国鉄120形とは、日本国有鉄道の前身である、鉄道院・鉄道省に在籍し、
加悦鉄道に入線したうえ、2号機関車となった蒸気機関車です。
「概要」
1873年に世界初の機関車製造メーカーである、ロバートスチーブンソン社にて製造され、同年に同形3両とともに輸入されました。
大阪~神戸間建設用に輸入され、翌年に同線が開業したあと、旅客列車けん引に使用されました。
当初の番号は16号機で、あとから12号を経て、120形123号となりました。
1916年、簸上鉄道(現JR木次線)に譲渡され、同社の2号機関車となりました。
1926年、加悦鉄道開業の時に同車を購入し、なぜか加悦でも2号となったままでした。
理由は記録がないためわかりません!
1956年にボイラーで水漏れが発生し、使用不能となり休車となってしまったのです。
以降は加悦駅・加悦SL広場で展示されてきました。
「主要諸元」
製造年 1873年6月?
車体長 8.2m
自重 23t
実用最高汽圧 8kg
「加悦鉄道での運用状態」
開業時は使用できる機関車が2号機関車だけで、旅客・貨物を1両のSLで行われていました。
加悦鉄道では、約30年間主力として活躍していて、戦時中に行われた、鉱石輸送にも参加していましたが、空気ブレーキは取り付けはされませんでした。
戦後は旅客列車をひっぱり、DB201の入線後も、時々しようされていました。
1956年に休車となり、休車後も加悦鉄道加悦機関区で保管され、機関区の職員により、維持管理されていて、加悦SL広場開園後も保存されました。 83年という長い記録でした!
83年間の走行距離は195万キロで、なんと!地球49周したことになる計算です。
「加悦鉄道廃線後」
加悦鉄道廃線後も加悦興産(現宮津海陸運輸)さんによって、整備・保存がなされ、広場移転後の2000年に産業遺産、2003年に与謝野町指定文化財、2005年に国の重要文化財、2017年に日本遺産に指定されていき、いつの間にか国宝になっていました。
加悦SL広場の閉園後は、旧加悦駅舎加悦鉄道資料館で保存するため、2022年3月29日に現地へ移転されました。
2022年4月のリニューアルオープンとともに、公開されています。