今は亡き戦友の娘さんと最近メールの遣り取りをして、
同時期に日本に居ることから会うことになった。
戦友のアッシュは家族だけで海に撒いたのだけど、
その一部を彼女のお兄さんが望んで、
実家のお墓に埋葬した。
彼女と家族の意向とその時の状況で、
一切メモリアルサービスもなかった。
私も暫くは当時の状況から遠慮があったし、
私自身思った以上に精神的な落ち込みもあり、
何となくお互いに遠ざかっていた。
その間も娘さんからは毎年Xmasカードが来たりして、
完全に繋がりが無くなってた訳では無かった。
それに旦那さんとも同じ学校区だったので、
彼が3年前に退職するまではメールで色々相談にも乗っていた。
今回、会うことになった時、
私は彼女に実家のお墓の場所を聞こうと決めていた。
何だかメールでは今更聞きづらかったのもある。
それに聞くことで、戦友が居ないこと、
頭では分かっていたけど、
無意識に心情的に受け入れるのが、
怖かったのかもしれなかった。
閑話休題
昨日、彼女の実家にいる娘さんに会うため、
まだ暗い中家を出たら、
そこには満月が道を照らしいた。
その満月に導かれながら、
私は始発の新幹線に乗った。
少し緊張もあったんだけど、
あった瞬間お互いに何だか目がうるっとした。
旦那さんと娘さんは後から来ると言うことで、
二人で長いこと話すことができた。
本当に会ってなかった間の事、
特に旦那さんや子供さんの前では話せない、
日本であった事なんかも色々話せた。
色々話せた頃に漸く旦那さん達が合流したんだけど、
時間を間違えて遅くなったって謝られた。
でも彼の事を知っている私は、
彼がわざと遅れてきたのを分かっている。
私とプリちゃんが二人でゆっくり話せるように、
彼が配慮して娘さんと公園で遊んできたんだろう。
ランチをしながら今度は、
旦那さんや子供さんを交えての楽しい時間。
会話の中心はもちろん戦友のこと。
色々思い出話しで盛り上がったりした。
その中で驚いたのが、
“Mysterious Y-ちゃん”と戦友の事を読んでいた事。
私からしたら彼女ほど頑固で、
聡明だけどどこか抜けている人はいなかった。
料理が上手で人にご馳走するのが好き。
寂しがり屋で人といるのが好きなわりに、
人付き合いがそれほど上手いわけでない。
好奇心が旺盛で知りたがり屋。
そして結構理屈を捏ねたりした。
ピアノやヴァイオリンが上手くって、
書道も有段者だった。
裁縫も得意で手先がすごく器用。
DIYも全て自分でするくらい、
本当に何でもしたし出来た。
そう、私と一緒の時の彼女は、
Mysteriousとは無縁な存在だった。
考えてみれば、
彼女と娘さんとの関係は少し複雑だった。
どちらかというと息子さんの方が、
彼女には近い存在だったし、
結構色々話せる相手だった。
プリちゃんは最初の子供だったので、
彼女なりに手探りだったのもある。
後、プリちゃんが中学から今の旦那さんと付き合いだし、
それからは教会の行事や彼の家族との行事が優先で、
家にほとんど寄り付かなくなったのも大きいと思う。
然し、晩年は娘さんの結婚出産を経て、
関係がかなり良くなっていた。
将来は娘の家の庭に離れを建て、
そこで面倒を見てもらうと言っていた。
今となっては叶わぬ夢になってしまった。
兎に角、楽しい時間はあっという間だった。
私は別れる間際に菩提寺の事を教えて欲しいと頼んだ。
プリちゃんは快く承諾してくれて、
後からメールで教えてもらうことになった。
最後は米国で今度は会おうと言って別れた。
物事は起きるべきして起きるし、
何事にも潮目というか、
変わっていく時が来ると思う。
私達には5年半という歳月が、
喪失を受け入れ乗り越えるために必要だった。
今も喪失感は有る。
然し、今の私達は少なくとも涙を溢さないで、
悲しみに苦しくならないで、
昔を笑って話せる様になった。
帰りの夜道を照らしたのは、
何と満月の光だった。
今朝と一寸変わりないくらい丸い月。
その光を浴びながら戻る道すがら、
私は寒いはずなのに心がほっこりした。
戻った私をプリちゃんからのメールが迎えてくれた。
満月に導かれて新たに繋がった縁は、
彼女の計らいのように思う。
ありがとう。