ローマ教皇来日に思う | 徹通塾・芝田晴彦のブログ

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この度の38年ぶりとなるローマ教皇来日。かの有名な『コンクラーベ』を勝ち抜いたカトリックトップの宗教者に相応しく、伝えられる発言の数々も非常に感銘を受けるものばかりであった。但し気になったことも幾つか。それは勿論、フランシスコ教皇の…では無く、周囲の反応だ。

教皇は「平和」の尊さを訴え、更には核兵器のみならず原発等の「核の平和利用」に対しても厳しい姿勢を見せた。多くの左派やリベラルがSNS上で賛同の声を上げる一方、一部のネトウヨはこれを拒絶。「平和」「反核」のローマ教皇、彼等にとっては「攻撃対象」のようだ。

ところが。歴史的にバチカンは基本「反共」である。ようやく米国がそのバチカンと昭和59年に国交を樹立したのは、ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世がワレサの「連帯」を支持した事が大きい。結果的にではあるが、当時のバチカンと米国双方の「敵」であったソ連が両者の関係修繕に一役買ってしまったのだ。因みに当時の米大統領はロナルド・レーガン。所謂『赤狩り』に手を貸し、大統領就任後はソ連を「悪の帝国」と名指しで非難した反共主義者で、わが国でも「ロンヤス」で記憶に新しい。

わが国がそんなバチカンと国交を結んだのは大戦の最中、昭和17年に遡る。枢軸国陣営の一員として連合国に対峙していたわが国との国交樹立なのだからよほどの縁なのだろう。その後、今日に至るまでに、教皇に次ぐNo.2の地位である枢機卿に五人の日本人が任命されているそうだ。

カトリックの総本山であるバチカンはその歴史的経緯故、「反ユダヤ」でもあった。大戦直前の昭和8年、ナチスが政権を掌握した際、バチカンは「ヒトラーは共産主義と闘う決意の人」と称賛、その後のユダヤ人迫害に対しても明確な態度は取らなかった。そもそもヒトラーが感化された「反ユダヤ」の土壌は当時の多くのカトリックのみならずやプロテスタントの信者達にも内包されていたのだから必然だろう。

因みにバチカン。欧州の国家としては唯一、台湾と国交を保つ一方で中国とは未だ関係改善の途上。わが国を含む多くの西側諸国が中共に気兼ねする中、フランシスコ教皇の現在でもバチカンは台湾を主権国家と認めているのだ。


 

教皇の説く「平和」「反核」そして「人道」は宗教者としての道である。一方で「反ユダヤ」「反共」さらには異教徒を弾圧した十字軍の過去…付け加えるならば世界中にデモクラシーをバラまいたフランス革命。これの要因は君主制への反発や火山の大噴火による凶作もあるが、カトリック教会制度への反発も大きかった。

バチカンは信者を増やす目的で、あるいはその信者を守る為に極めて政治的に振舞い、決断を重ねてきた。今回の教皇来日。伝えられる表面的な事柄のみに反応し、批判あるいは賛同の声を上げるのも結構だが、カトリックへの入信を考えているのならいざ知らず、教皇と同じく祭祀王である天皇陛下を戴き、皇尊弥栄を願う右派として見習うべきは、「ペトロの後継者」「イエス・キリストの代理者」を今日まで存続させたバチカンのしたたかさでは無いだろうか?