今年も春の季節が訪れテニスも始まった。

5月の新緑がまぶしい函館山の麓のテニスコートに

仲間たちが集い、テニスを楽しむ季節が来た。

 

テニスコートに1年ぶりに我のチームで最高齢の Iswさんが来てくれた。

彼女は84歳、ご高齢の一人暮らしである。

昨年の夏頃から体調を崩し、約1年ぶりにコートに顔を見せてくれた。

 

コートでの練習を中断して我はハグをしながら彼女を歓迎した。

Iswさんの身体は一回り小さくなり背中も丸くなったような気がした。

 

『どうしていましたか?』 という我の問いかけに 『昨年から身体が

思うように動かず、手も震えて病院に行ったらパーキンソン病と

診断された』 と淋しげに彼女はお話ししてくれた。

 

『だから、もうラケットは持てないかも…』と うつむいて寂しそうに呟いた。

来てくれた彼女はラケットを持たず、仲間たちに桜餅を持ってきてくれた。

仲間皆で桜餅をごちそうになりながら それぞれが彼女に声をかけてくれた。

そんな仲間たちの優しさに溢れた心遣いと気遣いが嬉しい。

 

しばらく、我はテニス練習を止めて彼女とベンチに並んでいろんなことを話した。

普段の生活のこと、食事のこと、日々の暮らしのこと等々を。

Iswさんの姉妹がみなお浄土に旅立ち、天涯孤独のひとり身になった

彼女の心の拠り所は、このコートの中での仲間たちとの語らいと繋がりが

唯一の心の支えなのかもしれないと彼女の震える手を握りながら ふとそう思った。

 

我は、『Iswさん、ラケットを持てなくても ここに来れば仲間がみんな待っているよ。

身体の調子の良い時に森林浴も兼ねて ここに来て美味しい空気と皆とおしゃべりして

楽しいひと時を過ごして下さいね。時々テニスコートに顔をみせてください。』と伝えた。

Iswさんは、嬉しそうな表情を見せて ただ一言『ありがとう』と言ってくれた。

 

高齢の彼女にとってこれからを《生きる勇気》は、部屋に閉じこもって過ごすより

(今日用) & (今日行) 】 が何よりの心の栄養剤なるのかなあと彼女の横顔を

見ながら そう想った。

 

高齢になってくれば部屋でテレビばかりに齧(かじ)りつくより、気持ちを切り替えて

"今日用事を造って、今日をお出かけすること"が一日を楽しむことに繋がり

そして これからを生きていく中で 《生きる勇気》を懐に入れながら 日々を暮す

知恵なのではないだろうかと彼女と話してそう思った。

 

高齢になってラケットを持てなくなっても、デニスに興じることが出来なくなっても

そんな彼女を迎え入れる おもてなしの 【 (今日優) & (今日歓) 】 あってもいいのかもしれない。

"今日を優しく、今日を歓んで迎え入れる" ホットなおもてなしの心有ってもいい気がする。

 

皆 いつかは 「ゆく道くる道」 だ。 人はみんな平等に彼女のように確実に歳を取る。

兄弟姉妹たちも皆、自分の周りからいなくなった時に、唯一残る自分と親交のある

人たちとの交わりや繋がりを大切にすることが大事なのかなあと思いながら

Iswさんからテニスクラブの年会費3千円を有り難く受け取った。

 

コートのすぐそばにある函館公園の桜は、我や仲間たちと談笑するIswさんを

歓迎するかのように満開の花を咲かせて微笑んでいるかのように想えた。