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本日6日は広島に原子爆弾が投下されてから77年となりました。
死者は14万人で、後遺症が原因で亡くなった方も含めると33万人に
もなりました。
今でさえ、ロシアが核を使うだろうと言われており、恐怖を感じています。
「原爆を解いた方、原爆投下を批判したアメリカ人」
原爆では、一瞬にして広島の街を破壊し、無関係の人々を犠牲にさせた
恐ろしいものです。
そんな原爆を5日後に解いた日本人がいました!
その方は仁科芳雄さんです。
この方は物理学者で、戦前から放射能について、研究されており、
原爆の存在もご存じでした。
8月6日の広島へ原爆投下を受け、5日後に政府調査団の一員として、
現地入りし、フィルムが感光していることから、これは放射能の仕業だと
し、原子爆弾と断定、政府に伝えました。
これはのちに仁科ノートと呼ばれました。
また8月9日に2発目の原子爆弾が長崎へ投下されたことを受け、現地調査
し、ここでも原子爆弾と断定しています。
また仁科さんは、終戦の玉放送で、原爆について解説もされたそうです。
すごい方がいらっしゃいました!
もう一人は原爆投下を批判したアメリカ人ということで、
その方はフロイドシュモーさんです。
この方はアメリカ カンザス州出身の森林学者で、子供のころから
人の命の大切さをご両親から伝えられ育ち、19歳の時に日露戦争
が勃発、シュモーさんは銃を持ちたくないとして、救護班に配属され
ますが、戦おうも戦ないも、残酷なじこくな惨状で、
戦争を憎むこととなります。
その後結婚され、大学教授にとなり、森林学を教えていましたが、
その矢先に太平洋戦争が勃発し、日系人の強制連行が行なわれ、
シュモーさんは「なぜこんなことをするのです?同じ人間なのに!」
と訴え、教授を自ら辞めてしまいました。
その後新聞で広島へ原爆投下を知った、シュモーさんは
「なんて、なんてことをしたんだ!彼らは民間人だぞ!ひどいひどすぎる!
最悪な日だ!」
と大激怒し、怒り悲しみ、
ナチスドイツのユダヤ人大量虐殺に匹敵する行為だとし批判して、大統領
に抗議電報を何度も送り付けて、
次に出た行動は、広島に家を建てるという計画を出し、
募金を始め、貯めたお金は4000万円で、1948年に広島を訪れて、惨状を目にしました。
その後広島市民や多くの方々と家を建て、広島市民の前でシュモーさんは
「私は戦争を憎んでいます、原爆を憎んでいます、私は原爆を落とした
同じアメリカ人として、心を痛めていました。」
と伝えて、胸の内を語り、その後も平和活動に貢献され、
朝鮮戦争で被災した、韓国に家を建て、核実験を批判したり、
内戦で被災した人の救難活動にも携わり、広島市の名誉市民ともなりました。
毎年6日に行われている、平和式典にも出席されていたそうです。
2001年に106年の生涯に幕を閉じました。
シュモーさんの気持ちは私たちに託されているのかもしれません!
平和がこのまま続いてほしいと思っています!