美雪 伸

美雪 伸

「岩倉日誌」    
「江戸時代廓事情伝」 
「房洲の海に散る花」
「におい珍噺」
「死臭を嗅ぎ分ける変な奴」
「随筆」昭和、平成を生きる。
「遠州真吾のお色気旅」
「魔女の如し」おていと云う女

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戦争、貴方の知らない戦時中の出来事
のほか、敗戦国が今は?

                  第62回
    日置劇場の 弁士とは
                 昭和14年の話

 スクリーンの大きさなどは現在の1/2
位で舞台袖下にピアノ、バイオリン弾き
の二人が弁士と共に映画の開始から終了
まで一組で各映画館に配置されていたよ
うでその顔触れは何時行っても同じ。
 只弁士だの顔ぶれは日毎に交代してい
たようで、と云うのは一日3本の映画を
語るがその内容は「新派」「活劇」「チ
ャンバラ」の3本が必ずセットになって
ようで、内容が新しいか古いか(一流館
で公開済み)で活動弁士が交代する。
 楽器やは3本の内容がどうであれ特定
の譜面で奏でるのが当たり前の映画館で
あった。活劇が私らにはたまらん魅力で
「ハヤブサヒデト」主演で最後には悪者
を気持ちいい程やっつけて目出度し目出
度しで終わる、時間は30分位、又翌週
まで待ち遠しい日が来る。
 チャンバラは雲隠仁左衛門(くもがくれ
にざえもん主演)の映画、新派とは現代劇
で好いたはれたの恋愛物だがこの時ばかり
は内容がさっぱり難問で面白くないので
我慢の時間で映画は森永キャラメルを一個
づつ二人でほうばる時間で、楽しい時間で
もあり謙次はスクリーンにわが身が黒く映
るのを楽しんでいた。        続きます。


 

戦争、貴方の知らない戦時中の出来事のほか、敗戦国が今は?
        第61回
 
「雲霧仁左衛門」

 チャンバラ映画(弁士)
  毎週土曜日午後6時から、NHKで放送中の
「雲霧仁左衛門」で数十年前を思い出して
書いてみた。
 昭和10年私達一家(父母と私と弟、妹)
の5人で東京から名古屋へ来たのは名古屋駅
新築の為弟子12人を連れて来たのだ。
 当初住まいは中区日置町だった、酒ばかり
食らう親方でもある親父の元えガラスはめ
弟子職人が毎日昼夜を問わずやって来て飲み
代をせびる、その対応役が母親の役目、些か
疲れ気味な母親だった。
 「さあ伸坊、謙坊連れて活動写真でも見に
行きなと云いながら3銭を持たせ「日置劇場」
へ行かせてくれる。毎度大喜びで健次を従い
日置劇場へ向かう。       
  続きます。

  戦争、貴方の知らない戦時中の出来事
  のほか、敗戦国が今は?

           第59回
 主食は芋のツル

       戦争に勝つまでは?
 当時の食い物は全て配給品で7分目の量がせいぜいで誰もが何時も腹を空かしていた。口に入る物なら何でもいい、食べる。一番口にした物はサツマイモの葉のツルで、茹でて食べるが塩っけがないので味もなくどうにも腹に収まらん。ただ腹の足し程度で我慢の日々だった。ひもじいとは「自暴自棄」になる事であった、が誰も口には出さない、辛抱強い日本人だった。
 昭和19年12月からリンドナーが岩倉へ、精密
工場と共に疎開した。疎開先は元織物工場で太く長い煙突を残して廃業、その工場跡へ名古屋裸子精密工場がそっくり疎開してきた。
 駅裏に二階二棟の宿舎が建てられ私達第一陣24名が一部屋2名づつで暮らす事になった。
 見渡す限り芋畑で寮から100mも行けば新工場だった。毎日新工場へ、入って左に食堂があってまずその食堂へ行く、芋は入ってはいるが食べ放題であり丼2杯は食べられた。大満足だ。

                                                続きます。
 

  戦争、貴方の知らない戦時中の出来事
のほか、敗戦国が今は?

                第58回
   
 雁道から渥美半島へ
            強制疎開した商店街

 昭和18年雁道商店街の南側商店が市電雁道から坂下書道塾までの区間が「強制疎開」された。お蔭で道路は今までの倍くらいの広い道路になった。
 疎開先は当時秘密ではあったが、戦後私は残された北側の中間で「後藤帽子店」があって、同級生であった縁で8月から二階へ下宿するようになった。
 この時後藤から聞いたのは疎開した商店街の人達は豊橋の南の渥美半島へ土地開拓のため移住していたと聞いた。
 現在では田原市開拓の疎開先地であったが当時の移住人の苦労が如何であったか、並大抵の心労であったかが窺わせられる。
 雁道のみの人達ではなかろうが当時としては秘密の疎開先ではあったがこの事実さえ忘れ去られようとしている、無論雁道からの人ばかりで現在の繁栄と野菜産地として現存している事実と
して後世に伝えたかった。      
 続きます。

 

  戦争、貴方の知らない戦時中の出来事
 敗戦国が今は?

       
   第57回
    
戦後、喫茶店事情

       泉亭からコンパルも 
 2016年NAK放送で名古屋の喫茶店の話が
放送された。再放送が令和2年5月再放送され
たきっかげで今回その当時の名古屋喫茶店事情
の一部ではあるが思い出しながら綴る。
名古屋市内の喫茶店の始まりは大須赤門通りの
角にあった「泉亭」と名乗る栄通りの角のビル
が一階喫茶店、地下では和食を主とした料理
食堂店が始まったのが「喫茶店」の始まりで
あろう、その後大小喫茶店を名乗る店が栄町を
始め広小路、柳橋、と各店が始まったのをきっ
かけに生まれ、中でも広小路は各店の激戦地で
あって各店一番の売り物「コーヒー」では
あったがコーヒー豆の仕入れには大いに苦労
の連続だった。コーヒー豆は「進駐軍」の闇
手からしか仕入れがない、従ってその手の人
の頼りに如何に多くのコーヒー豆を手に入れる
かで各店が苦労した。  
     続きます。