今回は愛犬と一緒に訪問してきました。

一夜城で知られる石垣山城は、小田原城攻めのために築かれた陣城ですが、なんと、東日本最古の近世城郭なんだそうです。


 石垣山城


⚪︎南曲輪石垣

⚪︎南曲輪石垣

まず目に飛び込んでくる巨大な石垣に心が踊ります。

関東大震災でも崩壊しなかったとか。

野面積みで有名な穴太衆により築かれました。

隅角部は巨石を使用。


⚪︎南曲輪石垣

崩れかけてはいますが、それでも充分な高さがあります。


⚪︎東口城道

切り通しかと思ったら登城道でした。

左が南曲輪、右が東曲輪で、城道の守りを固めています。

本丸への登城口は2ヶ所。東口と北口にあり、こちらの東口が大手と言われています。

(北口を大手と考える研究者もいるそうです)

崩壊した岩があって、通ってよいものか分からないので、整備されている道から二の丸へ行きました。



⚪︎東曲輪上段石垣(左)と二の丸石垣(奥)

奥の二の丸(馬屋曲輪)の石垣は、延長67m、最大高さ約6mで、良好な状態で残っています。


⚪︎二の丸石垣


⚪︎二の丸


⚪︎二の丸

奥が本丸です。


⚪︎二の丸櫓台

北口中門がありました。


⚪︎井戸曲輪

淀君化粧の井戸とも伝わる石垣山城の見どころのひとつ。谷地形にある湧水点に石を積み上げています。




井戸は二の丸から25m下がったところにあります。石碑のある場所は中間地点くらいでしょうか。

井戸まではスロープや階段で螺旋状に降りられる構造になっています。


今でも湧水が出ています。


すごいワン!


小田原城から見える北側を意識して石塁が積まれたと言われています。

それにしてもよく石積みが残っていています。


続いて北口城道から本丸へ向かいます。


北門は、外桝形と内桝形をセットにした二重桝形構造で、コの字状に進みます。

二重桝形構造は、織田・豊臣の城の特徴です。


⚪︎外桝形

本丸から一段下がっていて、二の丸に張り出す形です。

⚪︎本丸北側石垣


⚪︎本丸


⚪︎展望台からの眺望

小田原城下、相模湾がよく見えます。

豊臣方の水軍は1万と言われていて、下田城を落とし海域を掌握しました。


⚪︎天守台

多くの瓦が出土されており、かなり大きな瓦葺きの天守が建っていたと推測されています。


⚪︎天守台跡


東曲輪上段?


⚪︎南腰曲輪 

南腰曲輪北門跡はこの辺りでしょうか。

二の丸に続く門がありました。


⚪︎南腰曲輪 

南腰曲輪は、大手門を入ったところに位置し、本丸、二の丸、南曲輪、西曲輪の4方向へ繋がっていて、各曲輪の入り口には門と櫓が建てられていました。


⚪︎西曲輪東門跡

左に櫓台、右は本丸


⚪︎西曲輪

西曲輪の南側には大堀切が見つかっていて、さらにその先には出曲輪があり、西の守りを固めていました。

⚪︎西曲輪から見た天守台


⚪︎天守台の石垣


⚪︎南曲輪


南側曲輪から見下ろすと駐車場


⚪︎南曲輪東口内門

南曲輪から見て、一段目が南腰曲輪、二段目が本丸です。


⚪︎南曲輪東口外門

門跡の両側に櫓台が残っています。

東口城道は、来た時に石がゴロゴロしていて、登るのを断念したのですが、上から見ると下りられそうなのでここを通って帰ります。


⚪︎東口城道



戻ってきました。

想像以上の見応えでした。



<石垣山城について>

1585年 関白に任官した秀吉は、九州、四国を平定。残るは関東、東北のみとなると、大名間の領土紛争を禁ずる「関東・奥惣無事令」を出します。

1588年 聚楽第への後陽成天皇の行幸が叶うと、諸国大名に上洛を求めますが、北条氏はそれに応じません。次のターゲットが北条氏に定まりつつある中、1589年に「関東・奥惣無事令」を破る名胡桃城事件が起こります。

北条討伐の口実を得た秀吉は、1590年3月1日 東征を開始。3月29日に山中城を落とすと、箱根を越え、4月6日箱根湯本の早雲寺に着陣。その日のうちに笠懸山(石垣山城)に登り小田原城を視察しました。

一方で北条側も、秀吉が大軍で攻めてくることを想定し、小田原城大外郭を完成させ、籠城戦に備えていました。

周囲9kmにわたる大外郭を見た秀吉は、長期戦の構えで、小田原城を見下ろせる笠懸山に城を築くことを決め、わずか82日間で石垣の城を完成させました。

6月26日 秀吉は笠懸山に本陣を移すと、周囲の木を伐採。城が一夜にして出現したように見せ、北条方の戦意を失意させました。このエピソードが「石垣山一夜城」の由来となっています。

秀吉は、在城中に天皇の勅使を招いたり、千利休や淀殿を呼び茶会や宴会を開くことで、財力や権力を誇示します。

また同時進行で、北方部隊、関東勢力、水軍による支城の攻略を進め、小田原城を完全に孤立させることにも成功します。

小田原城包囲の戦いは、4月3日より始まり、7月5日に北条氏直が開城降伏したことで終結しました。



石垣山城は、陣城のため、北条氏が敗れた後は、廃城となりました。石垣山城の縄張りは、黒田官兵衛が有力とされています。


<達成状況>

🔹100名城(14/100)

🔹続100名城(15/100)