今度は車両紹介です。
「現行車両」
モボ101形
1929年に6両が誕生しました。
車体は半鋼製で、車長は15m、前面窓は3枚窓を使用し、右下に行先のサボが付いており、非貫通型(通り抜けのできない構造)で、
元はドアと連動のホールディングス ステップを装備していましたが、戦時中に取り外されています。
かつてはバンパー下にストライカーを装備していましたが、同じく戦時中に取り外されています。
1968年から車体更新され今に至っており、ワンマン改造や冷房改造も行なわれ、今も全車が活躍中です。
モボ301形
1971年に2両が製造されました。
後に嵐電スタイルと呼ばれる車体を使い、この車体デザインは更新後のモボ101形にも採用されています。
車体はモボ101形と同じで、前面窓も3枚あり、左右に標識灯、右下に行先用サボを設置し、
この車両は元からサイドミラーを付けており、ワンマン運転に対応しています。
車内はロングシートで、ワンマン運転のため運賃箱・運賃表を設置しています。
2007年に老朽化のため引退していますが、2008年に京都市営地下鉄東西線太秦天神川延伸により、運行効率向上のため、
301号のみ復活し、輸送密度の確保に貢献しました。
モボ501形
1984年から翌年にかけて4両が製造されました。
新製した車体と引退したモボ111形・モボ121形の足回りを再利用して誕生し、嵐電初の冷房付きとなりました。
カラーリングに変わりはありませんが、車体デザインが変わり、前面に1枚ガラスを使い、その下にライトが2灯ずつあります。
またドア配置も前と中央にあり、新型車らしさをものがたっていましたが、これが負荷となって稼働率が少なくなり、2000年に
2両が引退し、残る2両は2016年にリニューアルされ、ドア位置が従来と同じ位置に変更されました。
モボ611形
モボ111形の足回りと新しく作った車体を組み合わせて、1992年から誕生、車体は2枚窓になるとともにシールドビーム化されたことで
嵐電スタイルをモダンなデザインに変えました。
モボ621形
モボ121形の足回りと新しい車体と組み合わせて1992年に登場、デザインや性能はモボ611形と同じで、
共通したものです。
モボ631形
モボ611・621形と同じで、ク201形の機器を再利用し、新製車体と組み合わせて、1995年から登場。
性能・外観・カラーリングは同じですが、台車は新品を使っているのが異なる点です。
モボ21形
1994年に2両が登場、モボ121形の機器と台車を再利用し、新製したレトロ調車体と組み合わせて製造されました。
明かり取り窓とポールはダミーで、車体はダークブラウン色、帯は26号が金帯で27号が銀帯となっています。
2021年のパンタグラフが更新されました。
モボ2001形
嵐山線開業90周年の記念として、モボ501形の更新用に2000年と翌年に1両ずつ製造されました。
パンタグラフはシングルアーム式となり、機器も交流モーターとなり、車体・機器も含め新しく作られた新製車です。
この関係で他車との連結はできないです。
このため運用では、1両単行か2001形同士での連結運転となります。
「過去に在籍した車両」
モボ111形
モボ101形の増備車として、1932年に7両が製造されました。
車体はモボ101形旧車体と同じ形をしていました。
乗務員扉は運転台側のみにありました。
1984年に114号がモボ501形へ機器提出のため引退し、残る6両も1992~93年に機器提出して引退し消滅しました。
モボ121形
1936年と翌年に10両が製造されました。
車体はモボ111形と同じでしたが、台車のメーカーが異なります。
戦後1950年にク201形が登場すると、4個モーターに増強され、同車の牽引が役目となります。
モボ129・128・130号はモボ501形への機器提出のため引退、残る7両もモボ21形・621形へ機器提出のため引退し
廃車となりました。
ク201形
1950年に3両が製造されました。
路面電車では珍しい制御車(運転台付きのみの車両)で、嵐山方に運転台がありました。
そして四条大宮方に3個の窓がありました。
ラッシュ時や行楽シーズンにはモボ121形と連結して運転もされていました。
1995年~1996年に引退し、電気機器はモボ631形に流用されました。