どうも、はちごろうです。

 

 

 

では、映画の話。

 

 

 


「声優夫婦の甘くない生活」

 

 

 



崩壊寸前のソ連からイスラエルに移住してきた人気声優夫婦が、
第二の人生に悪戦苦闘する様子を描くコメディドラマ。

あらすじ

東西冷戦終結によりソ連が崩壊。
国内にいたユダヤ人はイスラエルに移住を推奨された。
1990年9月。ソ連で人気を誇ったベテラン声優のヴィクトルとラヤの夫婦は、
役者の若返りを図りたいという録音スタジオ側の都合で3ヶ月前に解雇され、
それを機にイスラエルへの移住を決断した。
放送局に勤める知り合いのアハロンと再会するも、
ヴィクトルの望んだラジオドラマの仕事はなく、逆に舞台復帰を促される。
心機一転を図ろうとその申し出に乗り気のラヤに対し、ヴィクトルは難色を示す。
その後、二人でヘブライ語の教室に通うも、
イスラエルでの生活になじもうとするラヤに対し、
ヴィクトルはなかなか順応への意欲を持つことが出来なかった。
そんなある日、「若い女性の声求む」という求人広告を見つけたヴィクトルは
ラヤに申し込むよう提案。電話での面接で合格した彼女は後日その職場に出向いたが、
そこは電話越しに男性客を性的に興奮させるテレフォンセックスの会社だった。
性的な知識も乏しかったし、何よりヴィクトルという夫もいるため、
一旦はその仕事を断ったラヤだったが、生活のためと割り切り、
彼女はヴィクトルには「香水の電話セールス」と偽ってその仕事を受ける。
ラヤは「マルガリータ」という源氏名で男性客からの求めに応じ、
若い娘から人妻まで、様々な声を使い分けて常連客を獲得していく。
一方、ビラ貼りのアルバイトで細々と稼いでいたヴィクトルは、
街でロシア語吹き替え版専門のレンタルビデオ店を見つける。
その店で扱っている商品は正規ルートで手に入れたものではない、
いわゆる「海賊版」というやつだったが、
ヴィクトルは再び声優として吹き替えの仕事が出来ると考え、
ラヤを巻き込んで違法レンタルショップの商品の吹き替えを始めるのだった。

 

 

 

「声優夫婦」である必要あったかしら?



ソ連崩壊の影響で海外に移住し、新生活を立ち上げる二人の話なんだけど、
要は新しい生活に対する男女の順応能力の話というんでしょうか。
突然それまでの日常や、生活サイクルが変わったことに対して、
なるべく元のやり方を残そうとする男側と、
どんどん自分を変えていく女性たちの考え方の違いの話で。
だからこれ、夫のヴィクトル側と妻のラヤ側、
双方が経験する出来事に分けて考える方がいいのかな?と。

まず、夫のヴィクトル。
彼はソ連時代に数々のハリウッド映画の吹き替えを担当したベテラン声優。
イスラエルに移住後は、つてを頼ってラジオドラマに出演したいと考えてた。
でも放送局側にはそういう需要がなく、舞台復帰を促されるんですね。
ところがヴィクトルは難色を示し、ビラ配りのバイトを始めたりなんかする。
で、ついに一念発起して舞台のオーディションを受けるんだけど、
「誰かのものまねでなく、あなたの演技をして欲しい」って言われて
思わず固まってしまうんですね。何をしたらいいかわからなくなって。

たぶんここで描きたかったことは、
彼が長年他人の演技に憑依するように声を当ててきたことで
本来の自分の演技がわからなくなってしまったってことなんだと思うんだけど。
おそらく作者は、そこから定年退職したサラリーマンかなにかを
ヴィクトルに投影したかったのかと思うんですね。
社会の中で他人の作ったルールの下で働いてきたから、
いざ自分の裁量で自由に動けるようになっても
どうしていいかわからなくなってた、ってことなんでしょうね。

ただ、実際の声優業ってそもそもが演技の仕事だし、
声だけの演技と身体も使った本来の演技、両方やるのが一般的。
だから声優ばっかりやってて一般的な演技が出来なくなるなんて
ちょっと考えられないんですよね。
実際問題、日本だと劇団に所属していた若い俳優さんたちが
外国のTV映画の吹き替え仕事を副業にして、
「今日は声だけの俳優だから、『声優』だ」って冗談めかして言ったのが
「声優」という言葉の由来だったりしますしね。
だからここはちょっと「?」って思ったりもしました。


一方、妻のラヤの方もやはりヴィクトル同様に声優として活躍してきたんだけど、
移住後になかなか仕事が見つからず、たまたまヴィクトルの勧めで
「良い声の女性求む」という求人広告を頼りに面接を受けたら、
それがテレフォンセックスのオペレーターだった。
既婚者で、あまり性的な知識が無く、しかもすでに初老の域に達しているラナには
どう応対していいのかわからなかったんだけど、
とりあえずエロ本を読んで勉強したりなんかして
「マルガリータ」という源氏名で仕事を始めるんですね。
で、ラヤは元々声優だから若い女性から人妻まで、
いろんな女性の声が出せるということで
次々と常連客を獲得していくんですけどね。

すでに恋愛とか性愛とかを半ば諦めてしまった女性が、
何かのきっかけで再び他者から恋愛の対象として、
性の対象として認識されたことをきっかけに自尊心を取り戻していく、
っていう展開を映画の中でたまに見かけるんですけど、
これって本当なのかな?っていつも思うんですよね。
基本的に男って他者から性的な目で見られていることを
自覚することってほとんどないわけですよ。
だから若い頃に他者からそうした目で見られたことを嫌悪したことも、
他者から性的な欲求の対象外になっていくことも、
また再び誰かからそういう目で見られることもないわけで、
もちろんそういう人もいるのかも知れないですが、
いまいちピンとこないんですよねぇ。
ま、男女問わずそれを表明すること自体どうかと思いますが。

だからこの辺のところは女性の意見も訊いてみたいです。


ま、セカンドキャリアに差し掛かった夫婦が、
環境や関係性の微妙な変化に戸惑ったりする話というのは
過去にもなかったわけではないですし、
話自体はそんなに新鮮だなとは感じなかったですし、
何より夫婦の職業を声優にしたことが
テーマの表現手段としては微妙にズレてるんじゃないかな?って気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[2020年12月20日 新宿武蔵野館 1番スクリーン]

 

 

 

 

 

※この作品の感想を書きながら何となく思い出した作品