どうも、はちごろうです。
この前の日曜に映画を観に行ったんですが、
体感温度と体温の乖離が一日中激しくて。
ものすごい寒気を感じたかと思ったら
急に顔が熱くなったりして、
でも出先にある非接触型体温計に顔を近づけると
「だからアンタは平熱だって!」って言われてしまう始末。
結局風呂で暖まって十分睡眠を取ったら治ったのですが、
結局これ、自律神経がちょっとトラブってたのかも。
ま、先々週の感覚でちょっと薄着で外に出たのが
一番の原因だったのかも知れませんが。
さて、映画の話。
「ARIA The CREPUSCOLO」
天野こずえ原作の人気アニメの劇場版完全新作第2弾。
人類が入植するため、テラフォーミング(地球化)された結果
地表の大部分が水に覆われたかつての火星「AQUA」を舞台に、
ウンディーネと呼ばれるゴンドラ乗りの女性たちの姿を描く。
あらすじ
人類が入植するためテラフォーミング(地球化)した結果、
逆に地表の大部分が水に覆われたかつての火星「AQUA」。
入植した地球人達はわずかに残った地表に町を作り生活していた。
マンホーム(地球)のイタリアの都市ベネツィアを模した街ネオ・ベネツィアには、
「ウンディーネ」と呼ばれるゴンドラを操る観光ガイドが活躍している。
ウンディーネになるためにマンホームからやって来た水無灯里は、
別会社ながら同期の藍華、アリスとともに
一人前のウンディーネになるため修行の日々を送っていた。
あれから数年、いまではすっかりプリマ(一人前)となった3人は
それぞれウンディーネとして忙しく働く一方、
それぞれアイ、あずさ、アーニャという後輩の指導にも力を入れていた。
そして灯里達の先輩で、かつては「水の三大妖精」と呼ばれた
アリシア、晃、アテナもまたそれぞれの道を進んでいた。
そんな中、アリスが現在はそのカンツォーネの実力を買われ、
歌手としても活躍するアテナを意識的に距離を置いていることにアーニャが気付き、
何とかふたりを仲直りさせようと画策するのだが・・・
ミニマムな世界だから許されること
2005年にTVアニメ化された人気アニメの劇場版なんですが、
これ、作品の設定も、制作の歴史も説明するのがホント厄介で。
火星をテラフォーミングした経緯から、そこでの生活様式、
「ウンディーネ」という職業の仕組みも説明しないと理解しづらい。
その割に、物語のジャンル自体はゆるふわ日常系アニメで、
ゆったりとした展開の中で人生に必要なことを説く内容ですしね。
また制作の歴史も、TVシリーズが3期制作された後、
いくつかのOVAやゲームなどが製作された後、
「蒼のカーテンコール」シリーズとして劇場版の製作が決定。
でもこれも本来は3部作で製作される予定だったらしいのにもかかわらず、
前作の「ARIA The AVVENIRE」からなぜか5年も経ってしまい、
さらにコロナの影響で半年公開が伸びるというね。
もう、こうなってくると相当なガチ勢でもない限り
人物相関図もかなりおぼろげになってましたよ。
ま、原作コミック全部持ってる私ですらこれなんですから、
配信サイトなどで予習でもしてない限りは
皆さん似たようなもんだと思いますけれども。
さて、この「蒼のカーテンコール」シリーズ。
「完全新作」と銘打っている割には思ったほどでもないというか、
TVシリーズで使われなかった原作のエピソードを使ってるので
原作ファンにとっては既視感があるんですよ。
それは今回もそうで、原作で使われなかった話を
しかも過去の回想シーンとして使ってるんでね。
なんか、それだったら新しいエピソードを一から作って欲しかったなと。
ただ、語られる内容はいいんですよ。変わらずこの作品らしくて。
今回の主人公は灯里ではなく、同期のアリスと先輩のアテナで。
(ま、灯里じゃないの?とちょっと面食らったのは事実だけど)
彼女はその圧倒的なゴンドラの操舵術を認められて
14歳の若さでウンディーネとしてのキャリアをスタートさせるんだけど、
操舵術以外の、ウンディーネとして求められる能力、
「観光ガイドとしての接客術」と「カンツォーネ」は人並み、
というか人見知りのために接客のスキルは人並み以下という状態で。
一方、彼女を指導する立場の先輩ウンディーネのアテナは
抜群の歌唱力で「水の三大妖精」の一角を担う存在なんだけど、
普段の生活では飲み物をこぼしたり、すぐつまづいたりと、
生活IQがかなり低い。いわゆる「ドジっ子」ってやつなんですね。
でもアテナはその一方で他人に対する気配りのスキルは非常に高い。
常にアリスを陰でサポートしてきた優秀な先輩で。
で、今度は自分が先輩としてアーニャの指導に当たるようになったことで、
年長者としての至らなさを必要以上に自覚するようになり、
またアテナの偉大さを悟ったアリスは申し訳なさから彼女と距離を置き始める。
先輩に合わせる顔がない、ってな感じで。
でも、アテナは自分のことを「いびつな存在」って思ってるんですね。
カンツォーネという突出した才能はあるけれど、
それ以外の分野は自分が人並み以下だと自覚してるので。
そしてそれは操舵術だけで認められたアリスの心境と一緒なわけです。
そのお互いがお互いの至らなさを自覚しつつ、
だからこそ互いを認め合い、思い合う姿はこの作品らしいなと。
しかし、今回観てて納得できないことがあって。
この作品、基本的に物語は「1体1」、もしくは「グループ内」の話なんですね。
灯里とアリシア、藍華と晃、アリスとアテナの先輩後輩だったり、
「灯里達」が経験した出来事、もしくは「灯里達」と先輩の誰かの話みたいな。
つまりエピソードに登場する人物は2人、もしくは3人の
最少人数で構成されてるんですよ。
そのため、登場人物が多少突飛な言動をしてても、
そこにいる人物が納得してれば許される部分があって。
でも逆に言えば登場人物が増えれば増えるほど
その突飛な状況に説得力が無くなるというか、ツッコミしろが出てくるんですよ。
それこそ作中で一番のツッコミ役である藍華の名台詞
「恥ずかしいセリフ禁止ー!」って言いたくなる。
で、アリスとアテナが和解というか、
互いの距離感を元に戻すクライマックスシーンで
ふたりが終演後のオペラ座でデュエットするシーンがあるんですね。
このくだり自体は確かに感動的に見えるんだけど、
それを横で他のメンバーが総出で見てるし、
さらにふたりの歌声を聞きつけた通行人も中をのぞいてるんですよ。
ここまで見届けてる人数が多いと観てるこっちが
「恥ずかしい和解シーン禁止ー!」って言いたくなってくるんですよ。
この和解は当人同士問題なんだからもっとミニマムに、
必要最低限の人数で成立させないといけなかったのではないか?と思いましたし、
そうでないとこの作品らしくないなと感じました。
とりあえず今年の冬にこの「蒼のカーテンコール」の最終章、
「ARIA The BENEDIZIONE」の公開が決定してるらしいんですけど、
今度は藍華と晃先輩の関係がメインということのようで。
今度は予定通り無事公開して欲しいと思います。
[2021年3月7日 新宿ピカデリー 2番スクリーン]
※とりあえずファンでも前作は観ておいた方がいいのかも