どうも、はちごろうです。


昨日の話の続きなのですが、
実はまだ自分の中できちんとまとまっていません。
とはいえ、いま書かないとおそらくもう書く気にならないと思うので、
探り探り書いていきたいと思います。
したがって、途中相当暴論に聞こえる部分もあるかと思いますが、
条件反射的に非難せず、理性的に反論していただければ幸いです。
出来たら具体的なエピソードを訊かせていただけるとありがたいです。


さて、昨年暮れから年明けにかけて
公の場で失言して批判を受けた人物を調べると、
例えばNHKの新会長の籾井さんって人は福岡出身、
「デモはテロ」発言の石破茂議員は鳥取出身、
大阪市の橋下市長は生まれは東京だけど
中学高校と大阪で育っているし、と
生まれも育ちも東京という人はほとんどいない。
批判覚悟でいえば、これ全部西日本の人間なんですね。
(安倍総理も先日、海外でかなりの失言をしてたわけだけど
 彼は本籍地が山口県だけど生まれも育ちも東京。
 だが、彼も国際政治の場での身の処し方が
 備わっていなかったともいえる)

別に東京以外の出身者についてどうこう言うつもりはない。
個人が各々独自の考えを持つことを否定するつもりもないし、
何をもって「失言」とするかもまた曖昧です。
実際、彼らの「失言」に対し賛同する人もいるわけです。
ただ、東京というところはそうした私的な物言いが
ある程度制限される土地柄だということを
彼らは理解していないし、わかったうえでそのルールを破る。
だから非難されるわけです。


そもそも東京というところは、江戸と呼ばれていた頃から
全国から人や物が集中する場所であったわけです。
まず幕府があるから全国の藩の武士たちが集まり、
それに伴い、農産物や海産物などの食べ物も運ばれるし、
遊郭の女性たちも全国から集められてきたわけです。
そうすると、それぞれの育った土地での風習や暮らし方を
そのまま押し通されると都合が悪いわけです。
なにより困るのが、言葉。つまり方言ですね。
例えば5人の武士が同じ仕事をする際に、
ひとりが東北訛りで、ひとりが上方訛りで・・・となると
意思の疎通すらままならないわけです。
それは遊郭の花魁たちにもいえることで、
方言丸出しではせっかくの色気が失せてしまうこともしばしば。
そのために武家言葉が生まれたり、廓言葉が出来たわけです。

といったような具合で、昔から東京というところは
共通の言語、共通の立ち居振る舞いが作られ、
そしてそれを遵守することを求められる土地なんですね。
よって、東京では私的な欲求や弱さといったものを
公の場で露見させることは「恥」とされ、
「見栄」や「体面」を重んじる文化が生まれたわけです。


一方、大阪というところは昔から商人の町でした。
古今東西、商人の行動理由は「利潤の追求」です。
つまりプライドよりは実利を重んじる風土なわけです。
それは例えば古典落語なんかでも見られることで、
例えば江戸落語に「時そば」なんていう噺があります。
これは、ある男が当時の屋台のそば屋でそばを注文し、
口八丁手八丁でそばを褒めながら
そばの代金を一文ごまかす噺なんですが、
江戸の人間には代金を余計に払う発想はあっても、
代金をごまかそうという発想はあまりしないんですよ。
実はこの噺、元々上方落語の「時うどん」を改作したものなんですね。
似たような話で「壺算」という、瀬戸物屋をだまして水瓶を安く買う噺も
元々は「壺算用」という上方落語の演目を改作したものです。
つまり、大阪という土地はそういう文化なわけです。

あと、こんな話も聞いたことがあります。
これは数年前に笑福亭鶴瓶師匠のトーク番組に
俳優の武田鉄矢さんが出演した際に話していたんですが、
豊臣秀吉が大阪城を築城した際、
非常に尽力したのが大阪府東部の河内国の人々だった。
いまの河内弁の元祖となったところですね。
河内国は、映画にもなった清須会議の結果、
秀吉が自分の領地とした土地でした。
で、多大な貢献をした河内の国の人々に褒美を取らせようと
「何か望みはあるか?」と秀吉が訊いたところ、
彼らは「この河内の言葉を認めてほしい」と言ったそうです。
つまり河内の言葉を公の場で使うこと、
河内の人間を大阪城内に入れるようにすることを願ったんだそうです。
つまりこの逸話からもわかるように、
大阪という土地の人間は伝統として自分たちの言葉を大事にする、
悪く言えば公の場でも平気で自分たちの方言を使う県民性なんですね。


結局、何が言いたいのかというと、
伝統的に西の人間は自らの言葉に誇りがあるために、
別の文化圏に行っても言葉づかいを改めることはしない。
そのメンタリティは当然行動規範にも表れ、
公共の場でもあくまで自分たちのスタイルを変えない。
結果、彼らは異なる文化圏であり、「公共の場」である東京で
自らの考えを言いたいように言って非難されるわけです。


とはいえ、別に失言するのは西日本の人間だけでない。
東京にも石原慎太郎という失言大王がいます。
彼もまた「公共心」の欠落した人間です。
でも彼は湘南ボーイのように思われてますが、
実は生まれは兵庫県の神戸市なんですよ。

やっぱり、「失言癖」というのは育ちに由来するんでしょうかね(--;