京都府丹後、古くより加悦谷と呼ばれている地区は高価絹織物「丹後ちりめん」の名産地として知られており、300年ほど前から生産されています。

 

そんな加悦谷の人々は全く交通に恵まれずにいました。

そして大正11年に公布された鉄道敷設法に「京都府山田ヨリ兵庫県出石ヲ経て豊岡二至ル鉄道」と明記され、鉄道省「現国土交通省」による測量が行われ、念願の交通機関しかも官営の鉄道が敷設されることになり、加悦谷の人々は大喜びだったと思います。

 

そこで加悦町「現与謝野町」が中心となり、組織を結成し本鉄道敷設を成功することを条件として立ち上がります。

そして幹部らは鉄道省を訪問し、山田~加悦間に地方鉄道早急に敷設したいと申し込み、了解を求め、鉄道省の実測による測量設計図書の閲覧をお願いしました!

しかし不幸にも翌年に関東大震災「大正12年9月1日発生」が起こり、保管していた現地測量図などが焼失し灰に帰してしまい、結果政府はこの加悦谷の鉄道敷設を断念せざるを得なかったのです。!

 

しかし加悦谷の人々は鉄道の敷設・建設を諦めずに、経験のある技師にその設計・測量を委ねたそうで、宮津市に弁護士事務所を構えていた津原武さんという方など、いろんな方が携わったそうです。

「ちなみにこの津原武さんは宮津町会議員や与謝郡会の議員もしていた

↓詳しく説明が書かれています。

その結果は、距離が5・7キロ、この建設金額は軌条又び車両の中古品を採用すれば、30万円で建設できるとの回答が、大正13年に結論されたそうです。

 

そこで資金30万円の株式会社設立すべく公募株式を募集したところ、なんと823人の出資者がでたそうで、当時加悦谷には19000人が住んでたと言われ、これだけの出資者が来てくださったのは、それだけ鉄道の必要性を求めていたのでしょう!!

 

そして大正14年に地方鉄道設立の免許を得て、同年加悦鉄道株式会社を設立し、大正15年12月5日に念願の加悦鉄道が開業したのです。

         加悦鉄道 2号機関車 井上晴人撮影。

 

 

よみがえる加悦鉄道 加悦鉄道史より参考。