【拡散希望】岩手の事件に関する報道関係者の実態等 | 大島優子&大島涼花 栄は揺るがぬ、木本花音

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夜になってようやく報道関係からの連絡がやんだ。

正直、連絡してきた報道の姿勢とやり方には落胆した。

しかし、その最後に震災報道では見なかった新しい面を見た。

なので少々思うところがある記事になるがその新しい一面を忘れない為に書き残したい。



事件のあった日から今日の夕方まで報道各社の取材の申し入れや連絡は凄かった。

お構いなしに着信が鳴る。

現地の状況を語ってくれだの、事件を目撃した人を紹介してくれだの、訪問したメンバーさんが襲われたことについてコメントをだの、子供達に事件のコメントをとってくれだの、甚だ呆れるばかりだ。

中でも3年間誰かのためにプロジェクトや訪問でお世話になった岩手の報道機関の一斉の手のひら返しの報道姿勢には落胆した。

普段は「いつも訪問してくれてありがとう」などとインタビューをしながら、いざ事件が起きると詳細もわからない人間の言葉をそのまま流し確証も無い情報ばかりを我先に入手しようと走り回る。

「血を流した場面は見ましたか?」
「誰かショックを受けた人を紹介してほしい」

その為に子供達や町の方々にまで連絡し根掘り葉掘りしようとする。



以前同じ県内の報道関係者の方に面と向かってこう言われたことがある。

「ジオラマは素晴らしいが報道の価値は無いししようとは思わない。
何故なら山田町は悪質なNPOのイメージがあるので話しにならない。
そういうイメージがあるので取材も報道もするわけにいかないんです」

それが事件が起きると一斉に手のひら返して取材の攻勢だ。

震災のときと同じ、真実などお構い無し。

台本ありきの取材方針。
自分達の記事を裏付けるコメントやインタビューがあるまでやめない。

最初から「こういうことだろう」というメディアの報道姿勢は決まっている。


ここまではよくあるメディアの姿勢だ。

これだけならオレも書き残しておきたいとは思わなかった。

ここからは震災では見れなかった新しい面だ。



オレは町の方にも当然報道関係から連絡がいっているだろうと思った。

町の方や子供達にも躊躇なく取材を入れているだろうと不安だった。

それが子供達や町の人の不安を拡大させるのではと心配だった。

だが町の方々から「取材は全て丁寧にお断りしました」との連絡があった。

町の方々は全員で今回の取材の趣旨はメンバーさんの為にならないと判断して全ての取材を断っていたのですよ、と聞かされ驚いた。

それ以外にも町や被災地訪問があった場所の方々から事件が県内で起きたことへの謝罪と励ましの連絡を頂いた。


メンバーさんやスタッフの方、ショックを受けたファンの方々に
「大変でしょう、とてもやりきれない。心中をお察しするばかりです」
「安全は構築するとして、楽しいことは同一視せず自粛しないでほしい」
と労われる言葉もたくさん頂いた。

仮設に住んでいる方々からだ。

被災地の方々や町の方々、親御さんも子供達も混乱に乗じないこと。

マイナスイメージに繋がることはお世話になったメンバーさんやファンの方に対する姿勢ではないと心を合わせ一切の報道取材を断ったとする報告には頭が下がった。

なぜこんなに連携が取れたのか、そう決断できたのだろうと思った。



震災の時の報道ではこんなことはなかった、不思議だった。

以前、運営のスタッフさんやメンバーの皆さんから聞いた言葉がある。

「一日の訪問で本当に力になっているのかと言われれば難しい。
被災地に来て勇気付けるつもりがいつも勇気付けられる。
どうしたら本当の力になれるのか、悩みながらでも続けます」

オレはそれにハッキリと答えることができなかった。

しかし今、それにようやく自信を持って答えることができる。

本当に現地の人々に勇気を与え力になっていたんだと。

信頼を得てメンバーの皆さんやスタッフの皆さん、ファンの皆さんは被災地の方々に愛されていたのだとわかった。

「今度は私達がメンバーを守る番ですね!」と町の方々は言った。

泣いた。

メンバーの皆さんはいつも言う。

「私なんかで力になっているんでしょうか?」と。

力になってる。

希望になっているんだと伝えたい。



続けてきた誰かのためにプロジェクトというものは、汗と涙は無駄ではなかった。

答えにたどり着いていたんだ。



ファンの方々は遠くからジオラマを見にやってくる。

遠くは2000キロから県内の方々まで。

みんなが少しでも被災地の役にたとう、いっぱい食べよう、いっぱい笑おうと遠い沿岸の被災地までやってきてくれるのだ。

その努力と誠意、優しさは一つになって町の方々や訪問した場所の人々の気持ちを動かした。

震災のときにはなかった新しい何かが生まれていたのだ。

オレは前に立っていたのでそれに気づかなかっただけだった。

子供達から連絡があった。

親を震災で亡くした子からだ。

「キバさん、ジオラマをつくろう!私達はとまっちゃダメ!」

そうだ未来があるんだ。

きっと先には希望が待っているんだ。