どうも、はちごろうです。

 

 

本格的に暖かくなってきて仕事も繁忙期に突入。

思うように時間が取れなくて更新のタイミングを逸してしまいました。

ホントは今日の作品と明日アップする予定の作品を

順序逆に発表するつもりだったのですが。

では、早速映画の話。

 

 


「ノマドランド」

 

 





本年度アカデミー賞最有力のドラマ。
夫に先立たれ、家もなくした女性が車上生活をしながら
全米各地を転々とする姿を描く。
主演はフランシス・マクドーマンド。監督はクロエ・ジャオ。

あらすじ

2011年1月31日。ネバダ州エンパイアにあるUSジプサム社の炭鉱が閉鎖。
従業員は全員解雇。ジプサム社からの税金で運営していた町自体も消滅が決まる。
そのため、町の住民の大半が一夜にして職も、住む土地も奪われてしまった。
ジプサム社の社員だった夫ボーと共に町に移住し、
夫の死後も代用教員としてこの町で暮らしていた女性ファーン。
彼女は町の消滅を機に家財道具一切を貸倉庫に収め、
キャンピングカーで車上生活をするようになった。
ファーンは全米各地を移動しては、キャンピングカー用の駐車場を契約し、
その土地でパートタイムの仕事に就く日々を送るようになる。
駐車場には彼女と同じように様々な理由で車上生活をする人々がおり、
彼ら彼女らは情報交換をしながら緩い繋がりを築き上げていた。

 

 

 

アメリカの黄昏、世界の黄昏



最近、TVのニュースでやってたんですけどね。
このご時世、多くの事務系の会社員のリモートワークが一般化し、
「これなら別に家からやらなくてもいいのでは?」と考えた人が
キャンピングカーを購入して各地を転々としながら生活する
「バンライフ」というものが流行り始めてるようで。
このニュースを聞いたとき、なんとなくこの作品に似てるなと思ったんですが、
「バンライフ」と本作の「ノマド」とはその本質が全く違ってまして。

主人公の女性ファーンは勤めていた炭鉱の閉鎖で職を失い、
さらに炭鉱が閉鎖したことで町自体も経営破綻して消滅。
職だけでなく住む場所も失った彼女は車上生活を始める。
前述した「バンライフ」を楽しむ人々はいざとなったら気に入った土地に定住し、
仕事も続けることが出来るわけなんですけど、
本作に登場するノマドたちは様々な理由でそれが出来ない、
それをしたくない人達なんですね。
彼らは全米各地を移動しながら、アマゾンの配送センターでの梱包業務や、
リゾート地の清掃やフードコートでの給仕などの短期労働に従事し、
日銭を稼ぎながらギリギリの生活をしている。
確かに生活は厳しいし、公的サービスもなかなか受けづらい。
でも所有する車を自分で改造し、住みよい空間を作る。
そして同じような車上生活をしている仲間と定期的に集まっては、
情報交換をしたり、焚き火を囲んで近況を語り合ったり。
それは一般的な市民生活では得られない自由さや、心の充足感を得られるわけです。


でね、この作品が欧米を中心に世界的に絶賛されている現実を見ると
なんかちょっと考え込んでしまうんですよ。

そもそもアメリカって国の成り立ちは、
貧富の差が拡大し、階級社会となったヨーロッパの下層階級の人々が
己の才能で一発逆転を狙って入植してきたのが始まりで。
それが徐々にヨーロッパだけでなく世界中でくすぶってた連中が
「自由」と「成功」を求め、それぞれの才能を持ち寄って発展してきたわけです。
でもそんなアメリカも200年以上経ち、国自体が成熟化するとともに
貧富の差が拡大、固定化してしまったわけですよ。
そしてこれはアメリカに限ったことではないけれど、
国が成熟化していくとともに国民に求められる能力のレベルも上がり、
それに満たない国民は例え自国生まれでも
生命の安全すら保証されなくなってしまうわけです。
そうした自分の国に、社会に見放される人々の理不尽さが、
トランプ支持者のような極右勢力誕生の原動力になってるわけです。
そしてそれはアメリカに限らず多くの先進国で起きていることで。
そんな社会から見放された人々の一部が、
逆に社会を見放すように放浪生活を始めてる。
そして彼ら彼女らはもう従来の社会生活には戻れない、戻らないみたいなね。
そしてその傾向は多かれ少なかれ世界各国で起きていて、というね。


そんなアメリカ社会の、従来型の文明社会の黄昏を描き出した本作なんですが、
それを象徴するように作中の大半のシーンが
「黄昏時」、もしくは「かわたれ時」なんですね。
日が暮れた直後、もしくは日が昇る直前の薄ぼんやりとした明るさ。
人がいるのはわかるが顔や細かい表情まではわからない、
いわゆる「誰そ彼時」「彼は誰時」。
映画の専門用語で「マジックアワー」とも言いますが。
この「マジックアワー」の特徴として登場人物に影が出来ない、
その影が出来ないことでその人物の得体の知れなさというか、
現実感や実存感が揺らぐ効果を出すことが出来るわけです。
そしてまさにそれによって主人公のファーンを始めとしたノマド達が
アメリカ社会の中から存在が薄れていっている感じ、
従来の価値観によって形成された社会から脱出していく感じ、
さらに不可逆的に変化していく世界の端境期、
価値観の潮目が変わるその瞬間を描き出してるなと感じました。


文明社会に背を向けてノマド生活を続けるファーンの姿を
絶望と取るか、希望と取るか。
そこは観る人の判断で変わってくると思うんですが、
少なくともこれから我々は社会の変化への対応を迫られ、
それを回避することはほぼ不可能なのかな?と考えさせられる一本でした。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

[2021年3月28日 ユナイテッド・シネマとしまえん 7番スクリーン]

 

 

 

 

 

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