出港しました🛳️
多くなるので速攻お風呂に入って寝る😴
阪九フェリーより静かで
よく眠れた👍
多少、揺れてたけど…
かなり沖合を航行してるので、
海しかない。
スマホも圏外、Wi-Fiはなし。
タブレットで映画みたり、寝たり
ダラダラする😌
まだ、ドアも開いとらんのに
バイクが一斉にエンジンかけるけん、煩いし、臭い😵

今日の宿は船内で小耳にはさんだ
小樽温泉おすぱ
ライン友達登録で800円ただ👍
深夜料金1200円で泊まれる👍
港の通りを走ってると
「ダイヤモンドプリンセス」
が来てたので、運河周辺は人で
ごった返している。
プラスどこでも中国人😅
小樽運河
プロの写真家すごいね!
なんともない通りを魅力的に
表現するんやけん!
こういった趣のあるレンガ造りの
建物が点在している。
その後にでっかいマンション
あったり、近代的な建物建ってたりして、もったいない。
もうちょっと景観を守る努力
したら良かったのに😔
古いレンガ造りの建物リストあったけど…
全部巡る程ではない😐
左の建物に
小樽の有名洋菓子店「ルタオ」
が入っている。
お土産は売ってなくてcafeの
ようやった。
右のは
小樽総合博物館運河館
小樽の海運の歴史や当時の暮らしぶりがよくわかる。
唐突に石器時代の話にとんでみたり🤭
また庶民の暮らしぶりに変わったり?
中庭では私らの子どもの時の
遊びが楽しめる😅
旧日本郵船小樽支店
明治39年竣工
日本郵船は坂本龍馬の海援隊の思想を強く受けた岩崎弥太郎が、
明治3年、東京・大阪・高知間で海上物資輸送を行う九十九商会
(後の三菱商会)を設立した
のがはじまり。
海外の海運会社との熾烈な競争の末、内外航路に自由に配船できるようになった。
前回、ポーランド旅行で
アウシュビッツの話を書いたが ユダヤ人を逃がすため奔走した
リトアニア大使「杉原千畝」
だが、日本経由でパレスチナや
アメリカにユダヤ人を運んだのは
日本郵船☝️
事務室も洗練されている。
金庫は金の保管というより
海外との海運契約などの書類が
主に収められていた。
応接室
貴賓室と会議室
明治38年ポーツマス条約によって北緯50度と定めた日露国境を、
さらに翌39年夏に両国委員が現地で天測によって緯度を測定、
小樽港に帰還し、
この会議室で3日かけて会議を
開き、調印に至った。











































