大日本帝国的な意匠とロックバンド | 徹通塾・芝田晴彦のブログ

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何かと非難の対象となりがちな、旧日本軍を想起する意匠や表現がポピュラー音楽のうちロックと称されるものを中心にどれ程用いられてきたのか、またその理由について考えてみる。

筆頭はラウドネス。昭和56年、元レイジーのメンバーが中心となって結成され、今も活動を続けているヘヴィメタルバンド。レコードジャケットのデザインは一枚目のアルバム『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜』以降四枚目の『DISILLUSION 〜撃剣霊化〜』までは天使や悪魔、騎士等、中世の欧州をイメージしたものであったが、昭和60年に発表した五枚目のアルバム『THUNDER IN THE EAST』で一転、十六条旭日旗がモチーフに。



前年、アトランティックレーベルと契約し本格的な米国進出を念頭に制作された『THUNDER IN THE EAST』の旭日旗。「より日本的なもの」を欧米の観客にアピールするために採用されたとの話を当時どこかで聞いたことがある。また、ラウドネスはこのジャケットデザインに由来するバンドロゴを以降、今日まで使い続けている(下の動画参照)。
 



当時ジャケットに旭日旗を用いたHM系の日本人ミュージシャン(ジャパメタ)は他にも。浜田麻里(下の図像参照)やBLIZARDなどだがここでは割愛。



一方の海外。欧米のロック界ではファッションとして旭日旗が一部で取り上げられていた。下の動画は米バンドのキッス。昭和58年には発表された『リック・イット・アップ』は「メイクをとったキッス」初のシングルPVとして注目されたが、エース・フレーリー脱退後に加入したヴィニー・ヴィンセントが旭日旗の描かれたタンクトップを着用している。当時「何でアメリカ人なのにそんなの着てるのだ?」と感じた記憶がある。

 


キッスの『リック・イット・アップ』と同じ年の昭和58年。マイケル・シェンカー・グループをクビになったグラハム・ボネットがイングヴェイ・マルムスティーンと組んで話題となったアルカトラスのデビューアルバム『ノー・パロール・フロム・ロックン・ロール』。下の動画は収められた曲の一つ『ヒロシマ・モナムール』のPV。同曲はタイトル通りヒロシマへの愛と原爆投下への怒りを歌ったものだが、実験場で上がるキノコ雲の映像に続き旭日旗を手にするグラハムの姿(03:50~)。

 


下は英国のパンクバンド『サ・ジャム』のギタリストだったポール・ウェラーが昭和57年に結成したポップ・ロックバンド『スタイルカウンシル』のもの。わが国では正にバブルに差し掛かろうとする上り調子の時代。ロックからジャズやボサノバ、ソウルにファンク、ニュージャックスウィング的なものまでも包括したサウンドが都会的おしゃれに感じられてもてはやされたが動画の02:35あたりから。ドラマーが戦時中の特攻隊員の如く日の丸のハチマキを巻きソロを繰り広げる。インストのナンバーで歌詞が無く、故に意図はわからないがこの曲のタイトルは『Dropping Bombs on the Whitehouse』。直訳すれば「ホワイトハウスへ爆撃」である。
 


こちらはデペッシュ・モード。先日メンバーの一人でキーボードの「フレッチ」アンディ・フレッチャーが60歳で亡くなり、その早過ぎる死を悼む声があちこちで上がった。動画の曲は昭和56年に作られたもので、直接戦争のことを歌ったものでは無いが、米国を皮肉る内容に加え何より繰り返し歌われるタイトル。淵田美津雄中佐の搭乗する九七式艦上攻撃機から第一航空艦隊司令部旗艦の空母「赤城」に宛てて発信された有名な電信「トラトラトラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)」。

 


この頃、特に旭日旗を中心とした大日本帝国的な意匠は明らかにポップカルチャーの一つであり、米国に対峙した旧日本軍のシンボルであった。様相が変わったのはジョージア州アトランタの元市長、メイナード・ジャクソンが「南軍旗はアメリカのスワスティカ」と発言して以降なのだが、それについてや近年のミュージシャンの事案に関しては別の機会に意見を述べる。