名古屋下町昭和風俗談 第三十一回 | 美雪 伸

美雪 伸

「岩倉日誌」    
「江戸時代廓事情伝」 
「房洲の海に散る花」
「におい珍噺」
「死臭を嗅ぎ分ける変な奴」
「随筆」昭和、平成を生きる。
「遠州真吾のお色気旅」
「魔女の如し」おていと云う女

名古屋下町昭和風俗談
      
第三十一回
     美空ひばりさんの

        死亡新聞発見
 

          旧住所 名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地
 物語が前後するが散りじりになった2丁目3番地の尾崎、小島、

 

成田と我が家横井の四軒は終戦時にはそれぞれ疎開して行方は分

 

からん次第で以来ここえは行った事がなく周辺住民の消息は耐え

 

た。が我が家に「不発焼夷爆弾(120発)」が落ちた以来立ち

 

入り禁止の挙句「疎開」から縁がきれた状況でその後2丁目4番

 

地にいた同級生「丹羽信男」の家へ寄り卒業アルバムを写真に

 

撮って話をするも話題がかみ合わず失礼する。

 

 帰り際二丁目三番地の「金子」宅へよつた、ここは疎開もせず

 

終戦を超えた、まあ度胸のいい家庭だが当時は戦中であったのに

 

「麻雀」「ゴルフ」「テニス」「スキー」を一家で営んでいたの

 

がこちらには「耐え難い」の一念から「俺は生涯」やるまいと

 

念じて「麻雀」以外はいかに流行しても向くことはなかった。

 

 しかし「和泉亭」就職のさい大流行していた「麻雀」には凝って

 

毎夜停電騒ぎのさなかでも「麻雀」は夜更かしで夢中にふけった

 

のも賭け麻雀で従業員一同で地下の客席で営む、当時の「牌」は

 

平たく大きいのが特徴で「ポン、チイ」と停電、また停電の中で

 

懸命に賭け麻雀に浸った。

 

 4日親族の喪報で写真額物の中から「美空ひばり死す」の

 

新聞が出てきたので本日は写真付きです。平成元年6月24日

   

                               つづく