止されていきました。
さらに直通運転では、用意と訓練を行うことが求められるよう
になり、また従来ではJRの乗務員が相手先までそのまま乗務して
いることもあるあるでしたが、事故後は自社線内のみで行う
ようになりました。
これは、信楽高原鐵道の事故で、JRの臨時列車を乗務していたのがJR西日本の乗務員だったという点も、この事故の原因だと言われています。
この乗務の一例を挙げると、2005年の「愛知万国博覧会 愛知万博」では、JR東海と愛知環状鉄道の間で、乗務交代が行なわれて、
また事故当時、北近畿タンゴ鉄道(現京都丹後鉄道)では、乗り入れ時に運転士(現在は車掌も実施)の交代を行なっている例として、マスコミから取材を受けていました。
これは、JR宮津線時代から山陰本線と乗り入れ運転が多く、
転換時から乗務交代をしており、現在も特急やJRからの臨時列車
が相手側線区から継続して行われています。
これで終わります。
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