こちら
北海道新聞の電子版に掲載されていました。
剣淵で第1回絵本サミット
読み聞かせ事例紹介
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/745491/
新聞記事にありますように
北海道の剣淵町にある「絵本の館」という
図書館で
村中李衣さんの講演会がありました。
大好きな
大好きな
村中李衣さんです。
わたしは
村中李衣さんを10年前に知ってから
ずっとずっと
大好きです。
お会いしたことはなく
本を読んだだけでしたが
すぐに大好きになりました。
今回、初めて
リアルで李衣さんにお会いできました。
そんな大好きな李衣さんの著作の販売があって
迷いに迷って2冊購入しました。
(ほかにもほしい李衣さんの本があった)
(買えばよかったかも)
(今では買えない本もあったのに)
そのうちの1冊を
泣きながら読み終えました。
(千葉県の小見川北小学校へ講演会へ向かう電車内で読んでしまいました)
(行き帰りで2回読みました)
それがこの本です。
哀しみを得る
見取りの生き方レッスン
村中李衣
かもがわ出版
イラストは
メグホソキさん。
今、読めてよかったと思いました。
いつか、李衣さんがこの本の中で教えてくれたレッスンが
すごく具体的にわたしを助けてくれるだろうと思います。
この本には、李衣さんのプライベートな時間が
ありありと描かれていました。
李衣さんが
お母さんとの最期のときを
どのように過ごしたかを
「書かずにはいられなかった」本です。
わたしは
「レッスンをはじめます」という前書きを読んでいて
びっくりしました。
李衣さんがプランターで育てていた
小松菜についての
この部分
(以下引用)
もう、ワタクシは、あなたたちのものではありません、もう、自分として咲き、自分としての使命、種を残すだけでございます、という強い意志を指先に感じ取りました。
(引用ここまで)
小松菜になり切った李衣さんの声が聞こえたのです。
きっと李衣さんは、小松菜の声をこんなふうに聞いたのだろう、という。
その小松菜になり切っている李衣さんを真似して見せることができます、わたし。
短い時間ではあったけれども
李衣さんの
お人柄を生でありありと感じることができたから
こんなにも馴れ馴れしく
わかったような気に簡単になってしまうんだろうと思います。
くも膜下出血のため
宇宙船のような病室に入院されたお母様に
李衣さんの息子さんがバッチをつけたそうです。
そのショッキングピンクのバッチには
「ほめればのびる子」
と白抜き文字で書かれていたそうです。
そのバッチを見て
李衣さんは立ち尽くしたそうです。
息子さんは、ちゃんと危なくないように
裏のピンを外して
ガムテープで貼るように細工していたそうです。
わたしは
なんてユーモアのある
優しい息子さんなんだろうと
泣きながら笑っちゃうような気持ちに
なりました。
レッスンノートとして
こんなふうに書いてあります。
(以下引用)
こんなときだからこそ、やわらかい息をしよう。
やわらかい呼吸で包むことで、病と闘う家族の尊厳を静かに守りたい。
(引用ここまで)
李衣さんが
娘さんと二人で
物語を読んでCDに録音して病室に届けるくだりも
泣けて泣けて。
李衣さんが
泣きながら
お母さんに謝るんです。
あんなことしちゃってごめんね
あんなこと言っちゃってごめんね、と。
(以下引用)
「どうしてひと言、〜って言っておかなかったんだろう」という後悔だけは、わが家には、ない。
(引用ここまで)
あああ〜。
いいなあ。
後悔したくないもんなあ。
でも、もしかしたら、もう今から
できること
あるかもしれないんだよなあ。
仲良しで
理解しあってて
労りあって
わだかまりなく
愛し合っている
家族だけが
このような看取りが可能なのだとしたら
わたしは絶望的になってしまうけれど
李衣さんは
こんなふうに書いてくれる。
(以下引用)
家族づくりの初心者同士がどう関係を結び合っていくのかには、そのひとつ前の家族づくりの歴史が影響を及ぼすことも事実。
父や母の私に対するいびつな接し方も、さかのぼれば無理からぬ育ちの背景があることに気づかされる。
でも、それを全部整え直すことなど不可能で、いびつなものを正直にぶつけ合いながら進んでいくしかないではないか。
そうしているうちに、こわばった関係の見直しが、無理なく自然にできるときがいつかくる。
(引用ここまで)
それなら。
わたしでも
希望はあるのかな、と思えました。
うまく書けなくてごめんなさい。
読んでほしいです。
剣淵町で李衣さんに
いただいたサイン
メルマガ配信してます