どうも、はちごろうです。
今日パソコンを立ち上げたらセキュリティソフトから
「さっさと新しい製品に更新しろ」というメッセージが。
でもよくよく利用規約とか読んでみると金がかかるらしい。
とりあえずいま使っている製品がまだ半年使えるみたいなので、
利用期限が近づいたら考えようかと思います。
パソコンを買い換えようかまだ迷ってる最中なので。
さて、映画の話。
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
第84回アカデミー賞でメリル・ストリープが3度目のオスカーを受賞した伝記映画。
イギリス初の女性首相となった女性、マーガレット・サッチャーの半生を描く。
英国で初めて首相に就任した女性、マーガレット・サッチャー。
政治家だった父親の強い影響を受け、小さなころから実家の雑貨店を手伝いながら
苦学の末にオックスフォード大学に合格したマーガレット・ロバーツ。
オックスフォード卒業後、政治家を志すも最初の選挙では落選。
その直後、交際中だった青年デニス・サッチャーにプロポーズされ結婚。
一男一女を授かるも、政治家への夢を捨てず下院議員に初当選。
やがて教育科学相を経たのち保守党の党首選挙に立候補。
髪形や服装、声色まで変えるイメージ戦略も功を奏してついに首相の座を得る。
首相になったサッチャーは不景気による高い失業率の中、
徹底した歳出削減と民営化により国家財政を立て直す方針を打ち出す。
その方針に国民から強い反感を買うが信念を曲げることはなかった。
その姿勢はIRAのテロ行為やフォークランド紛争の対応でも貫かれ、
次第にイギリスの経済も立ち直り始める。
しかし欧州統一通貨の導入反対と人頭税導入の政策に対し
身内の保守党内から反発を受けて失脚する。
政界引退後は世界中で講演活動を行っていたが、
夫の死後、認知症に冒されていることが発表されている。
メリル・ストリープと私
ハリウッドを代表する名女優メリル・ストリープ。
女優としてのキャリアのかなり早い段階で演技派女優の地位を確立し、
79年に「クレーマー、クレーマー」、84年に「ソフィーの選択」で
アカデミー賞を受賞するなど大女優の道を独走中である。
「めぐりあう時間たち」や「ダウト」などシリアスな役ばかりではなく、
最近では「プラダを着た悪魔」や「マンマ・ミーア!」など
コミカルな役どころにも果敢に挑戦している。
個人的に彼女の存在を知ったのは92年のホラーコメディ「永遠に美しく」。
この頃は彼女の演技派女優としてのキャリアも一段落して
「ハリウッドにくちずけ」や「シーデビル」、「激流」など
シリアスばかりでない新たなジャンルにも意欲的に挑戦している時期で、
ベストセラー小説を映画化した95年の「マディソン郡の橋」では
中年に差し掛かった女性をリアルに演じてオスカー候補になった。
だから僕が映画好きになって彼女を映画館で観るようになったときには
もう演技も出来る若手美人女優から完全に脱皮して
大人の女優に成熟しきったあとという感じだった。
天才女優メリル・ストリープの「100%以上」の演技
アカデミー賞のノミネート回数は業界最多の17回。
もはや「枠が埋まらなければ彼女を候補に入れる」といった感じだが、
並みの役者が一世一代の演技でやっと選ばれるオスカー候補の座を
軽々と手に入れているように見せているのは、
裏を返せば、どんな作品でも並みの俳優の演技力から考えれば
100%以上の完成度を提供し続けている証拠である。
本作もまさにそんな彼女の完璧とも思える演技が堪能できる。
その凄身は映画の冒頭、開始1分で見事に証明される。
政界を引退して「普通の人」になった最近のサッチャーの近況を
老けメイクだけでなく、雰囲気で、佇まいで実に見事に表現してしまっている。
これがあのサッチャーか?そして、これがあのメリル・ストリープか?と
にわかには信じられないほどの徹底した役作りには
毎度のこととはいえ感嘆せずにはいられなかったです。
映画評論家の中には「ただの物まねじゃねぇか」という人もいるみたいですが、
今回の彼女の完成度は「天才メリル・ストリープの完成度」という尺度で考えても
100%以上といっても過言ではないと思います。
「働く女性の頂点」に託された本音
さて、本作はサッチャーの政治家としての険しい人生と
認知症を患い、亡き夫デニスの幻影と暮らす現在の姿を交互に描いていくのだが、
考えてみれば現在のサッチャーの状況は近年家族によって公表されたものなので、
作品の半分、特に現在の彼女に関するパートはほぼフィクションである。
認知症を患っていることは正しいが、夫の幻覚を見ているかはわからないのである。
しかもこの作品では、サッチャーの政治家としての活動について
事実を述べているだけにとどまり、その是非についてまでは踏み込んでいない。
では、この作品で訴えたかったことはなんだったのか?
おそらくこの作品で本当に語りたかったことは彼女の「働く女性」としての側面。
つまり男性優位社会の政治の世界に乗りこんで首相の座に上り詰めた、
いってみれば「キャリアウーマンの頂点」としての彼女の生き方と、
それでも晩年、彼女が亡き夫の思い出に耽りながら
「主婦として至らなかったアタシと結婚して幸せだった?」と自問自答する、
社会に出て自分の生き方を模索する女性が
心のどこかで抱えてしまう「家族に対する罪悪感」だったのではないか。
もちろんこの「罪悪感」をサッチャーが実際に抱えているわけではない。
おそらくこの「罪悪感」はこの作品の監督のフィリダ・ロイドと脚本家のアビ・モーガン、
二人の「働く女性」の本音なのではないかと思います。
伝記映画として考えればかなり偏っているというか、
フィクションの部分が多いという問題点があることも確かなんですが、
やはり当代随一の名女優の一世一代の名演技は一見の価値ありです。
メリルの演技を観るだけでも十分金を払う価値はあると思います。
今日パソコンを立ち上げたらセキュリティソフトから
「さっさと新しい製品に更新しろ」というメッセージが。
でもよくよく利用規約とか読んでみると金がかかるらしい。
とりあえずいま使っている製品がまだ半年使えるみたいなので、
利用期限が近づいたら考えようかと思います。
パソコンを買い換えようかまだ迷ってる最中なので。
さて、映画の話。
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
第84回アカデミー賞でメリル・ストリープが3度目のオスカーを受賞した伝記映画。
イギリス初の女性首相となった女性、マーガレット・サッチャーの半生を描く。
英国で初めて首相に就任した女性、マーガレット・サッチャー。
政治家だった父親の強い影響を受け、小さなころから実家の雑貨店を手伝いながら
苦学の末にオックスフォード大学に合格したマーガレット・ロバーツ。
オックスフォード卒業後、政治家を志すも最初の選挙では落選。
その直後、交際中だった青年デニス・サッチャーにプロポーズされ結婚。
一男一女を授かるも、政治家への夢を捨てず下院議員に初当選。
やがて教育科学相を経たのち保守党の党首選挙に立候補。
髪形や服装、声色まで変えるイメージ戦略も功を奏してついに首相の座を得る。
首相になったサッチャーは不景気による高い失業率の中、
徹底した歳出削減と民営化により国家財政を立て直す方針を打ち出す。
その方針に国民から強い反感を買うが信念を曲げることはなかった。
その姿勢はIRAのテロ行為やフォークランド紛争の対応でも貫かれ、
次第にイギリスの経済も立ち直り始める。
しかし欧州統一通貨の導入反対と人頭税導入の政策に対し
身内の保守党内から反発を受けて失脚する。
政界引退後は世界中で講演活動を行っていたが、
夫の死後、認知症に冒されていることが発表されている。
メリル・ストリープと私
ハリウッドを代表する名女優メリル・ストリープ。
女優としてのキャリアのかなり早い段階で演技派女優の地位を確立し、
79年に「クレーマー、クレーマー」、84年に「ソフィーの選択」で
アカデミー賞を受賞するなど大女優の道を独走中である。
「めぐりあう時間たち」や「ダウト」などシリアスな役ばかりではなく、
最近では「プラダを着た悪魔」や「マンマ・ミーア!」など
コミカルな役どころにも果敢に挑戦している。
個人的に彼女の存在を知ったのは92年のホラーコメディ「永遠に美しく」。
この頃は彼女の演技派女優としてのキャリアも一段落して
「ハリウッドにくちずけ」や「シーデビル」、「激流」など
シリアスばかりでない新たなジャンルにも意欲的に挑戦している時期で、
ベストセラー小説を映画化した95年の「マディソン郡の橋」では
中年に差し掛かった女性をリアルに演じてオスカー候補になった。
だから僕が映画好きになって彼女を映画館で観るようになったときには
もう演技も出来る若手美人女優から完全に脱皮して
大人の女優に成熟しきったあとという感じだった。
天才女優メリル・ストリープの「100%以上」の演技
アカデミー賞のノミネート回数は業界最多の17回。
もはや「枠が埋まらなければ彼女を候補に入れる」といった感じだが、
並みの役者が一世一代の演技でやっと選ばれるオスカー候補の座を
軽々と手に入れているように見せているのは、
裏を返せば、どんな作品でも並みの俳優の演技力から考えれば
100%以上の完成度を提供し続けている証拠である。
本作もまさにそんな彼女の完璧とも思える演技が堪能できる。
その凄身は映画の冒頭、開始1分で見事に証明される。
政界を引退して「普通の人」になった最近のサッチャーの近況を
老けメイクだけでなく、雰囲気で、佇まいで実に見事に表現してしまっている。
これがあのサッチャーか?そして、これがあのメリル・ストリープか?と
にわかには信じられないほどの徹底した役作りには
毎度のこととはいえ感嘆せずにはいられなかったです。
映画評論家の中には「ただの物まねじゃねぇか」という人もいるみたいですが、
今回の彼女の完成度は「天才メリル・ストリープの完成度」という尺度で考えても
100%以上といっても過言ではないと思います。
「働く女性の頂点」に託された本音
さて、本作はサッチャーの政治家としての険しい人生と
認知症を患い、亡き夫デニスの幻影と暮らす現在の姿を交互に描いていくのだが、
考えてみれば現在のサッチャーの状況は近年家族によって公表されたものなので、
作品の半分、特に現在の彼女に関するパートはほぼフィクションである。
認知症を患っていることは正しいが、夫の幻覚を見ているかはわからないのである。
しかもこの作品では、サッチャーの政治家としての活動について
事実を述べているだけにとどまり、その是非についてまでは踏み込んでいない。
では、この作品で訴えたかったことはなんだったのか?
おそらくこの作品で本当に語りたかったことは彼女の「働く女性」としての側面。
つまり男性優位社会の政治の世界に乗りこんで首相の座に上り詰めた、
いってみれば「キャリアウーマンの頂点」としての彼女の生き方と、
それでも晩年、彼女が亡き夫の思い出に耽りながら
「主婦として至らなかったアタシと結婚して幸せだった?」と自問自答する、
社会に出て自分の生き方を模索する女性が
心のどこかで抱えてしまう「家族に対する罪悪感」だったのではないか。
もちろんこの「罪悪感」をサッチャーが実際に抱えているわけではない。
おそらくこの「罪悪感」はこの作品の監督のフィリダ・ロイドと脚本家のアビ・モーガン、
二人の「働く女性」の本音なのではないかと思います。
伝記映画として考えればかなり偏っているというか、
フィクションの部分が多いという問題点があることも確かなんですが、
やはり当代随一の名女優の一世一代の名演技は一見の価値ありです。
メリルの演技を観るだけでも十分金を払う価値はあると思います。