どうも、はちごろうです。

 

 

そろそろ2020年の映画年間ベストテンとか、

そんなものを考える時期に来てるんですけどね。

昨年はあまりにもイレギュラーな年だったので

作品の数がなかなか揃わないんですよ。

年始にやっと選べるほど揃ってきましたけど、

ギリギリまで候補作を増やしていきたいと思ってます。

では、映画の話。

 

 

 

「シカゴ7裁判」

 

 

 



1968年に実際に起きた反戦デモの責任を巡り、
デモを先導したとされる7人の若者達が理不尽な裁判を戦う様子を描いたドラマ。
監督は「ソーシャル・ネットワーク」の脚本家アーロン・ソーキン。
出演はエディ・レッドメイン、サシャ・バローン・コーエン、
ジョセフ・ゴードン・レヴィッド、マーク・ライランス、フランク・ランジェラ。

あらすじ

ベトナム戦争が激化し、兵力増強のために徴兵数を増加させたアメリカ。
マーティン・ルーサー・キングやロバート・ケネディなど、
反戦を訴えた国内の活動家が次々に暗殺されたことで、
若者達の間で反戦ムードはさらに高まっていった。
1968年8月、大統領選の最中にシカゴで行われた民主党全国大会。
ベトナム戦争強硬派の共和党のニクソン候補に対し、
民主党は同じく戦争容認派のハンフリーの指名が濃厚だった。
それに対し、民主党社会学生同盟(SDS)のトム・ヘイデンとレニー・デイヴィスは
ハンフリーの擁立に対して反対運動を計画する。
同じく青年国際党(イッピー)のアビー・ホフマンとジェリー・ルービン、
ベトナム戦争終結運動(MOBE)リーダーのデヴィッド・デリンジャー、
ブラックパンサー党全国委員長のボビー・シールたちも
党大会会場近くの公園で抗議の意を示すために集結を計画していた。
この動きに対し、シカゴ市のベイリー市長は武力による鎮圧を容認。
機動隊に加え、州兵の派遣まで要請していた。
ニクソン政権が誕生し、党大会から5ヶ月後、
連邦検察官のリチャード・シュルツとトーマス・フォランは
新たに司法長官に就任したジョン・ミッチェルに呼び出される。
ミッチェルは党大会で起きたデモ隊と警官隊との暴動を先導したとして、
ヘイデン、デイヴィス、ホフマン、ルービン、デリンジャー、シール、
そしてジョン・フロイネスとリー・ワイナーの8人を起訴するよう命じる。
しかし若き検察官のシュルツは彼らを有罪にすることは無理だと感じていた。
裁判に際し、自ら弁護士を雇っていたシールを除いた7人の弁護に、
人権派弁護士のウィリアム・クンスラーとレナード・ワイングラスが名乗りを上げるが、
裁判官のジュリアス・ホフマンの偏見に満ちた裁判方針によって、
8人とクンスラー達は理不尽な裁判を強いられるのだった。

 

 

「国を守る」という大義の落とし穴


以前、自民党の石破茂議員が「デモはテロ」という発言をして
多くの人に批判されたことがあったんですが、
当時この発言について自分なりに考えてみたことがあって。
まず、市民が政治について意思を表明する手段というと
第一に選挙というものがあるわけですよ。
一応日本も間接民主主義というものを採用してて、
有権者はさまざまな社会問題を解決するための議論を
特定の候補に委ねる形で参加するわけです。
しかし、我々は選んだ議員に白紙の委任状を渡したわけではない。
あくまで自分たちの望む政策の実現を期待して投票したわけで、
「選ばれたんだから何をしてもいい」と議員が考えるのは間違ってる。
そのため、有権者は常日頃から議員に対するチェックをするべきだし、
その活動がおかしいと感じればどんどん抗議をするべき。
そしてその抗議の手段としてデモ活動というのが認められてるわけです。
ただ、このデモ活動というのは万国共通で問題点を抱えていて、
例えばデモ活動に乗じて日頃の鬱憤を晴らすために暴力行為を行う者が集まったり、
単純に騒音問題や交通渋滞を引き起こすことで近隣住民に迷惑がかかるなど、
抗議者の主張に関心がない人々には正直邪魔だと思われてしまう。
昨年の米国のBlack Lives Matter運動のデモ行進でも、
騒ぎに乗じて破壊活動を行う一団が現れて大問題になったのが典型的な例で。
その結果、「デモ隊は怖い」「デモでは社会は変わらない」
「そんなに政治に不満があるならお前が選挙に出ろ!」と
筋違いの反論をしてしまう人なんかも後を絶たないわけで。
そしてまた、抗議される政治家達もそうしたデモ懐疑派の意見を都合良く利用し、
「抗議活動=社会の害」と世間に思わせるイメージ戦略を行うなど、
本来正当な政治活動であるはずのデモ活動は非常に旗色が悪い。
特に日本の場合、60年代以降の学生運動のイメージが尾を引き、
政治に関心を示すこと自体が敬遠される傾向にある。
だから冒頭の石破議員のように
「デモによる抗議活動は正当な政治活動ではない」=「テロ」と、
意識的・無意識的にかかわらず短絡的に結びつけて批判する、
しかも政権与党の有力議員という立場でもそんな発言が出てきてしまうわけです。

といったようなわけで、政治活動としてのデモというものは、
正当な活動でありながら誤解されやすく、また隙も多いため、
それだけに非常に脆いものだよなぁ、と考えたことがあって。


さて、本作はベトナム戦争容認派の大統領候補に抗議するため、
若者達がデモ活動を指揮した結果、警官隊の武力鎮圧で多くの犠牲者を出し、
しかもその責任を負わされそうになった若者達が
理不尽な裁判を戦う羽目になる姿を追った話で。
起訴されたのは8人、でも厳密には7人。しかもそれぞれ所属する団体が別。
しかも7人のうち2人は完全に巻き込まれた形で被告になったので、
その2人の説明はほぼなく話が進んでいく。
そして起訴された8人が理不尽な裁判を強いられる姿と、
実際に当日何が起きたかの顛末が交互に語られる構成。
しかもこの裁判を理不尽と感じているのは被告側関係者だけでなく、
原告側代理人である若き検察官の苦悩も同時に描いてるので、
もう、冒頭から情報量の洪水でハッキリ言ってパニクります。
ただ、ここが配信サイトの便利なところというか、
作中の説明がわからなければその場で何度も巻き戻して見られるので、
話が途中で理解できなくなるということはないです。

で、観ててひとつ面白いなと思ったのは、被告となった8人のうち、
ついでに起訴されたフロイネスとワイナーの二人を除いた6人の中で、
SDSのトムとレニー、そしてMOBEのデリンジャー、
そしてブラックパンサーのボビーは
デモの企画段階から行政に対して正当な手続きを取り、
また性善説に立って警察もそこまでひどいことをしないと考えてて。
だから彼らは法廷内でも基本的にフォーマルな言動を心がけてる。
一方、イッピーのアビーとジェリーは逆に性悪説に立って、
もし警官側が実力行使に出たら暴力も辞さないと考えてる。
そして裁判中にも裁判官を茶化すようなパフォーマンスをしたりしてるんですけど、
実際に物理的な暴力を振ったり不法行為をしてしまうのはむしろ前者なんですね。
例えばトムは尾行中の警察車両をパンクさせたり、
デリンジャーは裁判中に拘束されそうになって職員を殴るし、
結局、後に現場で録音された音源が発見された結果、
暴動の引き金を引いたのはトムだったことがわかるんですね。

つまりですね、本作で悪役となる行政側、特にニクソン政権の司法長官ですね、
8人を見せしめで起訴して有罪にするよう強要した張本人なわけなんですが、
彼のように「国の決めたことは全てにおいて正しい、
だから国民は無批判で受け入れろ」という考え方は、
実は国に抗議するデモ隊、特にトムにもかなり似たような考え方が通底してる。
つまりどちらも「国を守るため」というお題目を過信しすぎてるんですね。
だから多少荒っぽいことやっても許してね、テヘペロ!みたいな。
しかしその一方、アビーたちは見た目や言動は決して褒められたものではないが、
最終的な一線は絶対に越えない、相手の土俵で勝負しない、
出来る限り知恵とユーモアで勝負しようという点でもよほど理知的で、
ここが実に興味深いなと感じましたね。


毎年毎年、世界各国で政府に対する抗議活動が行われて、
日本でも国際ニュースで見かけることがありますが、
作中で「世界が見てる」と政府を抗議した7人、そして彼らの支持者達もまた、
諸外国から見られているんだということを思い出させてくれる作品でした。

 

 

 

[2021年1月3日 Netflix]