最近、随分世間が騒がしい。
特に政治世界の中で繰り広げられる
言ってはならない『奢り』が罷り(makari)通る、何とも奇妙な奇怪な
意味不明の軽率な発言が多くなっている。![]()
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我々庶民からみれば、『コミュニケーション力の幼児性』があちこちで
展開されていることは嘆かわしいことだと思わず苦笑してしまう。![]()
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人として『奢り』の積み上げは何を生むのか。
その結果は『傲慢さ』だ。![]()
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だから 日々を暮す中で一番気を付けなればならないのが『奢りの心』だ。![]()
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神代の時代から 生きる中で知らず知らずの中に生まれる【隙(Suki)】が
広がっていくと『奢り』が生じ、結果的に『傲慢』に繋がっていくのでないか。![]()
ひとりの人として一番慎まなければならない《失徳》に繋がっていくということを
心せねばと 我はいつも思うのだ。![]()
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我らが生きるこの時代は、利便性や実効性、有効性だけを追求していけば
人として一番大事な『良心の根っこ』
にあるものが置き去りにされるということを
決して忘れてはならない。![]()
良心の根っこ=信用・信頼・謙虚=人徳 ![]()
いつも人として『良心の根っこ』
を懐に抱えて人との交流や自身の
コミュニケーション力に細心の注意を払いながら いつでも何が大事か
ということを意識しながら暮らすことが肝要ではないかと我は思う。![]()
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兎角すれば、人は自分だけの合理性や利己性だけで前に進めば、
目の前に転がっている一番大切なものを見落とす可能性が潜んでいる
ということをいつでも、どこでも決して忘れてはならないことと我は思う。![]()
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禅の言葉に 『脚下照顧』 という言葉があるそうだが、いつも足元の
大切なものを見つめて、いつでも元の自分に戻れる、原点に帰れる
謙虚なOnoreでなければ 小さな『奢り』の積み上げが、終いには
【傲慢】の塊となり、心に歪みが生じ、人格の欠落に繋がることを
戒めとしていつも謙虚な自分であることが大事ではあるまいか。![]()
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いつでも原点に戻れる柔軟な心、そして謙虚なおのれであってほしいと
我は切に願うものである。![]()
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