どうも、はちごろうです。
以前にもお話ししたかと思うのですが、
今年に入ってからほとんど映画館に行ってなくて。
平日はそもそも映画館に行くどころか、
仕事終わりに映画を観る気力も残っていなくて。
そして日曜はハリウッド大作が公開されないからと
賞レースに絡んでる配信作品をチェックしてたから、
結局何だかんだで何週間も映画館から遠ざかっております。
ま、明日は久しぶりに映画館に行く予定なのですが、
周囲がみんな観てるからという「事情」で観に行くので
波長が合うかどうか心配ではあります。
では、映画の話。
「ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-」
2016年に出版されベストセラーとなったJ・D・ヴァンスの回想録を
「アポロ13」「ビューティフル・マインド」のロン・ハワードが映画化。
オハイオの片田舎で、貧しく、複雑な家庭の中で育った法律家志望の青年が、
母親の入院をきっかけに人生の岐路に立たされる。
出演はエイミー・アダムス、グレン・クローズ。
あらすじ
2011年。イェール大のロースクールに通う青年J・D・ヴァンスは、
莫大な授業料を捻出するため大手法律事務所のインターンに応募する。
彼は最終面接前の食事会に出席するが、その最中、
故郷に住む姉リンジーから母親のベヴがヘロインの過剰摂取で入院したと連絡が入る。
食事会終了後、J・Dは母親を見舞うために深夜の高速で故郷に向かうが、
その道すがら、彼は複雑な家庭で過ごした少年時代を回想するのだった。
1997年。J.D.はオハイオ州の田舎町ミドルタウンで
看護師をしている母親のベブと姉のリンジーと3人で暮らしていた。
ベブの母親はかつてケンタッキー州ジャクソンに住んでいたが、
13歳でベブを妊娠。父親である恋人とミドルタウンに駆け落ちしてきた。
かつて鉄の圧延工場で栄えたその街も、工場の閉鎖でゴーストタウンと化し、
そんな中でもシングルマザーのベブは二人の子供を必死で育てていた。
しかしベブは情緒不安定で、怒りにまかせて子供たちを怒鳴り散らしたり、
車を暴走させて警察沙汰を起こすなどトラブルも絶えなかった。
そして父親の死をきっかけに彼女は勤務先の病院で鎮痛剤を盗み、
それが元で解雇されてからは更生施設への入退所を繰り返していた。
どんなに他者が手を差し伸べても・・・
エイミー・アダムスとグレン・クローズという、
オスカーに何度もノミネートされながら
なぜか受賞できない二人が共演のドラマ。
しかも年末に配信開始という点で明らかにオスカー狙いってのがわかる。
で、そんな二人が出演した本作がどういう話かというと、
2016年に発表された実在の弁護士の回想録。
貧困地域で生まれ育った青年の視点から、
3世代にわたる家族の歴史を見つめる話で。
さて、私は幸か不幸か自分の学力以上の高校に入ってしまいまして。
それまでの中学の緩い感じとは全然違う学校生活を強いられたんですね。
例えば現代国語では月一程度に読書感想文の提出があって、
いちいち課題図書を学内の生協で買う羽目になったりとか。
もちろん他の生徒は律儀に読んでバッチリ書く猛者もいれば、
巻末のあらすじや解説だけ読んで感想をでっち上げる者もいたんだけど、
私みたいに不器用な人間は締め切りまで読み切れず、
ロクな感想が出せずに成績を落とすみたいなこともあったんですが。
当時の私はそれまで本なんか自発的に読まなかったし、
休み時間中に本を読むようなクラスメートもいなかったから、
日常的に本を読むクラスメートが当たり前にいること、
しかも他のクラスメートもその事を気にもとめてないことに
軽いカルチャーショックを受けたことがありまして。
こういう「場違いな場所に来てしまった」という、一種の気恥ずかしさというか、
いたたまれなさというのは誰しも経験したことがあると思います。
冒頭、本作の主人公J.D.もまさにそんな経験をするわけです。
苦学の末に名門イェール大のロースクールに進学した彼は、
毎日皿洗いのアルバイトをしながら高額な授業料を捻出していたんだけど、
さすがにそれも限界に来たので法律事務所のインターンになろうとするんですね。
その際、事務所のメンバーとの食事会に出席することになるんですけど、
貧しい家庭で育ったJ.D.にはフォーマルな席での振る舞いというか、
テーブルマナーひとつ学んだ経験がないわけです。
目の前に整然と並べられた皿やナイフ・フォークの使い方がわからず、
かといってそこで「テーブルマナーを知りません」とは言えない気まずさ、
そこから自覚させられる育ってきた環境の違い、
そのいたたまれなさがものすごく伝わってくるんですよ。
一方で、そんなJ.D.を含めた子供たちの生きづらさと同時に、
二人を育てる母親ベブの苦悩も本作では描かれていくんですね。
作中で、J.D.たちの父親って出てこなくて、
冒頭からベブはシングルマザーとして登場するんですが、
孤独に耐えられない彼女はそれを解消するために恋愛を繰り返し、
父親の死をきっかけに薬物に依存してからは
子供たちの自立にも否定的な態度を取るようになる。
そんな母親と、そして自分の娘が堕落していく姿を知りつつ
それでも積極的に手を差し伸べようとしない祖母に対して、
J.D.は怒りを隠さないものの、それでも家族を見捨てることが出来ない。
その切なさというか、いたたまれなさというか、
ただ単純に「家族の愛は素晴らしい」という美談で一服付けない厳しい話だし、
またどんなに他者が手を差し伸べても他者の手だけでは人は立ち直れない、
最終的には自分自身が立ち直る気になることも重要だという
非常に複雑な感情に揺さぶられる作品でもありました。
あと、作中に出てくる美術がリアルというか。
例えば中盤で地元に帰ったJ.D.が姉の家の庭でパーティーに参加するんだけど、
その後、家の中の台所にはそのパーティーで使ったと思われる
使い捨てスプーンやフォークが洗って干してあるんですね。
つまり彼らは日常的にそれを食事の席で使ってることが想像出来るし、
冒頭のテーブルマナーで四苦八苦するJ.D.の様子にも繋がるとか。
あと序盤でベブがイースター用の卵の飾りに執拗にこだわるシーンがあって、
彼女にしてみればそれが家族をつなぎ止めるものだという意識が見えるんだけど、
手作りということもあるのか、ちょっとその飾りが子供っぽく見えるんですね。
また全体的に大人の服装も普段着が多く、しかもデザインも子供服の延長って感じで、
服装に年相応のフォーマルさがあまり感じられないとか。
そういういかにも「ヒルビリー」な雰囲気を演出する小道具に溢れていました。
正直ね、親子孫3世代の物語だし、そこに詰まってる社会問題もふんだんなので、
いろんな視点から語ることが出来るんですよ。
それだけ指摘する場所も多いのでいくら書いても書ききれないんですが、
おそらく観た人それぞれに気になるところが出てくるような作品だと思います。
[2021年1月5日 Netflix]
※問題を抱えた親を子供の視点から見た作品というと