どうも、はちごろうです。
明日からクリストファー・ノーラン監督の新作「テネット」、
京都アニメーションの新作「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が公開。
両作とも、初日のチケットセールスがとんでもない売れ行き。
特に「テネット」はIMAXスクリーンの売れ行きほど大きい。
ただ「エヴァーガーデン」も待ちに待った公開なので
どこもかなりのハイペースで満席になっている模様。
しかしこれ、両方とも上映時間が2時間半前後。
この2本をハシゴするのは結構厳しそうなんですよねぇ。
やっぱりどっちかを来週に持ち越した方がいいんでしょうか?
というか、まずはチケットが無事に取れるかが大問題で。
では、映画の話。
「ブックスマート
卒業前夜のパーティーデビュー」
昨年、全米で数々の映画賞に輝いた青春コメディ。
3年間、名門大学進学を目指していたガリ勉女子高生コンビが、
卒業式前日に羽目を外そうと奮闘する姿を描く。
出演はビニー・フェルドスタイン、ケイトリン・デヴァー。
監督はこれが長編初監督となる女優オリヴィア・ワイルド。
あらすじ
クロケット高校の生徒会長モリーとその親友エイミーは、
名門イェール大学進学を目指し、猛勉強の末に進学を勝ち取った。
卒業式前日、高校最後の一日を惜しむかのように
クラスメートたちが校内で馬鹿騒ぎを繰り広げていた。
その日の晩、二人は生徒会副会長で人気者のニックの家で
卒業を祝うパーティーが開かれることを知るが、
彼らを内心バカにしているモリーは一切興味が無かった。
一方、エイミーは同じ学年のスケボー少女ライアンに恋心を持っていて、
モリーから何度も卒業前に告白することを促されていた。
ところがモリーが校内の男女兼用トイレに入っているとき、
個室の外でパーティー三昧で尻軽と噂されてる女生徒、
通称「トリプルA」が同じクラスの男子生徒テオとタナーとともに
自分の悪口を言っているのを聴いてしまい、
個室から出てきたモリーはつい彼女たちにイェール大進学をひけらかす。
ところが、トリプルAも早い段階でイェール大への進学を決めていると反論。
タナーも別の名門大に、そしてテオはグーグルへの就職を決めたことを告白する。
それまで周囲のクラスメートは遊び呆けて一切勉強しておらず、
卒業後は満足な将来を送れないだろうと思っていたモリーは愕然とする。
そこで彼女は勉強三昧だったそれまでの高校生活の帳尻を合わせようと、
エイミーと共にニックの主催するパーティーに参加するため奔走するのだった。
私が青春映画を楽しめない理由
TBSラジオの「アフター6ジャンクション」を初めとして、
映画ファンがこぞって褒め称えてる作品。
「21世紀の青春映画」の傑作とまで言われて、
私の周囲でもみんな大絶賛なんですけどね。
ただ、実は私、「青春映画」ってちっとも楽しめないんですよ。
そもそもあまり他人と自分を比べることってしてこなかったし、
なにより小さいときから誰かと一緒にいるよりも
一人で黙々と何かしてるときが一番イキイキしてる!って子だったので。
また他人のプライベートなことにあまり興味が無いというか、
他人の個人的な事情に無闇に踏み込むのは失礼とも思ってるので。
だから昨今映画で流行りの「スクールカースト」ってのもピンとこない。
学校内に明文化されてはいないけど確実に存在する
「学生間の暗黙の序列」とか、そんなもんホントにあるの?って感じで。
だから数年前の「桐島、部活やめるってよ」って映画を観たときも
登場人物の誰にも共感出来なくてね。
それこそ地球の裏側の国の統治機構ぐらい、自分には縁遠いものと思ってる。
それだけ学生の頃は他人のことに興味が無かったってことなんですけど。
別に世捨て人のように孤独に浸ってたわけじゃないんです。
一応休み時間中に喋ったり、部活帰りにゲーセン行ったり、
マック寄ったりするようなクラスメートはいたけれど、
だからといって相手の家族構成とか、将来の目標みたいな、
踏み込んだ話を訊こうとも思わなかったし、
こっちからも話すようなことも無かったわけですよ。
ま、そもそもそんな機会が無かったですしね。
自転車通学だったから他のクラスメートと比べて一緒にいる時間が短かったし。
だから他者と自分とを比べて羨んだりとか憎んだりとか、
そういう感覚って元々薄いんですよ。昔っから。
人は人、自分は自分、天が二物も三物も与えることはあるし、
また逆に秀でた才能が何もないことだって普通、そんな風にいまでも考えちゃう。
特に自分がラジオにメールを送るようになってから思うようになったけど、
常連と呼ばれるような名の知られるリスナーさんは
総じてコンスタントにメールを書てるんですよね。
それこそ週に何十通と出してる人もたくさんいますし。
だから、評価されてる人で何も努力してない人なんて一人もいないんですよ。
それに何の苦もなくやれてるように見える人にも何かしら苦に思うものもあるし、
逆に自分が楽に出来ていることがどうしても出来ない人も当然いるわけです。
メール投稿を例にすると、全く経験の無いテーマでメールは書けない。
例えば敬老の日の近いこの時期になると
「祖父母の話」なんてテーマが出るんですが、
母方の祖父母、父方の祖母は物心つく前に亡くなってたし、
そもそも遠方に住んでいたから会う機会もなかったんで
私にはこの手のテーマのエピソードが全くない。
一方、十や二十歳を過ぎても一緒に暮らしてたような人は
いくらでもエピソードはあるから何通でもメールを送れる。
でも、これを悔しがっても仕方ないわけですよ。
得意・不得意なものがあるのはお互い様ですから。
閑話休題。
で、事あるごとに「青春映画を楽しめない」って
映画仲間には言ったりしてるんですけど、
あまりに大絶賛されてるので完全に外堀が埋まっちゃった状態。
そんなわけで観に行ってきた次第なんですけど、
案の定、冒頭からピンとこない。むしろイラつくばかりで。
まず、主役のモリー。彼女にはイェール大で法律を専攻し、
ゆくゆくは史上最年少で最高裁判事になるのが夢で、
そのために猛勉強をしてきたわけですよ。
だったら他のクラスメートが何をしていようが、
例え彼女のように愚直に勉強だけしていたのではなく、
トリプルAのように遊ぶこともおろそかにせず、
その上で望む将来を手に入れた子がいたとしても、
そのことで何を悔しがることがあるんだろう?って思っちゃう。
望んだ結果が手に入ったんだから素直に喜べば良いじゃないかと。
「あいつらばっかり楽しててズルい!」って悔しがっても、
それこそ他人はモリーのガリ勉を望んでたわけじゃないですし。
それにね、この手の作品で常々疑問に思ってるのが、
「なぜ大人としての通過儀礼が酒と恋愛だけなんだろう?」ってこと。
毎度毎度、10代が羽目を外すときに出てくるのが
「いかに酒を手に入れるか」とか、
「いかに誰かに思いを告白するか」とか、
またその先に進めるかに関して奔走する姿なんだけど、
なぜ男女問わずそこを求めるんだろうか?何か他にないの?と。
それこそ、例えば主人公には趣味があって、
それを我慢して勉強頑張って進学を勝ち取ったとしたら、
卒業前にそれを時間を忘れて思う存分楽しむ、ってのもありなわけで。
同級生は学校主催のプロムで盛り上がってるかも知れないけど、
「自分はこれをやりたい」っていう
個人個人別の通過儀礼があってもいいはずでしょ?
なんか毎回これで悩んでる高校生の姿が出てくると
「またかよ!」って思っちゃうんですよね。
みんながみんなプロムに行きたいと思うなよ!って話で。
でまぁ、彼女たちは、というかモリーは帳尻を合わせようとばかりに
同級生の主催するパーティーを目指すんですが、
その過程でクラスメートはただの「バカな連中」ではなく、
夢も悩みもある一人の人間であることを知っていくんですね。
確かにこの過程はそれなりに面白いんですよ。
表面的にわかった気になってた相手の裏側にはもっと複雑な内面があって、
しかもそれは親友だと思ってたエイミーですら
自分は何もわかっていなかった、ということに気付いたり。
ただ、展開にいまいち腑に落ちなかったところがあって。
彼女たちが呼ばれてもいないニックのパーティーに乗り込んでいったとき、
ニック側がウェルカムなのもなんだかピンとこなくて。
あれだけ内心周囲のクラスメートをバカにしていた二人、というかモリーに対して、
ニックを初めとして他のクラスメートがなぜかオープンで、
しかも二人に密かに好意を寄せてるクラスメートまでいたのが
どうにも理解できなかったんですよね。
やっぱりこれは文化の違いなんでしょうかね?
確かに良く出来た話なんだろうとは思う。
また昨今のダイバーシティの最先端を行くような舞台設定で、
人種、国籍、性的指向などさまざまな登場人物が出てきて、
それをみんなが当たり前のこととして過ごしているところも斬新。
ただ、残念ながら話自体にはちっとも乗れなかったんですよねぇ。
おそらくね、私が「青春映画」を楽しめないのは、
10代のあの頃の価値を実感できていない、
懐かしむような「青春」というものを
まだ経験してないからなのかもしれないです。
「青春」って、そばに誰かがいることで初めて生まれるものなのかも。
[2020年9月13日 ヒューマントラストシネマ有楽町 2番スクリーン]
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