どうも、はちごろうです。


今さらながらなんですが、プロフィールにも書いてあるように、
私はシンガーソングライターの槇原敬之さんのファンです。
90年代、「どんなときも」「もう恋なんてしない」「No.1」「SPY」など
数々のラブソングでヒットを飛ばし「ラブソングの帝王」の異名を取る一方、
2000年代に入っても「僕が一番欲しかったもの」「林檎の歌」など、
人々の生活に密着したライフソングでも非凡な才能を発揮し続けている天才である。



さて、実は最近、久しぶりに彼の公式HPに行ったところ、
2004年に発表したアルバム「explorer」が
リマスタリングで再発売されていたことを知りまして。
そこで本当に久しぶりにそのアルバムを聴いてみたんですわ。


このアルバムは彼の楽曲で最大のヒットをもたらした
「世界で一つだけの花」のセルフカバーが収録されていることが特徴なんですが、
個人的にこのアルバムの中で一番好きだったのは
「Happy Ending」という曲だった。




この曲、簡単に説明するとこんな曲。 (ちなみに詳しい歌詞はここから)



主人公の青年が少年時代のある日を回想する。
(おそらくこれは槇原氏本人の記憶)
冬の日、彼は両親に遊園地に連れて行ってもらった。
一日遊んで、とても充実した気分になった彼は
つい勢いで父親に売店に売っていた鳥のおもちゃをねだった。
その時の彼は「今日は特別な日だから許される」という気持ちがあった。
父親に買ってもらった鳥のおもちゃを早速飛ばす少年。
彼のしあわせな一日は完璧なものだと感じていた。

しかし、そんな彼の気分は一瞬で壊れる。
父親が少年におもちゃを買ったことに対して
母親が「無駄遣いするなんて」とひどい勢いで怒り出した。
少年はいたたまれない気持ちになり、その場を収めるため
買ってもらったおもちゃを店に返そうとしたが
遊んでいて落とした拍子におもちゃに傷がついてしまい、
もはや返品することはできなかった。
その時の彼は、まるで死んだ鳥を抱えているかのような気分になり、
周りの景色も色がなくなったようだった。


この曲を聴いた当時、少年の気持ちにとても共感したのを覚えている。
みんなが楽しむ場所なのに、母はなぜあんなに怒ったのか。
そんな悲しい思いを子供にさせるのは親としてどうなんだ?と。


ところが、40も過ぎてこの曲を改めて聴きなおすと、
むしろ怒った母親の気持ちの方にも共感出来ている自分に気づく。
この曲の歌詞を改めて注意深く読んでいくと、
この家族の家庭の事情みたいなものが透けて見えてくる。
この少年にとって遊園地に行くことはめったにないことだった。
つまりこの家族、あまり金銭的に裕福ではないんですね。
おそらく家計を預かる母親にしてみれば、
家族で行楽に行く余裕なんかないと考えている。
けどこの日、夫の鶴の一声で遊園地に行ったんだと考えると、
母親にとってはかなり不本意な遊園地だったと思う。
そんな不満が溜まっている状態にさらにとどめを刺すように
何も知らない息子はおもちゃをねだり、夫はあっさり承諾。
もうこれで堪忍袋の緒が切れてしまい、怒り出してしまったわけです。
確かにこの母親の気持ちはよくわかる。男は基本、家計のことは頭にない。
でもね、確かに金銭的に余裕がないことはわかるけど、
でも子供の前で怒るのはどうなんだ?って気持ちもある。


結局この出来事をきっかけに少年は強く思う。
みんなが笑うための場所で誰かを怒らせてしまうこと、
その原因がいつも自分だったことがひどく悲しかったと。
そこから彼は自分より先に誰かに喜んでもらうことを
常に考えて生きていくようになった。
そして30年経った今日、やっと家族みんなが笑ったまま
「幸せな今日」を終わらせることが出来た、と青年は語る。


結局、この歌の真のメッセージって
「誰かの幸せを先に考えて生きよう」ってことなんだろうけど、
一方で「みんな貧乏が悪いんだ」って話なんだとも思います。
子供に「Happy Ending」を迎えさせるためには
それを叶える立場の親に心の余裕がないと難しい。


子供が幸せでいることは、親が幸せだからでもあるのだから。