どうも、はちごろうです。

 

 

 

昨日深夜、ナインティナインの岡村さんが

自身のラジオ番組で結婚を報告しまして。

長年、大物独身芸人の一人と言われてきてましたが、

ここにきての結婚発表。さすがに驚きました。

何しろプライベートに関してはかなりガードが堅く、

浮いた噂もなかなか聞かなかったですから。

ま、ファンとしては頑張ってくださいと。

では、映画の話。今回は芸人の映画です。

 

 

 

「ルディ・レイ・ムーア」

 

 

 



70年代に活躍した黒人コメディアンの半生を
エディ・マーフィー主演で送る伝記映画。

あらすじ

1970年代前半のロサンゼルス。
歌と笑いでスターを目指す黒人男性ルディ・レイ・ムーアは、
昼間はレコードショップの店員をしながら、
夜は地元のクラブでショーの司会をしていた。

だが自作のコメディライブのレコードは在庫の山。
一向にヒットの芽は出ず、年齢だけを重ねていた。
そんなある日、近所でうろつくホームレスのリコが店に入ってくる。
客に迷惑が掛かるからと追い出そうとするルディだったが、
リコが酔って刑務所仕込みのホラ話を語り出したことに着目する。
ジョーク自体はありきたりなものだったが、
その晩ルディはホームレスのたまり場にリコを訪ね、
他のホームレスたちにも取材をして元ネタを集め始める。
それに独自のアレンジを加えたジョークを作り、
翌晩、彼はアフリカ帰りのポン引き「ドールマイト」に扮し、
どぎつい下ネタのジョークをクラブで披露する。
そのジョークが評判を呼び、クラブは連日黒人たちで満員に。
ルディはその勢いで伯母の年金を借りてライブのレコードを自費で制作する。
それを持参して近所のラジオ局に売り込みをかけるが、
どこのDJからも「下品すぎて放送できない」と断られてしまう。
彼はその状況を逆手に取り、自主販売で売り始める。
レコードは瞬く間に口コミで評判を呼び、
街中の黒人コミュニティで聴かないところはないほどの評判を呼ぶ。
そんな1974年、ルディは地元の仲間と一緒に
当時ヒットしていたコメディ映画「フロント・ページ」を観に行くが、
白人が主人公の、当たり障りのない話に一切笑えなかった彼は、
自分たちの手で黒人向けのコメディ映画を作ることを決意するのだが・・・

 

 

 

非常に笑いづらい「笑いの天才」の話



これ、ちょうど例のちっちゃいおっさんの件の直後に見たんですよ。
あの件を境にってわけでもないんですけど、
ここ数年、深夜の芸人ラジオでも下ネタが減ってきてるのを実感してて。
だからこう、いろいろと考えさせられたんですよ。。
本作の主人公ルディが扱うネタはわかりやすいくらいの下ネタで、
作中でも出てくるんですが、最初は既存のメディアは敬遠するんですね。
「下品すぎてとても扱えない」と。
でもこうした「公序良俗に反するネタ」に対する需要というのは
いつの時代でも一定数あるんですよ。
ルディの制作したライブのレコードも、その品のなさ、いかがわしさ、
そうしたヤバい感じが逆に人々の関心を引くことになるわけです。
そして彼が「黒人の観客層」という、
大手メディアが手を付けてなかった空白地帯に敢えて踏み込み、
その需要を総取りし始めたことをきっかけに、
既存メディアで儲けていた連中は
手のひら返したように揉み手をして近づいてくる、というね。

そしてそれは彼が映画制作に乗り出す後半でも
ほぼ同じ展開を見せるんですね、面白いくらいに。

本作で彼らが作る映画「ドールマイト」。

ルディが演じてきたポン引きを主人公にした娯楽作なんですけど、
彼も仲間たちも映画の撮り方なんて全然わからない、
全くの素人集団による「映画ごっこ」に毛が生えたような作品なんですよ、正直。
作中で作る映画の中に、ルディ扮する主人公ドールマイトが
白人どもをカンフーでやっつけるシーンがあるんだけど、
もちろん道場で修行したわけじゃないから本物のカンフーじゃないし。
そうしたレベルの低さに、監督を務めたハリウッド帰りの俳優ダーヴィルは
「ついていけない」とばかりに全然やる気が無くて。
クランクアップした途端に悪態付いてスタジオを出てったりなんかして。
そしてなんとか作品は完成するんだけど、
今度は作品を買ってくれるスタジオがなかったために、
ついにルディたちは独自に劇場を借りて自主上映をするんですよ。
宣伝活動も監督本人が自力でやったりなんかして。
でも、ルディのような黒人たちのために作られた娯楽映画がなかったから、
噂を聞きつけた黒人たちが続々と映画館にやって来て大喝采するわけです。
内容的にも既存のジャンルに囚われない、
コメディあり、アクションあり、もうなんでもありのごった煮で。
そしてまた一度は鼻で笑って断った大手映画会社が
揉み手をして「売ってくれませんかね?」ってやってくるというね。

でも考えてみるとこの構図、アメリカの文化では典型的なパターンですね。
それは映画に限らずいろんなジャンルでもそうで、
例えばヒップホップやブレイクダンスなんかわかりやすいけど、
黒人コミュニティの中から生まれた文化を
後から来た白人たちがおいしいところだけ持っていくというやつで。



さて、この作品はコメディアンの話なので笑えるのかというと
正直言ってルディのジョークは笑えないんですよ。
なんでかというと、これはエンドロールで説明されるですけど、
彼のジョークは80年代のヒップホップに多大な影響を与えた、
つまり韻を踏んだ言葉遊びの面白さなんですよ。
元々のタイトルである「Dolemite is my name」。
作中ではこんな感じで使われているんですね。

 Dolemite is my name.
  ◯◯ is my game.


「俺様はドールマイトだ。◯◯するのが俺の仕事だ」
って感じ。この「◯◯」のところには下品な行為が入るわけですが。
で、この文の最後の「name」と「game」の言葉遣いが、
いまのヒップホップで言う「ライミング」に繋がるわけです。
こういった調子のジョークなので、内容自体はそんなに面白くない。
だから普通に日本語字幕で見たり、吹き替えで見てもちょっとわからないんですね。
(ちなみにルディの声を担当してるのは山寺宏一さん。
 何の不安もない、安心の演技でした)
だから見るときは敢えて音声を吹き替えにして、
字幕を英語にして見るとより理解できるかもしれないです。

それとこの作品で結構良いなと思ったのは、
芸人が人気者になっていく話って必ず恋愛シーンが出てくるんですけど、
本作にはそれが一切無いんですね。ここがすごくいいんですよ。
もちろんヒロインになる女性は出てくるんですけど、
あくまでも仕事上のパートナーであって恋愛対象にはならない。
ルディがライブツアー中に会場のクラブで旦那とケンカ別れした女性客で、
彼女の口げんかのレベルの高さに着目したルディが彼女をスカウト。
一緒にライブしたり、映画にも出演したりするんですけど、
それでも二人が恋に落ちるといったようなシーンはないんですね。
こういうところも、なんかいいなと思いましたね。




[2020年5月24日 Netflix]