どうも、はちごろうです。

 

 

 

来週から東京都も緊急事態宣言が解除だそうで。

とはいえ内容的には「一部緩和」くらいで、あまり変化はなし。

もう2ヶ月近く練馬の「か和もっち」も閉店しているので、

全く酒を口にしない日々が続いております。

早くお店で美味しいお酒が飲める日が戻ってくることを願っております。

では、映画の話。

 

 


「漁港の肉子ちゃん」

 

 

 



お笑い芸人の明石家さんまが初めてアニメ映画を企画・プロデュース。
直木賞作家・西加奈子原作の小説を映画化。
東北の小さな漁港で暮らす母と娘の物語。
声の出演は大竹しのぶ、Cocomi、花江夏樹、中村育二、吉岡里帆ら。
監督は「海獣の子供」の渡辺歩。

あらすじ

東北の小さな漁港にある焼き肉店「うをがし」の従業員・菊子。
ブサイクで太っていることから人々は「肉子」と呼ぶが、
彼女自身は一切気にせず毎日を楽しく笑って過ごしていた。
肉子は元々大阪の焼き肉屋で働いていたが、惚れた男に金を貢いでは逃げられ、

そのたびに名古屋、横浜、東京へと日本列島を北上するように住まいを変え、
東京で付き合っていた小説家志望の男が失踪した際、
なぜか彼女は男が北にいると思い込み、いまの漁港に流れ着いた。
肉子には小学校5年生になる娘・喜久子がおり、
二人は「うをがし」の店主サッサンの紹介で小さな船のなかで暮らしていた。
喜久子はクラスの女子たちの権力争いや、
無意識に変顔をしてしまう男子・二宮との友情、
そして将来的な身体的成長に悩みを抱えながら成長していくのだった。



母の愛、女性の強さは偉大。でもね・・・



あの「お笑い怪獣」明石家さんまがアニメ映画をプロデュースということで、
お笑いBIG3ドンピシャ世代としてはやっぱり気になるわけでして。

ま、一応改めて「明石家さんま」という芸人について触れておくと、
70年代に上方落語の笑福亭松之助師匠に弟子入りするものの、
ほとんど落語はせずに在阪のお笑い番組でブレイク。
その後、漫才ブームの中でスタートしたTV番組「オレたちひょうきん族」で全国区に。
そこからは数々のバラエティ番組に引っ張りだこになる一方で、
TVドラマ「男女7人夏物語」で共演した人気女優・大竹しのぶと結婚するという、
当時まだ「芸人」という職種が芸能界のヒエラルキーの中では
「俳優」や「歌手」よりは一段下がった位置に置かれている中で、
考えられないような売れ方をするわけです。
後に二人は離婚してしまいますが、それすらも笑いにしながら
いまも第一線で活躍するお笑い界の、芸能界の「怪獣」ですね。

(さんまさんの詳しい経歴は、日本一の明石家さんま研究家の

 エムカクさんが昨年出した本に詳しいのでそちらも是非)

さて、そんなさんまさんももう来月で66歳。
近年はその発言が時代にそぐわないと指摘されるようになった。
特に女性に対する考え方を公言して炎上するケースが目立つ。
この件に関してはさんまさん本人も自覚していて、
前述した結婚生活の破綻の原因も「妻は家庭に入るべき」という、
自身の前時代的な価値観にあったとテレビ番組で認めていたりしてて。
いまだに自身の娘よりも若い女性と浮名を流す一方で、
ことお笑いに関しては性別の区別なく判断するので、
若手の女性芸人からはむしろ評判が良く、「紳士」とまで言われることもある。
そういった多面性のある女性観に世間の賛否が分かれるところなのですが、
実はこの明石家さんまという芸人がいまの女性たち、
ひいては日本社会に与えた影響は計り知れないなと私は考えてて。

さんまさんって、過去にいくつもの流行語を生み出してますね。
「パーデンネン」「知っとるけ?」「しょうゆうこと」「ホンマや」などなど。
そんな彼が生み出した流行語の中で特に注目したいのが
「エッチ」と「バツイチ」、この二つの単語です。
「エッチ」というのはいわゆる性行為を意味する言葉で、
「変態(行為)」のローマ字読みの頭文字を取って「エッチ」。
そして「バツイチ」は前述した大竹しのぶさんとの離婚会見の際、
おでこにペンで×印を書いて「バツがひとつ付きました」と笑いを取ったのが由来。
実は当時、この二つの言葉をさんまさんが一般化させたことによって、
それまで公の場では話題にしづらかった性の話題、
そして離婚の話題を口にするハードルが下がったんですね。特に女性たちにとって。
性と離婚という、それまで男側の都合が優先されがちだった問題に対して、
女性たちも自己主張をすることがしやすくなったわけです。
もちろんさんまさんはそれを見越して流行らせたわけではなく、
単に自分が笑いにしやすくするために口にしただけでしょうけど、
結果的に日本の女性たちに影響を及ぼしたことは間違いない。
ま、それも微々たるものなのかもしれませんが。


それはそれとして、作品の話。

本作は東北の小さな漁港で暮らす親子の日常を描いているんだけど、
男運の悪い、というか惚れっぽい肉子はすぐに相手に騙され、
散々貢がされた挙げ句に捨てられることを繰り返しているんですね。
そしてその都度北上しながら現在に至るわけです。
でも彼女自身は別れた直後はボロボロなんだけど、
すぐに立ち直って笑顔で毎日をシンプルに過ごしている。
一方、そろそろ思春期を迎える娘の喜久子はそんな肉子に複雑な心境を抱えつつ、
彼女は彼女で日々様々な悩みに直面しながら生活しているというね。

で、冒頭のあらすじを読んで「?」って思った人もいるかも知れないですが、
この親子、下の名前が一緒なんですね。「菊子」と「喜久子」。
そして見た目も、考え方も全然似てないことから、
二人には血の繋がりのないことが何となく伝わってくる。
そして終盤になると、二人がいかにして「親子」になったかが語られるんですが、
これが非常に複雑な気分になるんですよね。
肉子がとある町でストリッパーをしていたとき、
ゆうという名の女性と出会い、二人は同居を始めるんですね。
顔は全く似てないけれど姉妹のような関係で。
しかしある日ゆうが客の子供を妊娠し、それを二人で育てる決意をする。
そしてゆうは自分が生んだ娘に肉子の本名と同じ名前を付ける。それが喜久子。
ところが、ゆうは育児疲れから娘を残して失踪。
それ以来、肉子は一人で喜久子を育てて今に至る、というわけです。
でも肉子は彼女のことを全く恨まず、どこまでもゆうに同情的で、
その事実を喜久子に伝えた時も終始彼女のことをかばい続けるんですよ。

で、この「厳しい境遇の中で全てを飲み込んでたくましく生きる女性」を
感動的に描いた作品って過去に何度も観てきたんですけどね。
例えば西原理恵子原作の吉田大八監督作「パーマネント野ばら」とか、
こうの史代原作のアニメ映画「この世界の片隅に」なんかもそうですけど。
以前は女性たちの「強さ」を賞賛する話として単純に観ていられたんですけど、
最近はこの手の話を観ると複雑な気分になるようになって。
つまりね、個人の力では到底抗えない理不尽な世の中で生きる弱者、特に女性たちが、
そんな状況下でも心身の安定を図るために駆使する発想の転換や創意工夫は、
単なる対症療法であって、彼女たちの置かれている理不尽な状況の改善にはならない、
だから「美談」として賞賛したり同情したりすることはむしろ残酷なのではないか?と。
でも一方で、そんな残酷な処世術で生きてきた人々の苦労を
「本来するべき努力ではなかった」と正論で斬って捨てるのもまた違うわけです。
だからこう、すごい複雑な心境になったというか、
どう反応していいのか困惑してしまいました。


長らく続いてきた男性至上主義社会の中で
弱い立場に追いこまれがちな女性たちの強さや、
必死に子供たちを育てる母親たちの苦労に感謝したいという気持ちはわかる。
そこに感銘を受けたさんまさんの想いに嘘はないと思うんだけど、
そろそろ賞賛するだけでなく、現実に何が出来るかを考えるべきなのではないか?と。
彼女たちが理不尽な立場に追い込まれないようにするにはどうすればいいか。
出来るだけ苦労しないような子育ての環境を整えるにはどうすればいいか。
この話に感動するだけでそれでいいのか?と思いながら劇場を後にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[2021年6月13日 TOHOシネマズ日本橋 1番スクリーン]

 

 

 

 

 

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