尾藤庄蔵(びとうしょうぞう)1885~1945とは、旧加悦町 第14代町長 加悦鉄道第2代社長をされた方です。
「概要」
実は同じ名前の方が慶長5年(1600年)からおり、今回紹介する尾藤さんは11代目に当たります。
11代目尾藤庄蔵さんは、京都府立洛北高等学校・附属中学校を経て、明治大学に進学されました。
その際に横浜の外国人居留地で見た商館群を目にし、洋館建築に興味を持つようになりました。
その後10代の跡を継ぎ、尾藤商店を設立し、当初は経営が順調でしたが、第一次世界大戦で大きな損害が出たため、
江戸時代から受け継がれてきた、生糸絹織産業から撤退してしまいました、 その後は醤油店、その次は保険代理店
も営んでいました。
一方で、尾藤さんは1913年に加悦町議会議員や与謝郡会議員、1922年に宮津銀行取締役、加悦鉄道株式会社取締役
を経て、1928年に14代町長に就任されました。
町政では、前年に発生した丹後大震災の復興にも携わりました。
そして旧加悦町役場庁舎の復興や加悦駅前道路に府道網野福知山線の新設など、同町の近代化に大きな足跡を残し
1936年に2期の加悦町長就任とともに、津原武さんの後任として、第2代加悦鉄道社長となりました。
現在も尾藤さんの住宅が保存されていて、一般に公開されています。