昨夜は蚊に刺されまくって

眠れず…

何故かムヒがあったので助かる😑


九谷焼窯跡展示館

私も昔、陶芸やってたので
興味深い😌

磁器なので
焼くのも繊細だし、絵付けは
相当の技術が必要。

沢山のお坊さんの姿が描かれてる
らしいが、虫眼鏡で、見ても
よー見えん😅

九谷焼の歴史もよくわかる
展示即売もやってるけど
高価すぎて…💦
伝統工芸やしね
登り窯跡の展示。

なにげなく、花が生けられて
いるのも良いね。

道すがら
黄金の観音様発見
Googleナビで行ったら
廃墟のような場所に着いた🤔
結局、正面はわからず撤退😅

北前船の里資料館
北前船主屋敷 酒谷長兵衛邸
明治9年に建てられる

江戸後期から明治中期にかけて日本の物流の大動脈となったのが北前船。
大阪と北海道を結ぶ長大な航路を走り、積み荷を売り買いすることで莫大な利益を上げるとともに、各地に様々な文化をもたらした。

ここ橋立は北前船の船主や船頭が多く住んだ船主集落で、かつては「日本一の富豪村」だった。

玄関先の照明が洒落とる

こんなんで
日本海の荒波に挑んだ😳

ここには現天皇も常陸宮様も
お越しになった。

大きな蔵が2つもあって、
家族らも最高級の品々を用いた
生活を送っていたという。

大日本金満家一覧

明治31年の全国の高額所得者の
番付表。 
筆頭に渋沢栄一、財閥の三井家らが名を連ねるなか、  「前頭」に
加賀出身の北前船主
「廣海二三郎」、「大家七平」、
「久保彦兵衛」の名前がある。

また、当時の年収は、医者が800円、有名呉服屋が 400円であるのに対し、大家七平は26,500円、
久保彦兵衛は2,440円、
酒谷長兵衛は2,230円となっており、北前船主は群を抜いて高かったことがわかる。
命と引き換えというわけではないが、「板子1枚下は地獄」
というくらい、当時は海で命を落とす人は少なくなかった。

引き札という現代でいうと
広告。
北前船員にお店の広告を渡すことで、日本中に宣伝することができた。

命をかけて、海に出るので、
神社との関わりも深く、
出港前には船の絵を神社に奉納
して船出した。

真宗大谷派福井別院橋立支院

明治5年の橋立村の大火で焼失した後、北前船主の寄付により、明治12年に真宗大谷派福井別院の支院として再建された。
そら、寄付したのが皆、金持ち
なので、当時としては豪華絢爛
な内装やったそうな。

午後に続く〜✋