どうも、はちごろうです。



実は最近あまり映画を観てない。というか、映画を観る意欲がない。
とはいえ何も書かないのも何なので久しぶりに時事を斬ってみる。


先週の日曜、京王線の車内で乗客たちが

刃物を持った男に切りつけられる事件が起きた。
犯人はDCコミックの人気ヴィラン「ジョーカー」の扮装をし、
隠し持っていた刃物で20名近くの乗客を次々に切りつけた挙げ句、
走行中の車内にオイルを撒いて火を付けるなど、蛮行の限りを尽くしたわけですが。
その後の取り調べで、犯人は「ジョーカーに憧れていた」と話したという。


ここ数日、犯行時や逮捕時の映像が何度もメディアで流れていたんですが、
映画ファンとしてはひとつ気になることがありまして。


まず、彼は「ジョーカーに憧れていた」というのですが、
ひとくちに「ジョーカー」と言っても、作品ごとにその設定は微妙に違います。

ここ数十年の間に製作された実写のアメコミ映画に登場した「ジョーカー」は4人。
一番最近だと一昨年公開されたトッド・フィリップス版の「JOKER」。
主演のホアキン・フェニックスがこれでアカデミー賞を獲りましたけど。

 

 

 


この作品の主人公はコメディアン志望の青年でしたが、
様々な理由が重なり、社会的に孤立を深めた末に凶行に及ぶ。
犯人が自分を重ねたジョーカーはおそらくこれに当たるわけです。

しかし、彼が犯行時に着用していたジョーカーの衣装。
あれはクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」に登場したジョーカーのもの。
演じたヒース・レジャーは本作でオスカーを受賞する一方、
残念ながら公開前に命を落としてしまいましたが。

 

 

 


閑話休題。あの作品でのジョーカーは素性も過去も一切不明。
ゴッサムシティの裏社会に突如現れ、相手の善悪に関係なく、
全ての人間の倫理や常識に揺さぶりを掛ける人物でした。

また、もう30年以上前になるのですが、
当時全米で記録的大ヒットを収めたティム・バートン版の「バットマン」。

 

 

 


本作でオスカー俳優ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーは、
裏社会の実力者、いってみればむしろ「勝ち組」だったわけです。

(ちなみにジョーカー役を演じた俳優がもう一人。
 「スーサイド・スクワッド」でジョーカーを演じたのはジャレット・レト。

 

 

 


 この人も別の作品でオスカー受賞歴のある名優ですが、
 本作でのジョーカーはハーレイ・クインの恋人という設定だけで
 作品の内容自体にはほぼ絡まない、存在感の薄いキャラでした。)


ホアキン・フェニックス版の「JOKER」に自分を重ねながら、
犯行時に着ていた扮装は「ダークナイト」のもの。
この不一致に、この犯人の了見が全部出ているように感じるのです。


社会の中で孤立し、自らの存在意義を世間に知らしめる手段として
暴力的な手段に訴えるという大それた意欲を持ちながら、
犯行の準備は全体的に雑で、しかも実際の犯行も詰めが甘い。
なにより「無差別殺人」という凶行自体、
前述した目的を達成する手段としてはベタ中のベタです。

 「金に困った苦学生が自分が特別な人間だと証明するため、
  近所で鼻つまみ者の金貸しの老婆を殺害する」

これはロシア文学の代表作、ドストエフスキーの「罪と罰」のあらすじです。
本作が描かれたのは帝政ロシア時代なのでいまから100年以上前。
もうこの時代からこの手の発想はあるわけです。
また日本でも、江戸時代には天下太平で戦の機会が無くなった若侍が
侍としての実感を得るために夜な夜な町民を辻斬りした、なんて話もある。
その後も、自らの存在意義を見失い、
往来で怨嗟と共に暴力的衝動を発散する者は後を絶たないわけです。

一方、ジョーカーを希代の悪役と足らしめるもの、それは「独創性」です。
およそ通常の人間なら考えつかないような悪事を、
人々の想像を遙かに超えるスケールでやってのける。
そのオリジナリティこそが彼の悪役としての核なのです。

つまり、ジョーカーを「真似る」という時点でその人物はジョーカーにはなれない、
ジョーカーというキャラクターの表層だけをありがたがる凡人であると

自ら申告しているようなものなのです。


もちろん、多くの乗客を傷つけた犯人の犯行それ自体に対する怒りはあります。
それを大前提として言わせてもらいますが、

私はそれと同時に、下手をすればそれ以上に、
彼がジョーカーというキャラクターを安易に真似したこと、
そこにキャラクターに対して何の思い入れもなく、
その真似の精度も低いという点に呆れる事件でした。


もしジョーカーが犯人のことを知ったら
「お前には出来ねぇよ」と一笑に付すでしょうが。