どうも、はちごろうです。

 

 

 

昨日は朝から雨で寒かったですねぇ。

実は先日、Amazonが出してるタブレットを手に入れまして。

ところがやはりPCメーカーが出してるものではないのか、

アプリの選択肢があまり多くない印象。

しかもたいがいが英語版で、言語設定も変えられないものばかり。

幸いタブレットの操作性は悪くなく、本体自体の機能は当たりでしたが。

しばらくはこれと格闘することになりそうです。

では、映画の話。

 

 

 

「アイ・アム・マザー」

 

 

 



文明崩壊後の地球のシェルターで教育用ロボットに育てられた少女が、

シェルターの外にいた負傷した女性を助けたことから

「母親」であるロボットとの関係に変化が生じる様子を描く。

出演はオスカー女優ヒラリー・スワンク。

 

あらすじ

人類の大半が死滅した地球。
とあるシェルターの中で、一体の教育用ロボットが
遺伝子操作によって作られた人間の赤ん子を育て始める。
ロボットが赤ん坊に教えるプログラムは完璧で、
その赤ん坊は頭脳明晰の美しい娘に育つ。
しかし娘はシェルターを出て、外の世界を自らの目で確かめたいと願うが、
「母」であるロボットは「私が間違ったことがある?」とその願いを否定する。
そんなある日、シェルターの固い入り口を外側から何かが叩く音に気付いた娘は、
「母」の気をそらしたすきにシェルターのハッチを開ける。
そこには腹部に重傷を負った一人の女性がいた。
娘は彼女を助けるためにシェルターの中に保護するが、
「母」は外から来た女性と、そして娘に対して不信感をあらわにするのだった。

 

 

 

子育てはどこまで「プログラム」できるか?



ま、典型的な毒親ものなんですけどね。
おそらく機械との戦いで人類はほぼ死滅してるんだけど、
遺伝子技術でロボットが受精卵の状態から人間を育てられる時代で。
で、主人公になるロボットが保管してあった受精卵から一つ選んで、
それを機械に入れて赤ん坊を授かる、というか「製造する」に近い。
そしてロボットは膨大なプログラムに則って
その生まれてきた女の赤ん坊を育てていく。
機械が蓄積している子育てプログラムは完璧で、
娘は頭脳明晰、クラシックバレエも出来る「いい子」に育つんだけど、
やっぱりね、どこか倫理的に若干の不安感というか、
完璧にコントロールされた状態で育てられてることに
「それでいいのか?」って感じになるんですね。

で、中盤。
そこにもう一人の登場人物が出てくるんですね。
それがシェルターの外からやってきた一人の女性。
おそらく機械との戦いの中で負傷したらしく、
脇腹に銃創があって服に血もにじんでて。
それを知った娘は「母」の目を盗んで
彼女をシェルターの中に匿うんですけど、
ここからそれまでの母と娘のバランスが徐々に崩れていく。
シェルターという閉鎖的な空間の中で、
ロボットが与えてきたルールを盲信してきた少女が、
初めて出会う他者によって自立心が加速し、
母と対立してでも他者と生きる道を模索し始めるんですね。

誰かに庇護されて生きてきた子どもが、
自らの意志と判断で生きる大人になるためには、
一度創造主である親の方針に疑問を持ち、
そして戦ってでも自己の欲求を押し通さなければいけない、
という「毒親」ものの映画では典型的な展開を見せるんです。
ところがこの作品、ラスト付近に出てくるあるシーンで、
その「親を否定すること」すらプログラミングされていたのでは?という、
非常に怖いオチが待っているんですよ。
なんていうか、子どもの成長に対し「親」は全てお見通しで、
自ら勝ち取ったと思っていた「大人の自覚」すら
お膳立てされていたとしたら、こんな怖いことはないなと感じました。



[2020年4月26日 Netflix]