憲法九条の限界 | 徹通塾・芝田晴彦のブログ

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民族自決 戦後体制打破
基地問題を考える愛国者連絡会 / 自由アジア連帯東京会議

先に結論。日本国憲法第九条の致命的な欠陥は、それが一国平和主義に過ぎないと云うことだ。

プーチンの侵略行為を目の当たりにして、わが国でも「憲法九条を変えずして国が守れるのか?」という議論が巻き起こっている。しかし国防とはあらゆる国に認められた自衛権の行使であるから、九条はほとんど関係ない。強いて言えば九条の二項である「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」が解釈次第では自衛隊の存在を否定しかねないものなので、九条の根幹である「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」を達成し、かつ国防軍としての自衛隊を合憲とするならば二項を削除すればそれで済む。

先の敗戦後しばらくはそれでよかった。問題はわが国が国力を回復し、世界有数の大国となった現代だ。江戸時代の如く鎖国政策を復活させ、自給自足の暮らしを送るというのなら兎も角、多くの国々と貿易を行い持ちつ持たれつの関係である以上、世界平和に対し責任を持たねばならない。

確かに憲法九条の理念は素晴らしいと思う。戦争など無い世界の方がいいに決まってる。然し、機関銃や様々な重火器等々、革新的な様々な兵器が用いられることとなった第一次世界大戦の結果、「もう戦争はこりごりだ」となった英仏は独の要求を丸呑み。増長したヒトラーによって結果、世界中の国々を空前の惨禍に巻き込んだ第二次世界大戦が起きてしまった。

極左の如く「諸悪の根源は日帝。憲法九条を奉持すれば世界平和」などと考える輩の多くが今回のウクライナの件で気付いたろう。この期に及んで「今こそ憲法九条の精神を」「折り鶴をウクライナに送ろう」みたいなお花畑の連中は少数派となった。

憲法九条がある限り、わが国は他国を軍事侵攻することは無い。でも、それだけだ。一部報道によるとプーチンの野心はウクライナのみに留まらず、かつての「衛星国」への侵攻さえ匂わしている。そんなロシアを警戒する国々や、未だ健闘を続けるウクライナ、更にはそもそもの根源であるプーチンロシアに「今こそ憲法九条の精神を!」と叫んでも何の役にも立たない。それが国際政治の実情だ。

ウクライナの惨状は『非戦論』が巻き起こしたと言っても過言では無い。早々と武力介入を否定した米国バイデンが侵略者達にお墨付きを与えたようなものだ。これが予測不能なトランプだったら、プーチンはもっと慎重になった筈。非戦論や憲法九条の如き思想は侵略者にとっては好都合でしかない。わが国の似非リベラルはその現実に刮目せよ。わが国だけが平和でいいのか? そしてプーチンの様な力の信奉者を思い留まらせられるのはそれを上回る力しか無い。

間も無くわが国でも参院選。「今こそ憲法九条の精神を!」の候補者達がどれ程健闘するのかに注目している。