どうも、はちごろうです。

 

 

 

ここ数年、平日は朝から晩まで仕事して、

夜は土曜日に「か和もっち」に行く以外は家で過ごし、

日曜日は映画をハシゴして終わるという毎日で。

さすがにつまらなくなってきたので、

ちょっと変化を付けようとあることを始めました。

とはいえ、何を始めたのかの公表は

しばらく控えようかなと思ってます。

ま、多少格好が付いてからということで。

では、映画の話。

 

 

 

「羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)

                  ぼくが選ぶ未来」

 

 

 



2011年に中国で発表されたWEBアニメを長編劇場アニメ化。
本国中国はもちろん、昨年日本でも小規模公開ながら好評を博し、
今年ついに日本語吹き替え版で拡大公開されることとなったファンタジーアニメ。
都市開発で住処を失った黒猫の妖精が、人と妖精の対立に巻き込まれていく。
声の出演に花澤香菜、宮野真守、櫻井孝宏など、実力派キャストが集結。

あらすじ

自然豊かな森の中で暮らしていた黒猫の妖精シャオヘイは、
人間達による土地開発によって森を追われ、
大都市の片隅で人間の影に怯えながら暮らしていた。
そんなある日、人間達に襲われそうになったシャオヘイは
フーシーという妖精に助けられる。
彼に連れられ、自然豊かな島で彼の仲間に出迎えられ、
食べ物と住むところまで与えられたシャオヘイは久しぶりに心の平穏を取り戻す。
ところがある日、彼らの元にムゲンという男が現れ、
フーシー達との戦闘の中、シャオヘイはムゲンに連れ去られてしまう。
突然フーシー達から引き離されたシャオヘイは
ムゲンの元から何度も脱走を試みるが失敗。
そんなシャオヘイに対して、ムゲンは他の妖精達が住む館に案内するという。
ムゲンは元々人間で、人との共存を目指す妖精達に協力し、
争いを起こそうとする妖精達を取り締まる執行官の役目を負っていた。
そして彼によればフーシーこそが人との共存に反対し、
戦いを仕掛けようと企む妖精達のボスだというのだった。



確かにこの天そばは旨いけど・・・



昨年から一部で話題になっていた中国製のアニメ映画だそうで。
私、完全にこの作品をスルーしてたんですよ。
昨年の9月に字幕版が公開されてたらしいんですが、
意外と近所でやってたにもかかわらず全然気がつかなくて。
この作品の存在を初めて知ったのは今年の正月で。
別の海外アニメを観に行ったとき、その劇場でレイトショーやってて、
すでに数ヶ月ロングランしてると聞いて興味を持ったのですが、
とにかく速攻でチケットが完売してしまうような状態だったので
結局諦めてしまって今に至る、といった感じで。
そうこうしているうちに日本語吹き替え版が、
しかもかなりの規模で拡大公開されるというので
やっと観られることが出来たわけです。

で、確かに評判通りの素晴らしい出来ではあるんです。
特にアクションシーンのダイナミックな動きは
ホント良く出来てるなぁとビックリしました。
キャラクターも、日本のTVアニメと比べると輪郭線がかなり太いんですけど、
なんていうか、ポップなイラストが動いてるような感じで、
こういうところは日本のアニメではあまり見かけないから
かなり新鮮な部分ではありました。
それと面白いのが作中での食べ物の使い方。
これはお菓子評論家の福田里香先生が提唱した

「フード理論」ってやつなんですけどね。
序盤で、フーシーに助けられたシャオヘイが
仲間の元に連れて行かれて一緒に焚き火を囲んで食事をする。
焚き火で焼かれた肉を食べてシャオヘイはご満悦なんだけど、
「一緒に食事をした者は仲間」というフード理論的なセオリーからすると、
ここでシャオヘイとフーシーには好意的な関係が生まれるんですね。
その後、シャオヘイはムゲンに連れて行かれるわけですが、
その途中で二人は焚き火を囲み、同じように食事をする。
ところがムゲンの焼いた肉を、シャオヘイは口にしたものの吐き出すんですね。
これはいわゆる相手に対する「拒絶」のサインでもあるんですが、
ムゲンもまた自分が焼いた肉を囓って吐き出してしまうんですよ。
つまり単純にその肉がまずかった、だから食べられなかったわけで。
その後も、ムゲンの焼いた食べ物を二人は同じように吐き出すんですけど、
この「不味い料理を一緒に食べて吐く」という共通体験によって関係性を築く、
というのもフード理論の亜種というか、面白い使い方だなと思いました。


ただ、作画の素晴らしさに対して脚本が釣り合ってないように感じて。
例えば作中でいろいろと専門用語が出てくるんですけど、
その説明が雑というか、あまり時間が割かれていないんですよ。
だから観ていて「レイイキって何?リョウカイ?何のこと?」みたいな。
ま、いわゆる「レイイキ」ってのは「霊域」ってことで、
妖精達が持つ特殊能力の属性のことらしいんですけど、
そんな中でもさらにシャオヘイは空間を操る能力があって、
これを「領界(リョウカイ)」というようで。
他にもムゲンは人間でありながらなぜ妖精以上に霊域を操れるのか?とか、
終盤で一人にひとつしかないはずの「霊域」を
シャオヘイはなぜか二つ持っていたことがわかるんだけど、
この理由もきちんと説明されないんですよ。
だから映像には心動かされるんだけど、
内容はすっきりと飲み込めなかったんですよねぇ。

それと、こういう事を言うのは何なんですけど、
おそらくこの監督さんは日本のアニメから相当影響を受けてるっぽいんですが、
それがそのまんま作品に反映され過ぎちゃってる感じなんですよね。
もちろん私が子供の頃からアニメをたくさん見てきたのもあるし、
日本のアニメは海外でも人気だってのもあるんだけど、
だからこそ既視感がありまくりなんですよ。
もう冒頭から「もののけ姫」か「ぽんぽこ」かって感じで、
ジブリっぽさ全開の森の景色から始まるわけですよ。
ま、内容自体も「人と自然の対立と共存」なわけですけど。
それと登場人物が何か行動を起こした結果、
ちょっと面白い展開になったときに背景が省略されるんですけど、
これも「シティーハンター3」あたりを思い出しちゃって。
クライマックスの街中での異能力バトルなんか、
いくつも作品が思い出されちゃってね。
だからこう、良い作品であることは間違いないんだけど、
見慣れた定番の描写からくる安心感の方が強かったというのが正直な感想ですね。


これはもう、極々個人的な感覚なんですけど、
これだけ自国でアニメーションが大量に生み出されている中、
敢えて海外のアニメーションを見る理由、求める理由って、
やっぱりその国の文化や風習、歴史に根ざした独自のセンスなんですよ。
でもここまで日本のアニメっぽいものを作られると、
どれだけ質が高くても残念な気持ちになるんですよねぇ。
中国に旅行に行って天ぷら蕎麦を出された感覚に近いというか。
しかもそれが日本で食べるよりよっぽど美味しくて、
「いや、たしかに美味しいんだけど!」みたいな。

ま、これはタイミングが悪かったとしか言いようがない。
良い出来なのは間違いない。でもいまの私が求めるものではなかったってだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[2020年11月15日 TOHOシネマズ池袋 7番スクリーン]

 

 

 

 

 

※おそらくこの辺から影響を受けてると思うんだけど