どうも、はちごろうです。

僕が今の仕事に就いた頃からだからもう20年になるのか、
集配の仕事の途中に必ず通っていた歌舞伎町の立ち食いそば屋が
ついに今日の夜11時をもって閉店することになった。
歌舞伎町のど真ん中、コマ劇場の前で40年に渡って続けてきた店。
それもコマ劇場の閉館や歌舞伎町再開発に伴う町の衰退で
客足が遠のいたのが決定打になったようだ。
長い間、我が腹を満たしてくれた店に感謝である。
さて、映画の話。

「ロボット」

インド映画史上最高の製作費を投じて作られた超大作。
ロボット工学の専門家バシー博士は10年の歳月を掛け
自分そっくりのアンドロイド、チッティを完成させる。
優れた身体能力と学習能力を兼ね備えたそのロボットを
恩師のボラ教授が仕切る人工知能開発局の学会で披露。
驚きと称賛をもって迎えられる。
バシーは研究に没頭するあまり恋人の医学生サナと疎遠になっていたが、
サナはチッティを気にいり、バシーの代わりに行動を共にするようになる。
ところがバシーは学会でチッティの不完全さを指摘される。
善悪の判断が出来ないことをボラ教授に指摘されたバシーは、
プログラムを組み直してチッティに人間の感情を覚え込ませる。
だが、感情を持ったチッティはサナに恋をしてしまうのだった。








世界最大の映画大国、インドの娯楽映画


世界で一番映画を作っている国、いってみれば世界最大の映画の都はどこか。
アメリカのハリウッドではない。実は世界一の映画大国はインドである。
インドで有名な映画監督といえばアカデミー名誉賞を受賞した
サタジット・レイという人がいるけれど彼の作品はインド映画界の本流ではない。
インド映画の主流はやはり娯楽映画。毎年900本近くの映画が製作されている。
そのインドの娯楽映画の特徴は一言でいえば「てんこ盛り」である。
歌あり、ダンスあり、笑いあり、涙あり、アクションあり、ロマンスあり、と
とにかく観客が娯楽映画に求める要素が全て詰め込まれている。
しかもその物量はどの作品もこれでもかというくらいたっぷり。
当然のことながら上映時間はどれも3時間を優に超える。
それをインドの観客は幅広い世代と一緒に楽しんでいる。
ある者は主人公の活躍に拍手を送り、ある者は激しいダンスに手拍子を送り。
上映時間が長いから映画の途中入場、途中退場も当たり前。
まるで一昔前の日本の映画館と、その観客のような状況だそうだ。



SUPER STAR RAJNI


さて、僕がこのインドの娯楽映画に出会ったのは
98年に日本で公開された「ムトゥ/踊るマハラジャ」。
おそらく今の映画ファンでこの作品でインド映画を知った人も多いだろう。
これを渋谷のシネマライズで観た経験は忘れ難い。
前年の東京国際ファンタスティック映画祭で絶賛され、
映画雑誌などでも注目を集めたこの作品。
もちろん映画館は立ち見の超満員。僕も通路に座って観ていたんだけれども、
全てがやりすぎ、全てが本気の娯楽超大作だった。
特に主演を務めたインド最大のスター、ラジニカーント。
主演映画では必ず冒頭に「SUPER STAR RAJNI」と表示されるほど
絶大な人気を誇っているんだけれども、なんていうのかなぁ、
まるで梅宮辰夫をガラムマサラとターメリックで煮しめたような濃い顔で、
それが歌い、踊り、敵をなぎ倒し、ヒロインと恋に落ちる。
インド人との、その何ともいえない感性の違いを見せつけられて、
別な意味で笑わずにはいられないという最高の映画体験だった。
その「SUPER STAR RAJNI」、御年なんと62歳。
それでもいまだに本国インドでは絶大な人気を誇り、
本作の主人公バシー博士とロボットのチッティとの二役を演じている。
サナに振られ、悪のロボットになってしまったチッティは
まるでVシネに出てくる竹内力みたいな濃さ!
年齢を感じさせないパワフルな活躍を見せてくれる。



インド映画を金に糸目をつけずに作ったら・・・


さて、世界的不況が叫ばれている中でも成長著しいインドで、
全部のおかずが大盛りの幕の内弁当みたいなインド映画を作ったらどうなるか。
当然のことながら全部の要素に莫大な費用がかかった
非常に豪華、かつやりすぎな娯楽映画となっている。
インド映画のお約束であるミュージカルシーンも派手!
チッティがサナを助けるためにちんぴらと戦うシーンも派手!
感情を持ってしまい、恋するサナのために暴走するチッティも派手!
「ターミネーター」のVFXを担当したスタジオにCG製作を依頼するなど、
全てが豪華絢爛かつ派手派手な作りになっている。
ただ、カッコよさや笑いのセンスはやっぱりインドというか、
洗練とはほど遠い、いい意味で「バカバカしい」仕上がり。
だいたい物語自体、映画評論家の町山智浩さん曰く
「しずかちゃんを巡って、のび太とドラえもんが戦う話」なので、
全体的に子供が考えたようなシーンのつるべ打ちなのである。



ロボットを人間に近づける限界


ところが後半、アンドロイドのチッティが感情を持ち、
それゆえにサナに恋をし、その恋が報われずに暴走していくことで、
徐々に物語は人間とロボットの違いに関する考察の様相を呈していく。
感情を持ったチッティの行動はまさに恋した人間のそれである。
だが感情を持ったことでチッティは最終的に欠陥品とみなされてしまう。
感情を持たせることで人間に近づけようとしたチッティは、
人間に似すぎてしまったことで欠陥品扱いされてしまう。
ロボットは感情がないゆえに完璧な行動を可能にでき、
人間は感情があるゆえに間違いを犯す。
ロボットを人間に近づければ近づけるほど機械としての精度が落ちる。
つまり人間にとって都合の悪い存在となっていく。
「完璧なロボット」とは何なのか?
その矛盾が込められたラストシーンに思わず深く感動してしまいました。


本作もオリジナル版は3時間以上あるんですが、
日本公開版はミュージカルシーンなど数シーンを削り、
上映時間2時間20分と40分以上短くなっている。
しかもカットされたシーンの中には、マチュピチュ遺跡でのダンスシーンなど
本編の筋とは全く関連性のない、ただ見栄えだけを追求したシーンもあったそうだ。
個人的にはそういった無駄なところこそインド映画の良さであり、
残してほしかった、というか3時間丸々見せてほしいと思うくらい
中毒性の高い作品でした。おススメです!