どうも、はちごろうです。


 ♪~笹の葉 さらさら 軒端に ゆれる


今日は七月七日。俗にいう「七夕」ですね。
この歌が歌われるのは「サザエさん」の中ぐらいになりましたが、
今日は、天の川に阻まれて暮らしている織姫と彦星が
一年に一度会うことを許される日とされています。


この、「織姫と彦星の言い伝え」。どういう風に覚えていますか?
これを機会にちょっと調べてみたんですが、
この「織姫彦星の物語」、発祥はどうやら中国の神話らしく、
日本海を挟んだ日本・中国・韓国・台湾などに同様の言い伝えがあるそう。
どれも基本的な物語の展開は同じなのですが、
「織姫と彦星がどうやって知り合ったのか?」とか
「誰に二人が引き離されたのか?」という部分が各国で微妙に違う。
ちなみに日本では、二人は「自然に出会って一目惚れして」、
「仕事をしなくなって神々が迷惑していることを知った天の神様」が引き離し、
中国では「織姫と彦星の真面目さを気に行った先帝」が二人を引き合わせ、
「二人が仕事をしなくなったことに業を煮やした先帝」が引き離すわけです。
つまりどの国の言い伝えでも最終的には、

「恋に落ちた織姫と彦星が仕事を怠けるようになったことで
 みんなの暮らしが滞るようになり、引き離された」

という結末を迎えるわけです。


実に可愛そうな話ではないですか。
せっかく好き同士になった二人が世間の都合で別れさせられる。
しかも中国の説話では、二人を引き合わせた当の先帝が
自分にとって都合が悪くなったから二人を引き離すわけですから。
当の織姫と彦星の立場にしてみたらこんな理不尽なことはない。
実はこうした「世間の都合で別れさせられる男女」という設定。
古典落語にも結構出てくるんですね。
真面目で堅物な大店の若旦那。いつも家の中で本ばっかり読んでる。
「このままでは自分の跡を継いだ時に商売が立ち行かなくなる。
 息子にも少しは世間の遊びを教えなければ!」と思った父親が、
知り合いに頼んで若旦那を吉原に送り込む。
結果若旦那はそこで知り合った花魁と恋仲になり、人が変わってしまう。
いままでの真面目な息子ではなくなったことに怒った父親は、
親戚一同と協議をした結果、勘当して家を追い出したり、蔵に放り込んだり。
元はと言えば自分の気まぐれで息子を変えてしまったにもかかわらずです。


この物語、そっくりそのまま少子化・晩婚化問題に当てはまりますね。
晩婚化が進んで未婚者が増え、少子化が止まらない昨今。
このままでは労働力も、年金の払い手もいなくなるから
若いものはさっさと結婚して子供作れ!と、国は言うわけです。
でもそれは結婚も恋愛もしなくてもいい世の中になったからであって、
未婚者にとっては、いまさら家庭を持つ必要性を感じないわけですから。
その一方、企業の方は企業の方で社員に対して「生活の全てを捧げろ!」という。
一日24時間、一年365日。会社の言われるままにいつでも全力で働け!と。
けど昔のように社員一人の稼ぎで家族が養えなくなった現在では、
男が外で働き、女が家庭に入る、なんていう旧来の役割分担では生活できません。
夫婦共働きでやって生活を維持するのが精いっぱい。
とても子供を産み、育てるような覚悟は持てません。

「早く結婚して子供を作れ!でも会社は君の私生活を認めないよ」

こんな矛盾を国も、会社も、既婚者も平気で口にする。
未婚者にとっては「ふざけるな!」って感じですよ。


先日紹介した映画「her/世界にひとつの彼女」のなかで
「恋愛は世間に認められた数少ない狂気」というようなセリフがありました。
「『恋に狂う』とは言葉が重複している。
 『恋』とはすでに狂気である」という言葉もありますが、
誰かに恋をしている人、というのはそれだけで「非常識」。
つまり常識の範疇では行動できない状態の人なのです。
誰かを好きになり、その人と一緒にいられるならば
世の中なんてどうでもよくなる。「恋をする」とはそういうものです。
でも社会全体が年々高度に効率化されるにつれて
そうした「狂気」を許容出来ない、しない世の中になればなるほど、
世の中は終焉に近づいていくような気がしますなぁ・・・。


先帝の都合で泣きを見た二人。今日はどうしているのやら・・・。