米軍による広島・長崎の無差別大量虐殺を経たわが国は、戦後一貫して核の廃絶を訴えてきた。
然し、その願いとは逆に核保有国は増える一方だ。似非リベラルが「過ちは繰返しませぬから」などとやっているうちに、かつて植民地だった隣国は原爆に続いて水爆にも意欲を示し、先日も核実験を挙行した。
のみならずオバマのプラハ演説以降も尚、米国はサンディア国立研究所で「新型核実験」を繰り返し、ロシアはウクライナで核の使用準備まで検討した。
祈り、願うだけでは核は無くならないどころか拡散を続けるのが現実である。核の「時計の針」は戻らない。
国連の安保理が非難声明を出しても、あらゆる制裁措置を行っても、もちろん「唯一の被爆国」わが国の反核団体がいくら声を上げたところでも北朝鮮の核開発は止まらないだろう。
今が転換期と思う。
もうそろそろいい加減に「核兵器は無くならない」この状況を認識すべき時期だ。かといって広島や長崎の惨事を二度と再現させることがあっては絶対にならない。
次善の策は「核兵器は絶対に使わない、使わせない」と訴え、それを国際社会が堅持すること。その上で核保有国同士が協議し、明らかに余剰で不要な核弾頭を削減する。その方が遥かに現実的だ。
北朝鮮の核開発を止めるのに必要なのは、祈り願う事では無く、「力の行使」のみ。
「力の行使」と言っても、それは米国が北朝鮮の核基地を先制攻撃で叩くことでは無い。米国の同盟国である韓国やわが国も戦火に巻き込まれる。中共の介入も招きかねない。リスクが大き過ぎる。
わが国を初め西側諸国が揃って北朝鮮に制裁の強化を課したところでタカが知れている。事態を動かすには決定的な影響力を行使出来る中国とロシアを本気にさせる事しかない。
若し私が日本国首相なら躊躇せず「日本核武装」を宣言する。
当然、国内の世論はそれを許さないだろう。
ところが。東アジアから核の脅威を取り去るには、どうしてもそれしか思いつかない。
核に対抗し得るのは核のみである。これは実際に使用する云々以前の、外交でのことだ。例えばわが国がどれ程声を大にして核兵器削減を訴えたところで決して米国は応じない。それが出来るのは同じく大量の核を保有するロシアのみ。核とはそういうものである。
一方、わが国が周辺国による核の脅威に対抗すべく「日本核武装」を宣言したらどうなるか?
真っ先に米国が反応するだろう。平和や地域の安定云々以前に核保有とは「核クラブ」による既得権益である。各国はこれを容易には手放さない。新参者を極端に嫌う。自国の権益が低下するからだ。
ましてや日本。非核三原則と言いながら現実には「核の傘」の下にある。故に日米は対等では無く、米国はこの状況を末代まで維持したい。
そこで米国はいろいろ言い訳をつけて「日本は核開発を諦めてくれ。その代わりウチの核を貸すから」となる。果たして米国は旧敵国に核を貸すだろうか?
実例が同じく旧枢軸国であるドイツにある。
実はドイツには、米軍の戦術核が配備されている。現在B61核爆弾(広島型原爆の40倍の威力)が20発備蓄され、独空軍(米空軍では無い!)第33戦闘爆撃戦航空団が投下任務にあたる。ドイツは「自前の」核爆撃部隊を有しているのだ。左派リベラルが事あるごとに「見習え!」と繰返すドイツのこれが意外?な現実だ。
例えわが国が核を借りても、米国にとってそれは決して自分のところには向かって来ないし、外交上日本に対する優位を保てるのだから「次善の策」と言ったところだろう。
「日本核武装」に猛烈に反対するのは、わが国に核弾頭の照準を合わせている中ロである。高い維持費を払い、外交上優位に立とうとの努力?が無駄になってしまうからだ。因みに両国は米国が主導するMD(ミサイル防衛システム)にも極端な拒絶反応を示す。当然だ。
そこでわが国は突っぱねればいい。「『日本核武装』を断念して欲しければ、わが国にとって深刻な脅威である北朝鮮の核開発を即時中断させろ!」。慌てて両国は動くだろう。
西側諸国が束になって経済制裁なるものを行うよりも、中ロのそれは遥かに北の指導者には効き目があると思う。わが国も核などと云う糞以下のモノなど抱え込まずに脅威を除去出来る。
北朝鮮の「水爆実験」。ムカついているのでとりあえずは今週中に靖国神社裏の総連本部前で抗議をしてくる。だが、それでは何も動かない。国会議事堂を「北の脅威に対し、日本も核武装せよ!」と数十万の群集が連日包囲してようやく、周辺諸国や国際社会も事態の重大さに気付くだろう。
だが、決してそんな事にはならないだろうね。
私の「日本核武装宣言」は極端かも知れない。ならば反核を訴える諸氏は真剣に、北朝鮮の核開発を阻止し得る案を出して見ろ。
繰返すが「祈り、願う」うだけでは核は無くならないどころか拡散を続ける。
私は「日本核武装論者」ではあるが、同時に地上からのあらゆる核兵器が廃絶されるのを願う。この二つは矛盾しないように思う。二度と広島や長崎の惨劇が繰返されぬ様、心の底から願っている。