「え?幽霊?ああ、見えるよ。普通に。」
「え?別に、怖くはないよ。あんた、道歩いてて、前から来た人を見たら怖いかい?駅のホームで電車を待ってる人を見たら怖いと感じるかい?」
「そうさ、最初っから何の違和感もなく、普通にそこに居るんだから。」
「生まれて物心付いたときにはすでに見えていたら、それが当たり前だって思うだろう?」
「例えばさ、例のUMAってやつね。雪男だとかネッシーだとか、あれだって未確認だから不思議なんだけど、確認されたら動物図鑑に一種類増えるだけだろう?それとおんなじだよ。」
「だから何も怖がったりする必要はないのさ。」
「認めてしまえば恐怖はなくなる。“死”も同じことが言えるんだよ。」
「え?別に、怖くはないよ。あんた、道歩いてて、前から来た人を見たら怖いかい?駅のホームで電車を待ってる人を見たら怖いと感じるかい?」
「そうさ、最初っから何の違和感もなく、普通にそこに居るんだから。」
「生まれて物心付いたときにはすでに見えていたら、それが当たり前だって思うだろう?」
「例えばさ、例のUMAってやつね。雪男だとかネッシーだとか、あれだって未確認だから不思議なんだけど、確認されたら動物図鑑に一種類増えるだけだろう?それとおんなじだよ。」
「だから何も怖がったりする必要はないのさ。」
「認めてしまえば恐怖はなくなる。“死”も同じことが言えるんだよ。」
2006年1月2日 午後11時30分 母が死んだ。
昼間に見たときには、眠ったままで、ずっとうわ言を言っていた。
「もう、ええんよ。もう、ええんよ。」と。
彼女はいったい何に許しを請うていたのだろう。今となってはわからない。
ただ、臨終のあと、主治医の先生がこんなことを言っていた。
「たぶん、体と心が、死を受け入れる準備をしていたのでしょう。」
わたしは、その医者の言葉がどうも引っかかっていた。
「死の受け入れ。」
では受け入れなければどうなる?
体は認めても、心がそれを認めなければどうなる?
街で見かける幽霊たちは、認めなかった人たち?
自分の死を認めないとはどういうことなのか?
例えば、ある死刑囚の男がいたとする。
そしていよいよその刑が執行されるときに、その男は全身全霊を持ってその刑に抵抗したとする。
もちろん、どんなに抵抗したところで、死から逃れることはおそらく不可能だろう。
では、その男は、自分の死を認めなかったのか?と言えば、そうではない。
彼は、やがてその肉体に死が訪れることを知っていたのだ。だからこそ、それに対して抵抗したに違いない。
つまり、自分の死を予想して認めていたことになる。
認めた時点で、この世に残ることはおそらく不可能なのではないだろうか?
自分は死ぬのだ。死ぬかもしれない。と死を予感したときに、完全な死がやって来るに違いない。
バスを待つ子
あ、今日もやっぱり居る。
いつものことなので、別段、わたしは何も驚くこともない。
毎日通勤で通る大通りの交差点付近にあるバス停に、いつもうずくまっている小さな男の子がいた。
彼はどうもこの世の人ではないらしい。
わたしが車窓からその姿を認めると、彼はすぐに消えてしまう。
わざわざ隠れなくてもいいのに。わかっているのに。なぜ隠れるのだろう。
実は隠れるのは、その子に限ったことではない。
「あ、あそこにいる。」と、わたしがその存在に一瞬で気付くと、霊たちはすぐに居なくなってしまう。
「やばい!見つかった!」と言わんばかりに、気付かれたことがわかると誰もが、すぐに消えてしまうのだ。
そんなときにわたしは心の中で思っている。「わかっていますよ。そこに居ることはね・・・。全部お見通し。」とね。
わたしは、その男の子をあまりに何度も見かけるので、どうも放って置けなくなってしまい、少し調べることにした。
そして、その街の警察の交通課へ足を運んでみると、予想通りのことが判明した。
七年前、暴走運転した車が、バスを待つ人の列に突っ込んだのだ。
その時、犠牲者は二人いて、一人は、中年の女性。
彼女は、事故直後にはまだ意識もあり、搬送先の病院で家族の見守る中で息を引き取ったらしい。
しかし、その小さな男の子は、乗用車の直撃を受けて心臓破裂の即死だった。
自分が死んだことさえわからないのだ。
つまり、死を認めていないのだ。だから、そこでずっとバスを待ち続けているに違いなかった。
わたしは気の毒に思い、差し出がましいようだが、その子のご遺族にそのことを知らせてあげることにした。
ご遺族は、母と姉の二人だった。父は早くに離婚してしまって今はいっしょに暮らしていないとのことだった。
わたしの突然の訪問を受けて、その家族の方はさぞや驚かれたろうと思いきや、そうではなかった。
何度もお墓にお参りに行ったにもかかわらず、毎晩のようにその子の夢を見ていたのだそうだ。
「あの、こちらのお宅にも、もちろんお墓にも、その子は、いませんよ。」
と、わたしが教えてあげると、心から納得したように、「やっぱりそうでしたか。どうも毎晩夢枕に立つので何か言いたいことがあるのではないかとずっと思っておりました。」と言うことだったので、早速その二人のご遺族とわたしはそのバス停を訪れることにした。
いつものことなので、別段、わたしは何も驚くこともない。
毎日通勤で通る大通りの交差点付近にあるバス停に、いつもうずくまっている小さな男の子がいた。
彼はどうもこの世の人ではないらしい。
わたしが車窓からその姿を認めると、彼はすぐに消えてしまう。
わざわざ隠れなくてもいいのに。わかっているのに。なぜ隠れるのだろう。
実は隠れるのは、その子に限ったことではない。
「あ、あそこにいる。」と、わたしがその存在に一瞬で気付くと、霊たちはすぐに居なくなってしまう。
「やばい!見つかった!」と言わんばかりに、気付かれたことがわかると誰もが、すぐに消えてしまうのだ。
そんなときにわたしは心の中で思っている。「わかっていますよ。そこに居ることはね・・・。全部お見通し。」とね。
わたしは、その男の子をあまりに何度も見かけるので、どうも放って置けなくなってしまい、少し調べることにした。
そして、その街の警察の交通課へ足を運んでみると、予想通りのことが判明した。
七年前、暴走運転した車が、バスを待つ人の列に突っ込んだのだ。
その時、犠牲者は二人いて、一人は、中年の女性。
彼女は、事故直後にはまだ意識もあり、搬送先の病院で家族の見守る中で息を引き取ったらしい。
しかし、その小さな男の子は、乗用車の直撃を受けて心臓破裂の即死だった。
自分が死んだことさえわからないのだ。
つまり、死を認めていないのだ。だから、そこでずっとバスを待ち続けているに違いなかった。
わたしは気の毒に思い、差し出がましいようだが、その子のご遺族にそのことを知らせてあげることにした。
ご遺族は、母と姉の二人だった。父は早くに離婚してしまって今はいっしょに暮らしていないとのことだった。
わたしの突然の訪問を受けて、その家族の方はさぞや驚かれたろうと思いきや、そうではなかった。
何度もお墓にお参りに行ったにもかかわらず、毎晩のようにその子の夢を見ていたのだそうだ。
「あの、こちらのお宅にも、もちろんお墓にも、その子は、いませんよ。」
と、わたしが教えてあげると、心から納得したように、「やっぱりそうでしたか。どうも毎晩夢枕に立つので何か言いたいことがあるのではないかとずっと思っておりました。」と言うことだったので、早速その二人のご遺族とわたしはそのバス停を訪れることにした。
現地を訪れると、やはり男の子はずっとそこに座っていた。
母と姉がそのバス停まで行ったとき、その子は少し微笑んだような顔になり、そのまますーっと消えたかと思ったら、その姉が急にわんわん泣き出したのだ。
母が、そのわんわん泣く姉に向かって、「○○ちゃん、ゴメンな、ゴメンな、長い間、気が付かなくてほんとにゴメンな。お母ちゃん許してな。さあうちに帰ろう。」と言うと、姉は泣き止み、大きな声で「お母ちゃんごめん、心配かけてごめん。」そう言って二人で抱き合った。
これであの子はきっと自分の死を認めて受け入れることができたはずだ。
その日以来、わたしは、そのバス停で男の子の姿を見ることはなかった。
母と姉がそのバス停まで行ったとき、その子は少し微笑んだような顔になり、そのまますーっと消えたかと思ったら、その姉が急にわんわん泣き出したのだ。
母が、そのわんわん泣く姉に向かって、「○○ちゃん、ゴメンな、ゴメンな、長い間、気が付かなくてほんとにゴメンな。お母ちゃん許してな。さあうちに帰ろう。」と言うと、姉は泣き止み、大きな声で「お母ちゃんごめん、心配かけてごめん。」そう言って二人で抱き合った。
これであの子はきっと自分の死を認めて受け入れることができたはずだ。
その日以来、わたしは、そのバス停で男の子の姿を見ることはなかった。