どうも、はちごろうです。
以前、ラジオの楽しさについて思うところを書き、
これからしばしば好きな番組について書いていこうと思っていたのですが、
一番最初に紹介するのは、今週末で最終回を迎える番組です。
平日月曜から金曜までお昼1時から3時半まで放送の
TBSラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」。
毎日テーマに沿ったエピソードをリスナーから集い、
それを元TBSのフリーアナウンサー小島慶子と、
ビビる大木、堀井健一郎、ライムスター宇多丸、ピエール瀧、水道橋博士の
曜日毎のパーソナリティがそれを基にトークを展開する番組である。
「他人にとっては取るに足りない出来事でも
本人にとっては大きな悩みであり、大きな事件である。
そんな普通の人々のなんでもない生活」をみんなで楽しむ番組である。
この番組を説明する前に、まず説明しておく必要がある番組がある。
それはこの番組の前にやっていた番組「ストリーム」である。
2001年からスタートしたワイド番組。
元TOKYOFMの人気アナウンサー松本ともこと、
国際ジャーナリストの小西克哉さんをメインパーソナリティに、
吉田豪、町山智浩、勝谷誠彦、辛酸なめ子など
個性的な日替わりコメンテーターを取りそろえて、
「喋る週刊誌」的な番組で好評を博した。
ところがこの番組は2009年の3月に惜しまれつつ終了するのだが、
その終了の経緯において、一部コメンテーターの処遇を巡って
番組スタッフと局の上層部との間で対立があったなど、
不透明な噂が噴出したことが災いして、
一部リスナーからTBSラジオに対する非難が集中。
その矛先が「キラ☆キラ」にも向けられることとなる。
さて、2009年3月30日にスタートした「キラ☆キラ」は、
それまでの「番組側から面白い情報を発信する」というスタイルから
「リスナーから面白いエピソードを募集する」という
前番組のスタイルと180度異なる番組だったこともあり、
熱狂的な「ストリーム」リスナーから強い批判を受けた。
その名残はiTunesの番組ポッドキャストの評価欄に残っている。
だが放送開始当初に寄せられた批判の大部分は
「ストリームではないから」という的外れなものであり、
その批判は放送継続と同時に徐々に終息していく。
番組開始当初は裏番組が大竹まこと、テリー伊藤という、
知名度の高いタレントがパーソナリティを務める番組だったこともあり、
知名度に劣る小島さんの番組は彼らの後塵を拝することになるのだが、
ある日を境にその流れが変わってくる。
2009年5月25日。この日は小島さんの後輩アナウンサーが
自ら命を絶った日から1年目だった。
この日、それまで番組のオープニングでは
その日のテーマを紹介した後、1曲掛ける流れだったのだが、
この日、小島さんはオープニングで1年前の出来事に触れ、
「彼女が自ら命を絶った結果だけを見て、かわいそうだと思わないでほしい。
彼女がフリーアナウンサーになるため会社を去ったときの
あの日の笑顔はとても幸せに満ちていた。
だから最後の結果だけを見て彼女の人生全てを不幸と決めつけないでほしい。」
と、15分以上に渡って涙ながらにフリートークを展開したのである。
これを機に、番組のオープニングは小島さんが好きなことを喋る、
というスタイルに変わっていく。
そしてこの番組のイメージを決定づける事件が起きる。
2009年9月16日。この日のオープニングテーマは
「JR山手線の駅で自殺防止のためにホームの照明を青くする」という話題。
この話題をきっかけに、自殺を防止するためにはどうするべきか、
「この国を覆っている生きづらさをメディアが助長しているのではないか、
ならばメディアにも自殺を食い止める責任があるはずだ」
という主張を展開し始める小島さん。
それに対し、この日のパートナーのライムスター宇多丸さんは
「メディアが思っているほどメディアに影響力はないし、
それをメディアが主導することも価値観の押しつけだ」と反論。
お昼のラジオ番組で、二人の深い議論は進んでいった。
番組開始から15分、20分、25分経ってもまだ議論は終わらない。
反論する宇多丸さんに「違う、そんな事を言っているんじゃないの」と
最後はほぼ涙声になりながら議論を続ける小島さん。
結局議論は平行線のまま箱番組の時間になりオープニングが終了。
この議論のため、本来やるはずだった天気予報が飛ぶという事態になった。
この2つのオープニングトークをきっかけに
パーソナリティ小島慶子の「本気」がリスナーに浸透し始める。
「平日の昼に、ラジオでものすごい熱量で喋ってる女がいる」
「この人は自分を守るために嘘を言うような人じゃない」
当時ネット上で流行り始めたツイッター上で
番組を聴きながらコメントを書き込リスナーが増え、
ネット上を中心に番組リスナーが飛躍的に伸びていった結果、
2009年の10月の聴取率調査で同時間帯1位を獲得。
番組開始半年での同時間帯トップはラジオ業界では快挙であり、
いつしか小島さんは「ラジオの女王」と呼ばれるようになる。
翌年4月、小島さんはTBSを退社。
ラジオパーソナリティとして再出発を果たす。
しかし、順風満帆に見えた番組にも時代の流れが襲う。
2011年3月11日。午後2時46分。
この瞬間、番組では「日本列島ホット通信」という箱番組の放送中だった。
エンディングに差し掛かり提供クレジットが終わった直後、
すぐさまスタジオ内のあわただしい音声が伝わってきた。
「落ち着いてください。落ち着いてください。まず頭を守ってください」
小島さんはリスナーに冷静に行動するよう呼びかけ続けた。
そのまま番組は報道特別番組に切り替わり、その日の放送は終了した。
この日以降、日本の日常が変わってしまったことで、
「普通の人々の普通の日常」を扱ってきた「キラ☆キラ」も変化を強いられていく。
何よりパーソナリティの小島さん本人がその変化に敏感に反応した。
あの日以降、彼女のオープニングトークから発せられる日常は
確実に「震災以降の日常」を意識した内容に変化したのである。
それに対し、いままで聴いてきたリスナーからも
「そんな堅い話ばかりしないで、いままでどおり普通の日常を聴かせてよ」と
その変化に戸惑い、拒絶する意見も出てきたのだが、
なによりTBSラジオがその変化に拒絶反応を示したのである。
震災以降、政府・東電・大手メディアの情報に不信感が増す中で
ラジオというメディアが再評価されている空気が出来つつあった。
そんな状況に対し「いまこそラジオがリスナーを守るべき」と
社会的責任を背負っていこうとする小島さんに対し、
TBSラジオはビジネスチャンスととらえ、
「新しいリスナーを開拓するためにもっとくだけた内容を」と要求。
「そんな目の前の相手に喋ってるときに
後ろにいる人にも聞かせようとすることなんて出来ない」と、
いまいるリスナーに対して語ることを優先する小島さん。
結局議論は再び平行線をたどったのち、
小島さんは「この番組で自分ができることはなくなった」と結論付け、
ついに自ら降板を申し出るにいたったのである。
小島さんの番組降板後も、別のパーソナリティを立てて番組を存続することはできた。
だがこの番組も「ストリーム」同様、一部コメンテーターの降板騒動があり、
なにより昨年の後半から他局との聴取率競争で後塵を拝していたことが決定打となり、
小島さんの降板と同時に番組の終了も決定したのである。
3年間という短い期間で数々の伝説を作りだし、
今週末、惜しまれつつ番組は終了する。
最終回は3月30日。番組開始と同じ日付である。
ラスト5回。失うものの無くなった番組は強い。
荒れに荒れること必至の「キラ☆キラ」。
小島さんはどれだけ語りつくしてくれるのか。
最終回に向けてどれだけ大暴れしてくれるか。楽しみである。
以前、ラジオの楽しさについて思うところを書き、
これからしばしば好きな番組について書いていこうと思っていたのですが、
一番最初に紹介するのは、今週末で最終回を迎える番組です。
平日月曜から金曜までお昼1時から3時半まで放送の
TBSラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」。
毎日テーマに沿ったエピソードをリスナーから集い、
それを元TBSのフリーアナウンサー小島慶子と、
ビビる大木、堀井健一郎、ライムスター宇多丸、ピエール瀧、水道橋博士の
曜日毎のパーソナリティがそれを基にトークを展開する番組である。
「他人にとっては取るに足りない出来事でも
本人にとっては大きな悩みであり、大きな事件である。
そんな普通の人々のなんでもない生活」をみんなで楽しむ番組である。
この番組を説明する前に、まず説明しておく必要がある番組がある。
それはこの番組の前にやっていた番組「ストリーム」である。
2001年からスタートしたワイド番組。
元TOKYOFMの人気アナウンサー松本ともこと、
国際ジャーナリストの小西克哉さんをメインパーソナリティに、
吉田豪、町山智浩、勝谷誠彦、辛酸なめ子など
個性的な日替わりコメンテーターを取りそろえて、
「喋る週刊誌」的な番組で好評を博した。
ところがこの番組は2009年の3月に惜しまれつつ終了するのだが、
その終了の経緯において、一部コメンテーターの処遇を巡って
番組スタッフと局の上層部との間で対立があったなど、
不透明な噂が噴出したことが災いして、
一部リスナーからTBSラジオに対する非難が集中。
その矛先が「キラ☆キラ」にも向けられることとなる。
さて、2009年3月30日にスタートした「キラ☆キラ」は、
それまでの「番組側から面白い情報を発信する」というスタイルから
「リスナーから面白いエピソードを募集する」という
前番組のスタイルと180度異なる番組だったこともあり、
熱狂的な「ストリーム」リスナーから強い批判を受けた。
その名残はiTunesの番組ポッドキャストの評価欄に残っている。
だが放送開始当初に寄せられた批判の大部分は
「ストリームではないから」という的外れなものであり、
その批判は放送継続と同時に徐々に終息していく。
番組開始当初は裏番組が大竹まこと、テリー伊藤という、
知名度の高いタレントがパーソナリティを務める番組だったこともあり、
知名度に劣る小島さんの番組は彼らの後塵を拝することになるのだが、
ある日を境にその流れが変わってくる。
2009年5月25日。この日は小島さんの後輩アナウンサーが
自ら命を絶った日から1年目だった。
この日、それまで番組のオープニングでは
その日のテーマを紹介した後、1曲掛ける流れだったのだが、
この日、小島さんはオープニングで1年前の出来事に触れ、
「彼女が自ら命を絶った結果だけを見て、かわいそうだと思わないでほしい。
彼女がフリーアナウンサーになるため会社を去ったときの
あの日の笑顔はとても幸せに満ちていた。
だから最後の結果だけを見て彼女の人生全てを不幸と決めつけないでほしい。」
と、15分以上に渡って涙ながらにフリートークを展開したのである。
これを機に、番組のオープニングは小島さんが好きなことを喋る、
というスタイルに変わっていく。
そしてこの番組のイメージを決定づける事件が起きる。
2009年9月16日。この日のオープニングテーマは
「JR山手線の駅で自殺防止のためにホームの照明を青くする」という話題。
この話題をきっかけに、自殺を防止するためにはどうするべきか、
「この国を覆っている生きづらさをメディアが助長しているのではないか、
ならばメディアにも自殺を食い止める責任があるはずだ」
という主張を展開し始める小島さん。
それに対し、この日のパートナーのライムスター宇多丸さんは
「メディアが思っているほどメディアに影響力はないし、
それをメディアが主導することも価値観の押しつけだ」と反論。
お昼のラジオ番組で、二人の深い議論は進んでいった。
番組開始から15分、20分、25分経ってもまだ議論は終わらない。
反論する宇多丸さんに「違う、そんな事を言っているんじゃないの」と
最後はほぼ涙声になりながら議論を続ける小島さん。
結局議論は平行線のまま箱番組の時間になりオープニングが終了。
この議論のため、本来やるはずだった天気予報が飛ぶという事態になった。
この2つのオープニングトークをきっかけに
パーソナリティ小島慶子の「本気」がリスナーに浸透し始める。
「平日の昼に、ラジオでものすごい熱量で喋ってる女がいる」
「この人は自分を守るために嘘を言うような人じゃない」
当時ネット上で流行り始めたツイッター上で
番組を聴きながらコメントを書き込リスナーが増え、
ネット上を中心に番組リスナーが飛躍的に伸びていった結果、
2009年の10月の聴取率調査で同時間帯1位を獲得。
番組開始半年での同時間帯トップはラジオ業界では快挙であり、
いつしか小島さんは「ラジオの女王」と呼ばれるようになる。
翌年4月、小島さんはTBSを退社。
ラジオパーソナリティとして再出発を果たす。
しかし、順風満帆に見えた番組にも時代の流れが襲う。
2011年3月11日。午後2時46分。
この瞬間、番組では「日本列島ホット通信」という箱番組の放送中だった。
エンディングに差し掛かり提供クレジットが終わった直後、
すぐさまスタジオ内のあわただしい音声が伝わってきた。
「落ち着いてください。落ち着いてください。まず頭を守ってください」
小島さんはリスナーに冷静に行動するよう呼びかけ続けた。
そのまま番組は報道特別番組に切り替わり、その日の放送は終了した。
この日以降、日本の日常が変わってしまったことで、
「普通の人々の普通の日常」を扱ってきた「キラ☆キラ」も変化を強いられていく。
何よりパーソナリティの小島さん本人がその変化に敏感に反応した。
あの日以降、彼女のオープニングトークから発せられる日常は
確実に「震災以降の日常」を意識した内容に変化したのである。
それに対し、いままで聴いてきたリスナーからも
「そんな堅い話ばかりしないで、いままでどおり普通の日常を聴かせてよ」と
その変化に戸惑い、拒絶する意見も出てきたのだが、
なによりTBSラジオがその変化に拒絶反応を示したのである。
震災以降、政府・東電・大手メディアの情報に不信感が増す中で
ラジオというメディアが再評価されている空気が出来つつあった。
そんな状況に対し「いまこそラジオがリスナーを守るべき」と
社会的責任を背負っていこうとする小島さんに対し、
TBSラジオはビジネスチャンスととらえ、
「新しいリスナーを開拓するためにもっとくだけた内容を」と要求。
「そんな目の前の相手に喋ってるときに
後ろにいる人にも聞かせようとすることなんて出来ない」と、
いまいるリスナーに対して語ることを優先する小島さん。
結局議論は再び平行線をたどったのち、
小島さんは「この番組で自分ができることはなくなった」と結論付け、
ついに自ら降板を申し出るにいたったのである。
小島さんの番組降板後も、別のパーソナリティを立てて番組を存続することはできた。
だがこの番組も「ストリーム」同様、一部コメンテーターの降板騒動があり、
なにより昨年の後半から他局との聴取率競争で後塵を拝していたことが決定打となり、
小島さんの降板と同時に番組の終了も決定したのである。
3年間という短い期間で数々の伝説を作りだし、
今週末、惜しまれつつ番組は終了する。
最終回は3月30日。番組開始と同じ日付である。
ラスト5回。失うものの無くなった番組は強い。
荒れに荒れること必至の「キラ☆キラ」。
小島さんはどれだけ語りつくしてくれるのか。
最終回に向けてどれだけ大暴れしてくれるか。楽しみである。