どうも、はちごろうです。


来週はもう4月ですねぇ。
テレビを点けてもラジオを点けても、
終わる番組と始まる番組の話が盛りあがってます。
毎週楽しみにしていた番組が終わるのは悲しいもんですね。
特にラジオの場合は番組との親和性が高いゆえに
終了が決まった時の落胆ぶりはハンパないもんがありますわ。
さて、映画の話。




「LIFE!」











往年のハリウッド映画「虹を掴む男」をリメイク。
監督・主演は人気コメディアンのベン・スティラー。



あらすじ


写真雑誌「LIFE」編集部でネガ管理の仕事をしているウォルター。
若い頃にはそれなりに夢もあったが、学生時代に父を亡くし、
自分が家族を支える立場になってからは仕事一筋。
それゆえに自分に自信がなく、人付き合いが苦手な人物だ。
いまは一人暮らしで、毎日判で押したような生活をしている。
職場に入ってきたバツイチ子持ちの女性シェリルと仲良くなりたいが、
なかなか話しかけることが出来ず、彼女の窮地を救う妄想ばかりしていた。
ある日、オンライン雑誌化に伴いLIFE誌の休刊が決定。
大胆なリストラが行われることも同時に発表される。
社内中が戦々恐々としている中、冒険家で著名なカメラマンのオコンネルが
ウォルターにLIFE最終号の表紙用の写真のネガを送ってくる。
同封の手紙には「これぞLIFE誌の真髄」と太鼓判が押されていたが
肝心のネガだけがどこにも見当たらなかった。
話を聞きつけたリストラ担当の若い重役テッドは
早速ウォルターにネガの提出を迫ったが、
どうにかその場をごまかした彼は最終号の校了前にネガを見つけるため、
オコンネルを探しに一路アイスランドに向かうのだった。




「過小評価される男」、ベン・スティラー



主演は監督も務めた人気コメディアンのベン・スティラー。
90年代にアダム・サンドラー、セス・ローゲンらとともに
人気コメディアンとしてハリウッドで頭角を現してきたが、
日本ではちょうどアメリカンコメディが斜陽の時期を迎えていたため、
かなりのヒット作でも日本では劇場公開なしのビデオスルー扱いだった。
だから、正直彼の出演作品をあまり観ていないんですけど、
今回改めて彼のフィルモグラフィを調べてみたらいろいろとわかってきた。
彼が作品の中で演じてきたキャラクターには共通点があって、
それは「実力があるのに過小評価されている」ということ。
例えば「ミート・ザ・ペアレンツ」では社会的に一応の成功はしているけれど、
元CIAだった婚約者の父親にことごとく認めてもらえない男を演じ、
「トロピック・サンダー」では人気アクション映画の看板スターなのに
最近は完全に飽きられていて人気もジリ貧の男を演じている。
才能はあるのに認めてほしい人に認められず、それゆえに自信を失っている男。
それがあるきっかけで奮闘し、正統な評価を得て人間的に成長する。
そんなキャラクターを演じてきたベン・スティラー自身もまた、
日本では一部のコメディ映画ファンだけが知っている存在なわけで、
まさに本作の主人公ウォルターは彼にとっては当たり役ともいえますね。




ずいぶんと記号的な人生で・・・



とはいえ、作品自体が面白かったかと言われると、
残念ながら私はこの作品にピンとこなかったです。
まず、登場するキャラクターが記号的というか、単純なんですね。
例えばウォルターは先述したように「実力はあるが過小評価されてる男」。
しかもデジタル化という時代の流れによって
彼のネガ管理という仕事自体が淘汰される運命にある。
まぁ、いわゆる「典型的な小市民」ですね。
で、彼をクビにしようとする若き会社重役のテッドは
いまどきわかりやすいくらい「ものの道理のわからない嫌な若造」。
一方、カメラマンのオコンネルはなぜかウォルターを高く買っていて、
彼の仕事ぶりに敬意を表して贈り物なんかしてくる「才能のある好人物」で、
ウォルターが思いを寄せるシェリルは上司からバカにされてる彼に
優しく接する非の打ちどころのない「ヒロイン」と、
主人公以外の背景があまり描かれてないんですね。キャラクターに深みがない。
次に、ウォルターはシェリルの好意を持っていながら
話しかける自信がなくて日々妄想してるような人物なのにもかかわらず、
オコンネルの行方を調べる必要が生じるとあっさり彼女に話しかけ、
彼が今どこにいるのか調べてほしいと頼むんですよ。
この「シェリルといい仲になる」というのが
ウォルターが成長を果たしたという本作の最終的な成果だとしたら、
彼女とそんな簡単に打ち解けるのはちょっとおかしいような気がします。
また、ウォルターがオコンネルを探しに旅に出かけるんですが、
出かけた先がアイスランドやグリーンランド、ヒマラヤと
寒い山岳地帯ばっかりで画的に単調な印象がした、というのもありました。
そしてクライマックス、ついに探していたネガが見つかるんですが、
これはまぁ、意外なところにあったんですね。
で、それを見つけた時にはすでにウォルターは解雇されてるわけです。
ところが彼はそのネガをテッドの元に持っていくんですよ。
しかも彼に説教までして帰っていく。
そこまでされて普通そのネガを使いますか?
それを渡されたテッドはさも当然のようにそのネガを使って
最終号の表紙を作ってしまうんですよ。
この悪役はどこまでバカなんだろう?と逆に感心してしまいましたよ。




「普通の市民が一番」というメッセージの危うさ



それに、本作で一番気になったというか、興ざめしたのが
「会社は社長ではなく、末端で働く個々の社員の頑張りで動いている」
「世の中は権力者ではなくそれを構成している個人によって成り立っている」
というメッセージってもう古臭いなぁ・・・って思ったことですね。
結局オコンネルが選んだネガというのは、
会社前の広場で食事をしながらネガを眺めているウォルターの姿で、
彼は「LIFEという雑誌の素晴らしさは掲載されいる写真ではなく、
それを編集してきた社員たちの不断の努力にある」としたわけです。
確かにそれは正しい意見なんだけど、さすがに食傷気味だなと。
しかもそれを20世紀フォックスという大会社が宣伝してるわけですよ。
そこには「こう言っておけば一般の観客は喜ぶだろう」という
一種の見くびりが透けて見えるというか、
大会社になめられてるような気がしたんですよねぇ。


改めて考えてみれば本作のメッセージは矛盾している。
本作は観客に対して「人生は一度きりだから冒険しよう!」と言いながら、
結局は「普通の生活が一番だ!」という相反する結論に落ち着くんですよ。
こういう作品もあっていいとは思います。私自身も小市民ですから。
こういう物語が一種の癒しになることもわかりますよ。
ただ、あんまりハマりすぎるのもまた問題でして。



[2014年3月23日 ユナイテッド・シネマとしまえん 2番スクリーン]