城を降りて、旧市街地まで歩く🚶


旅行中はなんだかんだ

よく歩く。

15000〜25000歩くらい

食べる分、歩かんとね💪


写真上 カノニツァ通り
かつてはここに司教館があり、カロル・ヴォイティワ(後のヨハネパウロ2世)が数年間住んでいた。
司教達の通勤路?やった通り。

写真中 聖ペテロ聖パウロ教会
ポーランドが分割されていた時代、1809年から1815年までの間には正教会を務めた由緒ある教会。

写真下 聖アンドリュース教会
1079年から1098年に建造された
ロマネスク様式の教会。
ポーランドで最も古い教会の1つ。 要塞の役目も果たすように強固に造られている。

オブヴァジャーネ
ベーグルの原型とされるパン。
ケシの実、チーズ、ゴマとか
いろんなトッピングがある。
大体3zł;(130円)くらい。


聖マリア聖堂(聖母被昇天教会)
1347年完成
ポーランドのゴシック建築物の
好例として挙げられる


モンゴル軍がクラクフを襲った際、敵襲を告げるラッパがこの教会の塔の上から吹き鳴らされた。


のとこからラッパを鳴らす☝️


しかしその時、モンゴル兵の放った矢がラッパ吹きの喉を貫く🤔


ありえんし…


このラッパ吹きを追悼し、今でも24時間365日休むことなく毎時、

塔の上からラッパが吹き鳴らされている。


しかし、そのメロディーは、ラッパ吹きに矢が刺さった時と同じように、毎回突然、途切れて終わってしまう演出もされている😅


ラッパ吹きにも上手下手があるそうで、「今のは下手くそでしたね」とガイドさん😆


また、教会内部の

聖マリアツキ祭壇

国宝に指定されている。



聖マリア聖堂の中には入れないかもということで、祭壇の写真を元に説明してくれるガイドさん。

作者はウィット・ストヴォシュ
この家に1478年から1492年まで
住んでいた。
…と書いてある。

後で中には入れたが、
ミサの真っ最中。

当然、写真撮影は禁止だったが
しっかり実物を見ることができた😉

ホーリートリニティ教会
(聖三位一体大聖堂)
1223年完成
ここも火事とかで何度も崩壊したがその都度修復されてきた。
映画監督アンジェイ·アイダの
葬儀のミサ、告別式はここで
行なわれた。

聖フランシスコ教会
ヨハネパウロ2世が市内滞在中に
住居としていた場所

聖ヴォイチェフ教会
中央広場にポツンとある。
ポーランド最古の石造り教会

下の写真の様に昔の地面の高さは
2m〜2.6m下。
大昔からゴミは道路に捨てる習慣があったため積もり積もって、
今の地面の高さになった。

掘り返してみると、下の地面が現れ、しかも教会の基礎部分は
ロマネスク様式で建てられていることがわかった。

織物会館(スキエンニツェ)
国際貿易の中心地
ここで、各国との商取引が行なわれた。
現在はお土産屋さんが立ち並ぶ。

会館の入り口にはナイフが提げられており、泥棒がでたら、容赦なく耳を切り落としたらしい😱
※諸説あるそうで…
そのうちの1つ😅

時間がないそうで、
早足になった💦
説明が聞き取れん💦

チャルトリスキ美術館
チャルトリスキ家公爵財団が所有していた美術品や、歴史的に非常に価値のあるものが数多く展示されている。
ここにある美術品の総額は
2460億円😳

写真中
イザベラ・チャルトリスカ館長

9人の子どもがいるがそれぞれお父さんが違うのでは?と言われるほど自由奔放な方だったみたい🤩

祖国よ、私はあなたを守ることはできない。
だから少なくとも歴史的に重要なものを保存することで永続化します
と言って、美術品の保存に
力を入れたそう😌

写真下
女性のウエストは男性が手で輪っかを作った位(45〜50cm)が
良いとされ、服もそういう作りになっていた😳




善きサマリア人のいる風景
     レンブラント作1638年

白貂を抱く貴婦人
レオナルド・ダ・ビンチ作
                                            1490年
ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛妾だったチェチーリア・ガッレラーニであるといわれている。また、この絵画に描かれているのはシロテンではなく、
白毛のフェレットである。

レンブラントの作品の背景にも
深い話があるけど長くなりすぎるので、興味のある方は調べてみてください🙄

大作2つ見れて大満足😆


旧市街へ
フロリアンの門
モンゴルの攻撃に対する都市の要塞の一部として構築された。

午前の部はおしまい
では、また✋