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本日は、昨日5月3日で発生から61年となった、三河島事故に
ついて触れていきます。
「三河島事故」
三河島事故(みかわしまじこ)とは、1962年5月3日に
常磐線三河島駅構内で発生した多重衝突事故のことです。
死者160名 負傷者257名を数え、戦後2番目の大惨事と
なりました。
(概要)
常磐線三河島駅構内で、貨物線から進行方向の右側
下り本線へ進入しようとした、田端操車場発水戸行
第287貨物列車(D51形牽引 貨物45両編成)が
停止現示の出発信号機を無視して、止まれ切れずに
安全側線に突っ込み、脱線し停車しました。
これにより機関車と2両目のタンク車(タキ50044)が
下り線を支障したのです。
その直後に、4分遅れで三河島駅を発車し下り本線を
進行してきた、上野発取手行き第2117H列車 6両編成が
下り線を塞いでいたタンク車(タキ50044)に衝突し、
先頭車(クモハ60005)と2両目の(クハ79396)が
脱線し、上り本線に飛び出した状態で停車しました。
さらに約7分後、その事故現場に上野行き第2001H列車が
(9両編成)が進行、線路上でホームへ避難途中だった
第2117H列車の乗客を数名はねた上、支障していた
2117H列車の先頭車に衝突し、これにより2117H列車の
先頭車と2両目は前頭が原型をとどめずに粉砕され、
2000H列車は先頭車(クハニ67007)が原型をとどめずに
粉砕され、2両目(モハ72549)は築堤下の倉庫に突っ込ん
み、3両目(サハ17101)も築堤下に転落、4両目(モハ72
635)も脱線しました。
結果一つの事故が原因で上下線が事故に巻き込まれたという
考えられない事故でした。
では、なぜこんなに大きな事故が起きたのか?
(原因)
1 第287貨物列車の機関士が信号を見間違えたこと※。
2 信号を無視したこと。
3 そして事故発生にもかかわらず、誰一人発煙筒を焚くなど
防護処置をとらなかったことで、
4 信号所も事故現場から近くすぐに停止信号を送れるはず
が、青現示のまま事故を確認しに行ったということ、
という人的ミスがあったからでして、
結果上り2001H列車は、事故のことを伝えられていなかった
ため、知らない状態で現地に入ったことになります。
(裁判)
最初の衝突から、約6分あったのにも関わらず、上り2001H列車の防護処置を怠ったとして、以下9名の関係者が逮捕・起訴されました。
287貨物列車 機関士・機関助手・車掌
下り2117H列車 運転士・車掌
三河島駅 首席担当助手・信号掛兼運転掛・信号掛
隅田川駅 三ノ輪信号扱所・隅田川駅運転掛
以上9名です。
(裁判の結果)
裁判で三河島駅助役と信号掛兼運転掛に禁固3年 執行猶予1年
の有罪、
信号掛に禁固8カ月執行猶予1年の有罪、
貨物列車の機関士に禁固3年
機関助手に禁固1年3カ月、
下り2117H列車の運転士・車掌に禁固1年6カ月が下されました
貨物列車の車掌・隅田川駅運転掛は無罪となりました。
また実刑となった4名は、判決が確定した1973年にこくてつから懲戒免職処分としました。
(対策)
事故後、常磐線へ乗り入れる全列車に信号煙管が取り付けられ
のちに列車防護停止装置※が開発され、装置されました。
またこの事故をきっかけにATS(自動列車停止装置)※が普及
することになります。
これで終わります。
ありがとうございました。