道元和尚が弟子たちに説いた『脚下照顧のこころ』

 

ご承知の通り、『脚下照顧』とは、他に向かってごちゃごちゃと

理屈を言うより、自身の足元を顧みて謙虚に反省せよということ。

 

      

 

兎角すれば、我々は日々を送る中で自身の心がいつの間にか傲慢に

なって知らず知らずのうちに他人を傷つけてしまうことが間々ある。

 

また、自身が奢り いつの間にか『正義』という理屈をこねてしまい

周りを翻弄してしまうこともある。

 

        

 

最近、親しい仲間内でそんな傍若無人な心を持った人から友人たちが

ひとり、ふたりと去っていく仲間がいるのではという話になった。

 

歳を重ねていくうちに知らず知らずの間に自身の心に傲慢さが

蓄積してそのことに気づかずに周りとの軋轢にも『正義』という刃を

振りかざして、いつの間にか気が付けば親しい人たちや大事な友達が

離れたり、去っていくことを垣間見ることがある。

 

      

 

思えば、独り善がりな『理屈が正義』という何とも言い難い悪臭を

周りの人たちに放っている輩を見かけれることが間々あるのだ。

 

   

 

人に精神的な危害を加えている自覚もなく人の輪もかき乱すことに

気づかずに過ごしている哀れな人を見かけることがあるということ。

 

だから、思うにいつでも自身の足元を見つめ、謙虚に 真摯に 愚直に

「今日の自分がこれでよかったのか?」という振り返りの心を懐に抱えて

日々を送る大切さを知るべきだろうと思う。

 

      

 

他人の行動や言動を観て聞いて反面教師としてわが身を振り返れる

自分をいつも傍に置いて在ることが大切ということだろう。

 

特に年下の人や自分の身内などから忠告されたり、注意されたら

謙虚に反省したり、立ち止まって自分を振り返れる素直な心を持って

自分自身を見つめ直す時間と場面があっていいのでは。

 

       

 

そんな自身の『心の洗濯』を繰り返しながら自身の成長を図ることが大切。

 

      

 

他人に寄り添える自分、他人の心を理解する自分、他人を愛せる自分といった

たくさんの陰徳を積むための『脚下照顧のこころ』を日常生活の中で

小さな努力と地道な歩み方が自身を磨き上げていく「心の知恵」なのでは。

 

       

 

『脚下照顧のこころ』を忘れずに自分の成長を培う努力することができれば

きっと人生は豊かな歩みと倖せを見出せると信じて毎日を過ごしてほしい。

 

       

      (画像はネットからお借りしました)